*遷り変わる星霜*
ひたむきな胸中-2
結局ラインアーサも酒場の中に入り、厨房隣の小さな控え部屋で借りた服に着替えた。
ユージーンの待つ客間に移動すると、ふわりとした珈琲の薫りにささくれだっていた気持ちが和らぐ。濡れてしまった服を乾かしてもらいながらひとつひとつ話の詳細をユージーンに伝える。
今現在シュサイラスア国内で起きている事件について───。
そして、首謀者の意図はまだ把握できてないが被害者の少女達が何故か未成年の孤児である事。それも内乱後にこの国へ移住してきた者ばかりが狙われていると言う事実を告げた。話を進めるごとにユージーンの顔ばせが蒼白になってゆく。やはりスズランがその条件全てに当て嵌まる事は、彼に言わずとも明白だ。
「マスター。この事件が解決するまで、絶対にスズランを一人にしないで欲しい。それとこの建物の外に出ても駄目だ。出来れば裏庭にも出てほしくない。事件は早期に解決する様、国をあげて調査するから……」
「話は分かりました。スズランには言って聞かせましょう。セィシェルにもなるべく一緒に行動する様にと伝えます」
本当は王宮で保護したい所なのだが……。ああもスズランに嫌われてしまい気の重いラインアーサはなかなか切り出せずにいた。
「……もし、スズランさえ気にならないのであれば、王宮で保護と言う手も…」
「その必要は全くないね!」
ラインアーサの説明を遮る様に、セィシェルが客間に入って来た。
「ああ、セィシェル…! スズの様子はどうだい?」
「あー。とりあえず雨にたくさん当たったから着替えをさせて、寒くない様にしてやった。あと少し寝ろって言ってきた。ここ最近ずっと寝不足だったみてえだし」
セィシェルがじろりと視線をこちらへ寄越す。まるでラインアーサの所為だと言わんばかりに。
「そうか……」
ユージーンが安堵し、短く息を吐く。
「で、さっきの話だけど。わざわざ王宮で保護とか意味わかんねぇし! スズは俺が守るからな!!」
先ほどよりも挑戦的な視線をぶつけてくるセィシェルを受け流し、正面に向き直って話を進める。
「では、マスター。今言った要点だけは守って貰えれば…」
「へっ! あんた王宮の関係者だかなんだか知らないけど、こんな物騒な事件早いとこ解決して欲しいもんだぜ!!」
そう吐き捨てるとセィシェルは客間を出て行った。
「……度々の無礼、申し訳ございません。あれも幼い頃、内乱がまだ落ち着かない頃に母親を亡くしまして……多少気が短いと言うか」
ユージーンが困り気味に苦笑する。やはりこの親子も内乱による多大な被害を受けているのだ。その事実に複雑な気持ちになる。
「マスターが謝らなくても良いよ。それより気になってたんだけど…。マスターは何時から俺の正体に気づいていたんだ?」
「初めからでございます」
「最初から?! な、何で判ったんだ?」
変装に自信がある訳ではないラインアーサだが、初めから判っていたと言われてしまうと流石に動揺を隠せない。
「いえ、私が例外なだけでございます。他の人々は貴方様がアーサ様である事には全く気付かれてはいないでしょう」
「じゃあ、何故…?」
ユージーンの口振りにますます困惑する。
「……貴方様は、お母上のエテジアーナ様と良く似ていらっしゃる」
更に突然母の名を口にされ、ラインアーサは眼を見開いた。
「母様……いや、母を知っているのか?」
「ええ…。私たちは身分は違えど幼馴染みの様な間柄でした故。それに私は曾て、宮廷料理師の仕入担当として王宮に仕えておりましたので」
「そうだったのか!」
そう言われれば納得が行く。エテジアーナを知っているならば王子だと悟られても仕方がない程、ラインアーサの顔立ちはエテジアーナによく似ている。
二人が幼馴染ならば何か知っているかもしれない。───不意にそう思い立ち、ラインアーサは半ば諦め半分に質問を投げかけた。
「……マスター。突然話を変えて悪いんだけど、母が持っていた特殊な力について…。何か知っていたら教えてほしい」
「…っ!!」
途端にユージーンの表情が凍り付いた。
「その様子だと何か知ってるんだよな? どんな些細な事でも構わないから俺に教えてくれないか?」
この話題をイリアーナやライオネルに尋ねても必ずはぐらかされてしまう。ユージーンがその能力の事を知っているのであれば、どんな小さな情報であれ得ておきたい。
「……あの、忌まわしい能力の事。でしょうか?」
「え…?」
今程まで落ち着いた雰囲気だったユージーンの声色から、僅かに怒りの様な気配が発せられる。普段は見せない厳しい表情のユージーン。
「あの忌まわしい力があったが為にアナ…、エテジアーナ様はお体を壊してしまわれたのです」
