*収穫祭*

ふたりの想い-2


 早朝。まだスズランが起き出す前にベッドを抜け出すと、朝の冷たい空気が寝不足気味の脳を刺激する。ラインアーサはもう一度湯を浴び思考を切り替えた。

「眠気覚ましに何か飲もう…」

 お茶の用意をしていると、ベッドの上のスズランがおもむろに身を起こした。

「起きたのか、スズラン……よく眠れた?」

「…、…んん、、あ さ? …!? ひゃぁああ! ラ、ライア、っなんで上、脱いでるの?」

「ああ、悪い。今湯を浴びたから……お前も浴びてくる?」

「い、いい。昨日お風呂入ったし」

 慌ただしく毛布を被り隙間から顔を覗かせるスズラン。

「何、照れてんだよ」

「だって…っ」

 顔を真っ赤にして俯くスズランにつられ、こちらまで赤面してしまう。

「これ。眠気覚ましに飲んで」

 濃いめに淹れたお茶をカップへ注ぎ、スズランに差し出す。すると少し戸惑いつつも素直にカップを受け取ってくれた。

「あ、ありがとう……ライア、おはよ……」

「ん? お、おはよう」

 ぎこちない朝の挨拶を交わし、スズランの居るベッドへと腰を下ろした。
 お茶を冷まそうと一心に息を吹きかける何とも可愛らしい姿を眺めていると、不意にこちらを見上げたスズランと視線がかち合う。慌てて顔を逸らしたがどうにも間が持てない。

「お前って……猫舌なの?」

「少し……」

「ふーん…。あー、今日いい天気だな…!!」

「え! う、うん…?」

 そろりと窓の外に目を向けるも、その景色は深い霧に包まれていて何も見えなかった。誰がどう見ても天気は明らかに良くない。

「…!」
(うわぁ…もう、何言ってんだ? 俺は…!)

「……あのっ、お茶ご馳走さまでした。甘くて美味しかった」

「あ、ああ」

 スズランから空のカップを受け取ろうとした瞬間、互いの指先同士がほんの少し触れ合う。

「ぁっ…!」

「…っ」

 その触れた指先から全身が痺れる様な感覚を覚え、カップが指から滑り落ちた。受け取り損ねたカップがベッドの上に転がる。

「きゃ…っ!?」

 気がつくとラインアーサは、スズランをベッドの上で押し倒していた。

「なあ、スズラン…」

「なに…?」

 押し倒されたというのにスズランはラインアーサの瞳を真っ直ぐに見つめ返して不思議そうな表情をしていた。

「スズランは俺の事……嫌いじゃあ、ないのか?」

 気が高揚して口走った先から後悔した。口の中が乾き切って喉が張り付く。それでも答えが知りたい。一瞬、スズランが困った顔をしたので心臓がぎゅっと痛くなる。

「ライアこそ。わたしのこと、嫌いじゃないの?」

 今にも泣きそうな表情で同じ質問を返された。ラインアーサはどうしてもスズランの泣き顔に弱い。その顔を見ると胸が苦しくなる。
 悲しませたくないし、嫌われたくない。
 けれどもまた身体が勝手に動いていた。

「嫌い、だったら…っ」

「んっ…!」

「こんな事、、しない」

「…っむぅ、、っン…っっ!」

 抑えきれずスズランの唇に吸い付くと、先程飲んでいたお茶の甘い味が口内に広がった。
 何度も角度を変えて強く吸い、舌で唇を丁寧になぞる。以前は必ず抵抗してきたスズランだが、今回は違った。応える様にぎこちなく舌を絡めてきたのだ。

「…っ!?」
(嫌じゃあ無いのか? 抵抗してくれないと、俺は……)

 拒まれていないと思うと、もう止まれなかった。

「……らい あ、、っ」

「は、、スズラ…ン…っ」

 互いの名を呼び合いながら一心に唇を貪り合った。手のひらをすり合わせて握り、身体をぴったりと寄せ合う。二人の想いが通じ合う感覚に酔いしれ、更に口づけを深くしていった。
 しかしふと踏み留まり、スズランから一度身を離す。

「…ふ、、ぁ…っ?」

 スズランの誘う様な切ない目付きをラインアーサは息を飲んで見つめ返した。

「……スズラン、いいのか? 俺、これ以上は止まれない。嫌なら今のうちに…」

 スズランが目線を合わせたまま頬を染め、恥ずかしそうに頷いた。瞳は潤み、口づけした唇は赤く染まり今すぐにでも全てを奪いたくなる。

「ライア……わたし、あなたに伝えたい事が…」

 スズランが何かを言い出そうとした瞬間、部屋の扉を叩く音が鳴り響き邪魔が入ってしまった。

「……」

 ラインアーサはベッドから身を起こし外衣ガウンを羽織ると扉を細く開く。

「お早う御座います、ライア様。お着物の洗い濯ぎが完了しましたのでお渡しに参りました」

「ああ。ジルか、お早う。助かったよ。服はそこに掛けて置いてくれ」

「畏まりました。それと新しいお召し物も注文通りのものをご用意致しました。それでは」

 昨晩頼んでおいたスズランの服の洗濯が済んだのと、ラインアーサが新たに頼んでおいた服が届いたのだ。流石に露出の高い酒場バルの給仕服のまま街中を歩かせる訳にはいかない。

