*収穫祭*
旧知の仲-3
列車の高架橋をくぐり抜けるとすぐに宿にたどり着く。
「少し此処で待ってて」
入ってすぐの広間の長椅子にスズランを座らせる。国営の宿は簡素ではあるが格式のある佇まいだ。古いが上品かつ清楚な内装で訪れる人々を気持ち良く迎えてくれる。ラインアーサは受付の傍らに控えていた年配女性の客室係に小さく尋ねた。
「ジル。上、使える?」
「勿論でございます。ライア様」
ジルと呼ばれたその女性は穏やかな笑みを浮かべながら応える。
「じゃあ、頼むよ。おいでスズラン」
「ではご案内いたします。こちらへ」
先導するジルとそれに続くラインアーサの後を、スズランが不安そうについてくる。
「ライア……ここって?」
「心配ないよ」
ジルに案内され、各階層へ移動するための大きな鉄製の籠に乗る。すると籠は一気に上昇し、宿の最上階に着くとともに小気味の良いベルの音を鳴らした。そうして最上階の、更に一番奥の部屋へ通される。
「どうぞごゆっくりと。何かございましたらいつでも御呼びくださいませ」
「ありがとう。じゃあ早速だけど着替えるから、濡れた衣類の洗濯を頼めるかな?」
「畏まりました、早急に」
「スズラン。奥の部屋でこの外衣に着替えてくれ。今着てる衣服は洗ってもらうからこの籐の籠に」
「っ…あの……まって!」
「大丈夫だよすぐに乾くから。それに身体も冷えてる、このままじゃあ駄目だろ」
「う、うん」
躊躇するスズランに外衣を手渡し、少々強引に奥部屋へと押し込む。とにかく疲れきって冷えた身体を温めて、ゆっくり休ませてやりたかった。
ラインアーサも簡素な服に着替え、雨で濡れた服をジルへと渡す。
「じゃあ二人分頼むよ。そうだな、出来ればあと──…」
一通り用件を言いつけると、早々にジルを部屋から退出させた。
「……スズラン? どうした。そんな部屋の隅じゃなあくこっちにおいで?」
気が付くとスズランは部屋の隅で困った様な顔をしていたが、声を掛けるとおずおずとラインアーサの方へ近づいてきた。
「……ここって、あなたのお家なの?」
「違うよ。たまに利用する宿なんだけど、俺も来るのは久々かな」
慣れない場所でがちがちに緊張しているスズランがとても可愛らしく、思わず笑みがこぼれてしまう。
「……そ、そうなの?」
「ああ。ほら、風呂に湯を張ってもらっておいたから先に温まっておいで」
「え…! お風呂? わたし別にいい! この外衣だけでとてもあったかいし、服が乾いたらすぐに帰るからっ…」
「でも疲れてるだろ? ……何なら俺が背中、流してやろうか?」
ラインアーサはスズランの手を引き、浴室の前まで促がすとからかう様に笑って見せた。
「なっ…冗談言わないで! だ、大丈夫です、ひとりで入れますっ!!」
スズランは少し頬を膨らませ、真っ赤になりながら浴室に入って行った。
「ふ……扱いやすい奴…」
そう小さく苦笑すると、ラインアーサは機嫌良くお茶の用意を始める。緊張や疲れを解く効果のある香草の茶葉を選んだ。
───しかし、結構な時間が経ってもスズランが浴室から出てこない。
「おい、スズラン? どうかしたのか??」
浴室の扉を軽く叩き声を掛けるも、中からの反応は無い。
「……入るぞ? いいか?」
少し考えるも、意を決して浴室に入ると浴槽の中でスズランがぐったりとしていた。長湯で逆上せたのだろうか。
「ああ、もう! もっと早く声をかければよかったな」
ラインアーサは急いでスズランを浴槽から抱き上げ、火照った身体を素早く外衣で包みベッドへ運ぶ。その際、極力身体を見ない様に務めた。そうしなければ理性を保っている自信がない。とにかく無心になって介抱する。大窓を開け、部屋に風を通す。そのまま暫くするとスズランの意識が回復した。
「……ん、わたし。お風呂…?」
「大丈夫か? 風呂で逆上せたみたいだな…。ほら、水飲める?」
「……お水、飲む…」
水の入ったカップを手渡すとスズランは少し身体を起こし、ごくごくと喉を鳴らして殆どの水を一気に飲み干した。その様子を眺めているだけでも邪な考えばかりがちらつく。ラインアーサはその考えを吹き飛ばす様に頭を左右に激しく振った。
「…? ライアがベッドまで運んでくれたの? …っあ」
起き上がろうとするがまだ状態は全快ではなくベッドに肘をつくスズラン。その姿は弱々しくも妙に色気を伴い目のやり場に困る。
「こら。急に起き上がろうとするな。立ちくらみを起こすから暫く横になってろよ! ったく相変わらずお子様だな」
ラインアーサはそれを意地悪な口調で誤魔化す。するとスズランは悲しげに眉を下げた。
「ごめんなさい。わたし、いつもライアに迷惑ばっかり…」
「へ? いや、俺は……別に迷惑だなんて、思ってない、けど…」
「っ…だって! また助けてくれたもん」
「この間も言っただろ? 俺はお前を守りたい。それだけで…って、何言ってんだ。俺こそごめん」