「忌まわしい能力って、古代リノ族の力の事か?」
「古代リノ族の力? ……あれがそう呼ばれる力なのかは存じませんが、元々他人の為ならばご自分の身を顧みないほど献身的な気質のエテジアーナ様には、絶対にあって欲しくなかった能力なのは確かです」
何処かで似た様な──自分の場合はもっと辛辣な物言いだが──聞いたことのある言葉にラインアーサはどきりとした。
「どんな、力なんだ…?」
「貴方様がご存知ない、と言う事はアーサ様にもイリア様にもその能力は遺伝しなかったと言う事ですね」
「……多分」
「それは良かった…。あの能力はエテジアーナ様の実の妹でも持ち得なかったのですから」
「んん? 待ってくれ。母に妹が居るのか!? 俺……知らなかった!!」
「え、ええ。マリアーナという名でして、残念ながら彼女は内乱の暴動時に亡くなっているのですが……」
「……そう、だったのか」
ユージーンがふと、寂しげな表情を浮かべた様に見えた。
「……あの能力は人が当たり前に抱く痛み、悲しみ、苦しみや恐怖や不安など、負の感情≠ノ繋がる全ての穢れ≠吸い取り、ぬぐい去ってしまうのです…。エテジアーナ様は困っている者を放っておけない方でしたから、その能力を惜しみなく発揮し身分や地位を問わず沢山の人々を救っておられました……」
「凄い! そんな術、聞いた事が無い…。だけど、何故それが忌まわしい能力なんだ?」
そんな力を持っていたならば、自身もきっとエテジアーナと同様に街の人々を救う為に使うだろうとラインアーサは思った。
「私はエテジアーナ様以外にこの能力を持つ者を知りません。そしてこの能力は多用すれば術者の身体に吸い取った負の力が蓄積する性質のものでした。では、エテジアーナ様の身に降り積もったその負の力は誰が拭い去ってくれるのか?」
ユージーンが苦虫を噛み潰した様な表情で話を続ける。
「……エテジアーナ様はそれに気付いた周りが、必死に止めるのも聞かず力を使い続けた。そうしてお身体を弱らせてしまわれたのです」
「っ…力を、使い過ぎて…?」
ラインアーサは絶句した。今まで知り得なかった事実に衝撃を受け、考えが上手く纏まらない。そんなラインアーサの心中を察してか、ユージーンもそれ以上は何も口に出さず俯いていた。
暫くの間、重苦しい空気がその場を包んだが、やっとのことで声を絞り出す。
「……マスター、色々とありがとう。俺はそろそろ、お暇するよ」
するとユージーンはいつもの穏やかな表情に立ち戻り弾かれた様にこちらを向いた。
「いえ…! こちらこそわざわざご足労頂いてしまい申し訳ありませんでした!! 我が子たちの無礼な態度にも今一度!」
「本当にいいって! マスターが煎れてくれた珈琲、美味かったし」
ラインアーサはそう言いながら平時の様に笑って見せる。するとユージーンは先程とはまた違った真剣な面持ちでこちらに詰め寄った。
「……アーサ様」
「? どうしたんだ? マスター。そんなにかしこまって」
まだエテジアーナの事について何かあるのかと聞き構える。
「不躾な事を申しあげて大変恐縮ではございますが……アーサ様はスズランを好いていらっしゃるのですか…?」
唐突に己の確信を突かれ、瞬時に顔が上気した。恥ずかしさの余り思わず掌で口元を抑える。
「マスターには、そう……見えるのか?」
「いえ、あの。ええどう考えても。違うのですか?」
最早羞恥でユージーンの顔が見れない。
「う、見えるのか……それは本人も気付いているだろうか?」
「いえ、あの子はそう言った事には疎いのです…。私が男手一つで少々箱入りに育ててしまったせいか」
ユージーンが困り果てた様に苦笑する。
「マスター。でも俺は今すぐにスズランを…って訳じゃあないんだ! 今はただ守りたい。本当にそれだけで」
「わかりますよ。私は貴方様になら…。しかし、あの子は大事なお方から…、いや。この話はまたの機会に」
「…??」
ユージーンが深妙な面持ちでそう呟いた。スズランについて何か知っているのだろうか。それはそれでとても気に掛かるが、話を切り上げられてしまったため一先ず席を立った。
「アーサ様。まだ雨は上がっていない様なので、差し支えが無ければ是非こちらの傘をお使いください」
「何から何までありがとう、マスター。あ、それと俺がこの国の王子だって事はスズランたちにはこのまま黙っていてくれると助かる。その方が街の中では動きやすいんだ」
「……仰せの通りに」
そう頷いたユージーンから受け取った赤い傘は、どう考えても女性向けのものだった。
「この傘は…?」
「返却は不要ですがもし返されるならスズランに直接どうぞ」
