*遷り変わる星霜*

事件-2


 週末。ラインアーサは公務を早めに切り上げ、王宮の書庫にて古い書史や術に関する辞典などを読み漁っていた。数少ない移動術関連の文書にはやはり古の術としか書かれておらず、どの本を見ても詳しいことは解らなかった。
 古代リノ族の事が書かれている書物も存外少なく、今にも表紙が朽ち果てそうな古い書物にのみ数頁にわたって詳しく書かれている。しかし文字が掠れており所々読めなくなっていた。
 薄暗い書棚の間でその頁にを読むのに熱中していると、突如後ろから目隠しをされどきりとした。

「うわっ!?」

「うふふ、珍しいわねアーサ。こんな所でお勉強?」

「あ……姉上!」

 振り向くとイリアーナが手押し車の台にお茶の用意と焼き菓子を載せてにっこりと微笑みながら立っていた。

「何をそんなに熱心に読んでいたの? こちらに来て少しひと休みしない?」

「ありがとう姉上! ちょうど小腹が空いてきた所だったんだ」

 イリアーナの提案にラインアーサは嬉々として本を閉じ、早速手押し車の上から焼き菓子を一つ摘まんだ。

「もうアーサったら…! 今日は果物入りの焼き菓子を焼いたのよ。たくさんあるから食べてちょうだいね?」

 焼き菓子を口いっぱいに頬張りながら頷く。
 明るい窓際の机にお茶の用意をし、焼き菓子の乗った皿を並べるイリアーナ。
 ラインアーサはお茶を飲みながらふと思った。イリアーナの属性は風と炎だ。実の姉弟でありながら、自身の持つそれとは異なる。

「なあ、姉上…」

「なあに? アーサ」

 焼き菓子を食べるラインアーサを微笑ましく見守っていたイリアーナが機嫌良く返事をする。

「姉上の属性って、風と炎の属性だろ? やっぱり光の属性は使えないの?」

「まあ! 属性について調べていたの? ……そうね、わたしの属性はお父様から受け継いだ風と炎の力。残念ながらお父様からも、お母様からも光の力は受け継がなかったのよ」

「うん、俺も父上の炎の属性は継がなかったみたいで炎は使えないんだよな。当たり前だけど」

 何時になく真面目な声で話すラインアーサにイリアーナは不思議そうに首を傾げた。

「それがどうかしたの? アーサ…」

「でも父上は風と光と炎の三つ属性を持ってるだろ。それって持って生まれる才能みたいなものなのかな?」

「そうね。両親から受け継ぐのだから、生まれる前から決まっているのかしらね…? わたしも良くは分からないわ」

「生まれる、前から…。ああ、あと姉上は母様かあさまが古代リノ族の潜在能力を秘めていたって知ってた?」

 何気無く古代リノ族の話題に触れてみる。しかしイリアーナからの返答はない。

「姉上?」

 イリアーナの表情を確認すると、瞳を見開いたままで心ここに在らずといった感じであった。

「……」

「姉上ってば! 具合悪いの? 顔色良くないみたいだけど、癒しの風使おうか?」

「……えっ? あ、大丈夫よ! ちょっとお茶を濃く淹れすぎちゃったかしらと思って…」

「? ……そんな事ないけど」

 イリアーナの態度があからさまに一変した。自らの手元をじっと見つめている。その手元も僅かに震えていた。

「姉上! やっぱり具合が悪そうだよ。リーナを呼ぶから部屋に戻った方がいいかも」

「……そうね、そうしようかしら」

 呼ぶとリーナはすぐにやって来て、心配そうにイリアーナを連れて書庫から退室していった。

「どうしたんだ? さっきまでは元気だったのに…。やっぱりブラッド兄様にしばらく会えてないから寂しいのかな」

 ラインアーサは冷めてしまったお茶を飲みながら、調べ物へ戻ろうと先程の古い書物へ手を伸ばした。しかし、先程まで読んでいた筈の書物はそこには無かった。

「あれ? おかしいな、書棚に戻したっけか…」

 その後くまなく書棚を探したのだが、古のリノ族について書かれたあの書物は見つからなかった。

「まあ……いいか。掠れて文字も読み難かったしな」

 読めた部分のみを頭の中で反芻はんすうしつつ、まとめてゆく。
 ───古代リノ族は今のパルフェの人種に近い存在で、やはり光の術を扱えるようだった。だが、それ以上の違いがわからない。