自分でも何を言ってるのか分からなくなり、何故か謝ってしまう。 スズランの火照って赤い頬が更に赤く染まった。
「ありがとう…。ライア」
「大した事ない。他に頭痛とかはないか? 何処か痛かったら治してやるから遠慮なく言えよ?」
「……も、だいじょうぶ…っ」
「そうか。でもその様子だと今日は泊まって行った方が良さそうだな」
「と、泊まるの?」
泊まると聞いて不安そうなスズランを安心させようと、冗談めかして笑って見せる。
「お前に無理させたら俺がマスターに怒られる」
「っでも!」
「明日、ちゃんと朝一で酒場まで送るよ。さあ、スズランはこのままベッドを使えばいい」
「ラ、ライアは?」
見上げてくる瞳は薄らと潤み、頬は赤く息もまだ少し上がっていて絶妙な色気を放つ。
「っ…俺は奥の部屋の長椅子で寝るから心配要らない。じゃあ、俺も湯を浴びてくるからお前はいい子で先に寝てろよな!」
ラインアーサは早口でそう言い残し、浴室へと足早に駆け込んだ。
「──っなんだよ、あの顔! 何処がお子様だ…っ」
湯を浴びると言ったものの、ラインアーサは頭から水を被って冷静になろうと努めた。
「……あんな顔しないでくれよ」
ラインアーサは揺らぐ理性を必死に立て直そうとした。そして今度は湯船の熱い湯に浸かり、気持ちを切り替える。
湯から上がり簡素な上着を纏って浴室から出ると、スズランはベッドの上にちょこんと座っていた。
「スズラン…! なんで寝てないんだよ! それに湯冷めするだろ?」
「ライア…」
「どうした?」
「何だかよく分からないけど怖いの。わたし、黙ってお店出てきちゃったし、それに旧市街に来たのも初めてで…」
見知らぬ場所に来て不安なのだろう。うつむき、小さく震えるスズランの肩に毛布を羽織わせる。ラインアーサはベッドの側にある椅子に腰を掛けるとスズランに質問を投げかけた。
「スズランは何でそうまでして俺の所に来たの?」
「っだって。わたし、ライアに嫌われたくなくて…」
「どうして?」
「え…?」
「その嫌われたくないって、どういう意味?」
「わ、わからないの。でも、わたし。ライアに嫌われたらすごく悲しいの…!」
気が付けばスズランの瞳からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
「な! 何で泣くんだよ…!!」
「わかんないっ、わかんないよ…!」
慌てて立ち上がりベッドの側面に屈んで顔を覗き込む。はらはらと涙を零す姿に心臓が大きく脈を打った。
「ああ……泣かないでくれ。そ、そうだ! 腹が減ったんじゃあないのか? 今お茶を淹れてやるから待ってろ」
「……お茶? そういえばわたし、お昼から何も食べてない…」
「なら尚更何か食べないとな」
その拍子にスズランのお腹の虫が大きく鳴いた。
「っ!! ご、ごめんなさい!! ……はずかしいっ」
「っふは! 気にするなよ……くくくっ」
「いやぁーー! ライアの馬鹿ぁ!!」
泣いていたのも忘れ恥ずかしそうに頬を染めて膨れる姿に堪えきれず吹き出した。するとますます頬を膨らませる。次々と表情を変えるスズランから目が離せない。
ラインアーサはジルに焼き菓子を注文し、その間に香草茶を淹れ直した。それを美味しそうに飲み、黙々と焼き菓子を頬張る姿が何とも可愛らしい。つられて焼き菓子を一つ摘まむと口の中に甘い味が広がり、疲れが和らいでゆく気がした。
「おいしかった……です。ごちそうさまです」
「ん。さあ、そろそろ眠らないと。明日は朝早に宿を出るから」
「うん。それでね、あの。わたしならもう平気だからライアがベッドを使ってね?」
「は? 何言ってるんだよ。俺は奥の部屋で寝るし、スズランがベッドを使えよ」
「でもこんなに広いベッドに一人で寝るなんて何だか落ち着かなくて。わたしの方が小さいんだし、長椅子で十分だよ」
「駄目だ。長椅子だと疲れが取れないだろ? それに毛布もないから風邪を引く。大人しくここで寝てくれって」
「だめ! それじゃあライアが風邪引いちゃう」
「俺は平気なんだよ…!」
「わたしだって大丈夫だもん!」
スズランは意外にも頑固だった。
「なんだよ…。心配して言ってるのに」
「しんぱい、してくれるの?」
「…っ! お前に何かあったら、マスターやセィシェルの奴に何を言われるか分からないからな!」
上目遣いのスズランと瞳が合ってしまい、照れた顔を誤魔化す為また少し意地悪な口調になった。
「そうなの? あ、だったらこのベッドとっても広いから、二人で一緒に眠ればいいと思うんだけど…」
「っ…は?! お、お前何言ってるか自分で分かってるのか? それこそ何かあったらどうするつもりだよ!」
「? 何かって、何…?」
「ああ、もう!!」
真面目に聞き返して来るスズランのあどけない表情に、ラインアーサは頭を抱える。
そうしてラインアーサの長い長い夜が始まった───。
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