ユージーンはそう言いつつ意味深に微笑んで見せる。その微笑みをどう受け取ってよいかわからず、ラインアーサは苦笑を返した。
ユージーンに別れを告げ、裏口から外に出る。ラインアーサは早速傘を差して酒場の建屋を見上げた。意識を集中させ空に複雑な術式を丁寧に描き、建屋全体に風の護りの結界を張っていく。その途中、此処には弱々しいものの既に別の結界が張られていることに気が付いた。
「……以前誰かが張ったのか? まあ、用心の為に結界を重ねても問題ない筈だろう」
ラインアーサはそこまで強固な結界を張れる訳ではない。あくまでも防犯程度のものだ。ライオネルの様に魔像術自体を封じる程の強力な結界を張るには、さらに複雑な術式と膨大な精神力を要する。それを常に、王宮全体に張っているライオネル。ライオネルは常に、睡眠時間でさえも完全に気を休められずにいるという事だ。
「……父上、何故こんなに大事な事を隠してたんだ…! 母様の事。俺は知らない事ばかりじゃあないか!!」
黒く渦巻く気持ちを抑えきれず、つい声に出していた。
王宮へ戻ると真っ先にライオネルの元を訪ねた。しかし、側近のコルトからは不在だと言い渡されてしまう。次にイリアーナの元へ向かうも、姉は体調が優れないのだとリーナに門前払いを食らう。
「肝心なときに、なんだよ…! 二人とも」
つい苛々とした感情が態度と口に出てしまう。
「アーサ様? どうかなさいましたか…?」
「いや、なんでもないよ。姉上にはお大事にって伝えておいてくれ。また明日にでも見舞いにくるよ」
「畏まりました。……あの、アーサ様もあまりご無理をなさらないでくださいね? 少し顔色が優れないようですので……」
リーナが心配げにそうに声を掛けてくれた。
「ん。ああ、大丈夫だよ」
ラインアーサはそんなリーナを安心させようと笑って見せる。しかし……。
「アーサ様はいつもそう仰って無理をなさるから心配なんです!」
リーナが何時になく主張をする。
「もっと周りを頼ってくださいね? 兄だって何時もそう言っています。……それにあたしも、その、アーサ様の事心配ですから!」
リーナの必死な姿に尖った気持が和らぐ。
「ありがとう。二人にはもう十分助けられてるよ! 感謝してる。じゃあ今日はもう休む事にするよ。おやすみ」
「おやすみなさ…っあ、アーサ様!」
挨拶を交わし踵を返しかけたところで、リーナから呼び止められる。
「ん? どうした、リーナ」
「いえ、すみませんっっ! あ、あの…。これ、この間のお礼です!!」
何故か慌てふためくリーナから手渡されたのは、三色菫の押花で作られた栞だった。
「綺麗だな。リーナが作ったのか?」
「はい! 以前選んでいただいた鉢植えのお花で作りました…。よ、よかったら使ってくださいっ!」
「俺、本当は礼をされる様な事してないんだけどな。でもありがとう、大事にするよ」
苦笑しながら栞を懐へ仕舞うと、ラインアーサはリーナの頭に優しく手を置いた。
「今度こそおやすみ」
「っおやすみなさいませ…、アーサ様!」
いつまでも恭しく頭を垂れるリーナに早く部屋へ戻るよう促し、ラインアーサも自室へと戻った。今日は一日のうちに色々な事があった。
明日も忙しくなりそうだ……。
────スズラン。結局彼女を王宮で保護する事は出来なかったが、細心の注意を払って様子を見よう。他に気がかりなのは母の事だ。エテジアーナの能力を隠されていたのはとても衝撃だった。妹がいた事すら知らなかったのだ。
しかし今はそれよりも、早く事件を解決させなければと気持ばかりが急く。未成年の街娘がこれ以上被害にあっては民の不安が募るばかり。ラインアーサは何から手をつければ良いのかを必死に考えた。
「……民の安全が最優先だ」
様々な思いを飲み込むとラインアーサは深い溜息をつく。明日朝一でライオネルに報告も兼ねて相談をしよう。
「ハリとジュリには悪い事をしたな。それも謝らないと……」
ラインアーサは自室の浴室で熱めの湯に浸かりながら一日の疲れを解した。けれどもやはり最後には、あのスズランの縋る様な眼差しを思い出す。締め付けられる胸の痛みを誤魔化す様に自虐的に笑ってみる。
「はは、初恋は実らない、か。よかったじゃあないか……ああも嫌われれば諦めがつく」
喉の奥が張り付く。それを更に誤魔化そうと、頭を左右に激しく振り立ち上がった。
「失恋の痛手にはやっぱり酒かな…。いや、やめておこう」
床に就くと酒に頼らずとも急激に睡魔がやってきて、ラインアーサはそのまま朝まで泥の様に眠った。
遷り変わる星霜 終
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