「古代リノ族の潜在能力ってなんだろう…。父上なら知ってるかな」

 夕方になり薄暗くなった書庫を退室すると、ラインアーサはライオネルの執務室へと足を向けた。執務室の扉を軽く叩くも部屋の中からの返事はない。何時もならこの時間帯には大抵此処に居るはずなのだが。

「父上、いないのか……自室かな?」

「ライア。何かありましたか? 陛下なら本日はお出掛けで遅くまでお戻りにならない予定ですが」

「ハリ! そうなのか。教えてくれて助かるよ!」

 廊下を通りかかったハリにライオネルの不在を知らされる。そこでハリの顔を見た途端、ふと別の用件を思い出した。

「そうだ。明日なんだけど俺も旧市街に出かけようと思うんだ。けどジュリを連れて行くから、ハリは同行しなくても手は足りるんだけど…。どうする?」

「……そうですか、ならば私はいつも通り王宮で内勤の仕事をこなしますね」

「別に明日は休日なんだから、一日くらいゆっくりしてもいいんだけど? …って言ってもハリは本当真に面目だからなぁ」

 この機会に日々淡々と仕事をこなすハリに休みを与えるつもりだったが、本人に休む気は全く無いらしい。本人曰く何かしている方が落ち着くとの事。

「そう言うライアも今日明日は休日ですのに仕事ではないですか。それに、先日はちゃんと羽を伸ばせましたか? また少し疲れ顔の様に見えますが」

「ん? ハリ、俺の事心配してくれてるのか?」

 最近本当にハリの口数が多くなったと感じ、ラインアーサは嬉しさを露わにして笑顔になる。するとハリはラインアーサから目をそらして呟いた。

「……私はいつも通りのつもりですが」

「なんだよ照れるなって! ハリは何だか最近調子が良さそうだけど、何かあったのか? 用事があるって言ってたろ?」

「ええ。実は少し調べ物をしてまして」

「ハリもか? 俺もちょっと調べ物してて、一人じゃあどうにも詰まってしまったから父上に聞こうと思って来たんだ。でも留守にしていたんだな…」

「何について調べているのですか?」

「ああ、俺は古代リノ族について…。古代リノ族の潜在能力が何なのか知りたくて、書庫にも行ったんだけど大した成果はなし。で、ハリは何を調べてるんだ?」

 ハリは少し考える様な表情を浮かべたが、すぐに質問に答えてくれた。

「古代リノ族…? 私もあまり聞いたことないですね。───私の調べ物は自分自身の事についてですよ。最近妙な夢を繰り返し見るので……ですから、それについてジュストベル殿に相談に乗って頂いてました…」

「妙な夢? それって前にも言ってたハリの記憶に繋がる大事なものなんじゃ…!」

「ええ。ですから、本日も今からジュストベル殿の所へうかがう予定です」

「なんだ、そうだったのか…。俺、何も気づけなくて悪かったな」

「……いえ。では失礼します」

 確かにそういった事情ならジュストベルに相談するのが一番かもしれない。
 ラインアーサはあの晩に知ったルゥアンダ帝国の内情を話すか迷ったが、他言はしないとエリィと約束を交わしたので黙っている事にした。
 それでも、と。ラインアーサはハリの後ろ姿に声をかけた。