「スズラン、服が乾いた。でももしよかったらこっちの服を着てくれないか?」

「……え、どうして?」

 新しい衣服の入った袋をスズランに手渡すと、少し戸惑いながらラインアーサを見返してきた。

「あー、……えっと。朝からその給仕服だと少し目のやり場に困るから」

「そ、そうなの?」

「俺、そっちの続き間に行ってるから着替えたら声かけてくれよ」

「うん……」

 ラインアーサはベッドの上のカップを拾いあげ、奥の部屋へと一旦移動した。

「ああ、くそっ何してんだ俺は…。もしジルが来なかったら俺はあのままスズランを……いや、これでよかったんだ」

 昂ぶる気持ちを落ち着かせようと自身に言い聞かせる。

「もう一度お茶を淹れよう」

 ───ラインアーサも着替えて暫くするとスズランが遠慮がちに声を掛けてきた。

「ねえライア……これ、変じゃないかな?」

「みせて?」

 続き間の入口から恥じらう様にして姿を見せるスズラン。以前街で助けた時も、森にマントを返しに来たときも、街娘たちが好んで着る流行りの服ではなく動き易さを重視した服装だった。
 ラインアーサの選んだあっさりとした白いローブは華奢なスズランの印象を美しく見せた。さり気なく裾や胸元にあしらってあるレースが更に可憐な姿を演出している。
 スズランのその姿にすっかり見惚れてたしまったラインアーサは、思わず飲んでいたお茶のカップを落としそうになった。

「や、やっぱりおかしい…、かな? 大きさはぴったりだけど、なんかひらひらして動き辛くて」

「おかしくない。すごく……似合ってる」

「こんなに高価な服、貸してくれてありがとう」

 スズランが恥ずかしそうにはにかんだ。

「ん? 貸したんじゃあない、買った。だから返さなくていい」

「ええっ!? だめだよ、ちゃんとお洗濯して…」

「返されても困るんだけど……受け取って、くれないのか?」

「そんなんじゃ……あ、ありがとう。でもっ…」

「さあ、そろそろ出よう。スズランも店に戻らないと家族が心配してるだろ?」

「……うん」

 思い出したかの様に元気がなくなるスズラン。

「元気だせよ。俺も一緒に行って説明するから」

「うん……ありがとう。ライア」

「別にいいよ」

 そしていざ部屋を出ようと扉に向かおうとした拍子に服が何かに引っ張られた。

「わ…っ!?」

 スズランが服の端をつかんでいた。

「あの…っライアはどうしてわたしの事、こんなに助けてくれるの? それと、その……なんでいつも…。キ、キスするの?」

 頬を赤く染めながら上目遣いで直球な質問を投げかけられてしまい、ラインアーサも顔面に熱が集中する。

「っ!! そんなの、っ自分で考えろよ」

「そんな、自分でって…!」

「……なんでか解らない? さっきもあんなキスしたのに解らないのか…ってか前に教えなかったか?」

「教えてもらってなんかないもん! ちゃんと言葉で教えて欲しいよ。でないとわからないよ」

「……じゃあ、言葉よりも分かりやすくて手っ取り早い方法、知ってる?」

「し、知らない…」

「今、ここで教えてやろうか?」

 スズランに熱い視線をおくる。
 今さっき自身に言い聞かせたばかりなのに、またも気持ちが昂ぶってしまう。先ほどの口づけで、想いが通じ合った様に思えたのはラインアーサの勘違いだったのだろうか?
 ───素直に。
 素直に口に出せば良いのは解っている。それなのにうまく言葉が出てこない。それに、怖かった。初めての知らない自分の感情に思いのまま流されてしまいそうで怖かったのだ。

「ま、まって! ライアの言う通り、自分で考えるからいい…っ」

 スズランの怯えた態度で我に返る。

「……ごめん。悪かったよ、だからそんなに怯えないでくれ」

 スズランがふるふると首を横に振る。そして今度は真っ直ぐ見つめられた。

「ちがうの…、ライア! あのね、わたし本当はあなたに伝えたい事があって来たの! わたし、わたしっ! ……あなたの事が、す…っん!」

 思わずその言葉を唇で塞いだ。

「っ…ふぅ…! ……んっ…」

 流石にスズランが何を伝えたいのかが解ってしまった。しかし、いざ。それにどう応えていいかが解らなかった。
 今までずっと身を偽り、スズランを騙してきた。ここで突然身分を明かしたらスズランはどう思うだろうか。
 ───きっと幻滅するだろう。警備員に成りすましていた事も伝える勇気がなかった。
 そっと唇を離す。

「…っスズラン……」

「ライアっ…わたし…っむぅ!」

 だがもう一度言葉を遮る。互いの指を絡めて手を握り、持てる全ての想いを口づけに込めて……。

 スズラン。
 愛しいスズラン。

 君が愛しい。

「っん…、、…っ…ふぁ……」

 最後に優しく触れるだけの口づけをし、静かに唇を離した。

「っ…スズラン……」

「…っ…ふえぇ、、なんで? ずるいよ。言っちゃ…っ…ダメなの? わたし……気持ち、伝えちゃダメなの? っライアのばかぁ…!」

 今度はラインアーサが首を横に振った。掠れて震えそうになる声をなんとか絞り出す。

「悪い……少し。もう少しだけ待って……それは俺から、言わせてほしい…。俺の事、信じて欲しいから」

「…っ!! ……うん…!」

 零れる涙をそっと拭い、スズランの華奢な身体をきつく抱きしめた。それに応える様にスズランの細い腕がラインアーサの背中にまわされる。
 隠しきれない二人の想いは互いに伝わったのだろうか。二人はほんの少しの間、そうして抱き合っていた。



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