「そう言えば、ルゥアンダ帝国の人種が酒豪ってのは本当みたいだな」

「そうなんですか?」

 ハリは足を止め肩越しに振り返る。

「ああ、先日会った人物がそうだっただけで、全体がそうとは限らないけど…」

「この国にルゥアンダ人だなんて、珍しいですね」

「そうだな。でも人捜しをしているらしくて、あの時を最後にこの国を発ったんだ。時間があればハリにも会わせたかったんだけどな」

「人捜し、ですか…。なんだか懐かしいですね。その方にお会い出来なかったのは残念です」

 ハリはそう呟き、今度こそ去って行った。

「……ハリの奴、そんな夢を見てたのか。なら俺にも一言相談位してくれたって良かったのに」

 そんな悩みを抱えていたのにも関わらず、ハリから一言も相談されなかった事にラインアーサは心なしか淋しさを覚えた。


 *   *   *


「───で、それで今日ずっと元気なかったのか?」

「そういう訳じゃあないよ。最近少しやる事が多くて…」

「アーサ無理してるんじゃあないのか~? 今日の旧市街視察の為に結構仕事切り詰めたんだろ? まあ、その視察も空振りに終わったけどな」

「ああ、父上にはまだまだ敵わないよ。俺が心配するまでもなく旧市街の事を考えてちゃんと手を回してる…」

 ラインアーサは無事に旧市街の視察を終えてジュリアンと旧市街を見渡せる高台で一休みをしていた。
 一日を通して天気が良かった為、眼下には夕陽で橙色に染められた美しい街並みが広がっていた。
 旧市街・夕凪ゆうなぎの都は楓樹ふうじゅの都のある土地よりも低い土地にある。
 先々代の国王陛下が旧市街から今の都へと街を移したのだという。楓樹の都から旧市街へ行くには、坂と階段の街・ペンディ地区を通り、降りてゆかなければならない。
 治安の良いシュサイラスアでも、夜間にペンディ地区を通り抜けるのは避けた方が賢明だ。街灯が少なく足場の悪いこの区域はまるで訪れる者を旧市街へと誘い込む様にひっそりと口を開けているかの様な。───そんな場所だった。
 しかしその往来には既にライオネルの整備の手が加えられていたのだ。石畳は美しく整えられ街灯も増え、地区全体の雰囲気が以前よりも明るく変化していた。

「工事はだいぶ前から着工してたんだけど終わったのは最近でさ、おかげでだいぶ俺たちも街の警備がしやすくなったんだぜ? 本当に陛下には感謝してるよ」

「そうなのか……」

 それでもペンディ地区含め、夜間の旧市街での良い噂はあまり聞かない。
 以前スズランに絡んでいた粗暴者の件もあった為、ラインアーサは少し気を張り昼から夕暮れ時にかけて旧市街を見て回ったのだが。ラインアーサの心配は当てが外れたのか、旧市街の街並みは平和な生活を営む民で溢れており、不穏な影はどこにも見当たらない。肩透かしを食った気分だ。

「まあ、よかったじゃん? 俺たち民兵の護衛も、これまで以上警備を強化するしさ。アーサは今日まで頑張った分、少し休めば? 何かあったらすぐに知らせるし」

「勿論だよ。けど、休む訳には行かない。まだやらなきゃならない事はたくさんあるんだ」

「それってハリの事か? あいつお前に何も相談してこなかったんだろ。だったら少し様子を見ればいいんじゃあねぇの? ……なあ、そんな事よりお前。あれから一度もスズランちゃんの所に会いに行ってないだろ!」

「!? なっ? ジュリ、お前またあいつに何か余計な事したのか…?」

 突如スズランの話題を持ち出したジュリアンに狼狽するラインアーサ。

「実は俺さぁ。この間スズランちゃんのいる酒場バルに同僚と飲みに行ったんだよね~」

 ジュリアンは何故か得意気な表情になる。

「はあ? 何やってんだよ…。また変なこと言ったりしてないだろうな!?」

「まあまあ。心配するなって!」

「信用出来ないんだけど…」

「いやぁ、スズランちゃんさぁ。風邪気味だったってゆーか、毎晩あの森でお前を待ってるって言ってたぞ? 本当に一度も会いに行ってないのか?」

「……毎晩?」

「そう。毎日酒場バルの仕事が始まる前と終わった後に、あの森で偽警備員のお前の事を待ってるんだとよ?」

「…っ」

 それを聞いたラインアーサは瞬きするのも忘れて黙り込んだ。

「何で会いに行かないんだよ! 昼間ならまだしも、夜間に森なんて危ないし冷えるし風邪引いて当前だろ? 俺だったら毎日会いに行っちゃうけどな~」

「……」

「なあ、聞いてるのか? アーサ。俺、健気なスズランちゃんからこう言われたんだぜ。どうしたらあの人に会えますか? だって。……お前、もう正体明かしてやれよ」

 昨晩も具合が悪く、無理をしていたのはそういう事だったとは。ならばラインアーサが風邪を引かせたも同然ではないか。
 ───夕陽が完全に沈み、辺りは徐々に薄暗くなって来ていた。

「……もう、いいんだよ。俺は」

「は? だってお前、スズランちゃんの事気になってる癖にもういいって何だよ!」

「俺みたいな奴がスズランを……純粋な子を好きになったら駄目だろ」

 昨日スズランが向けてくれた笑顔とたった今聞いた話で思い知った。
 純粋で素直で一片の穢れもないスズラン。
 それに比べ、ラインアーサのこの数年間の女性関係は褒められた物ではない。例えそれが情報を集める為の行動だったとは言え、女性たちをそういう対象に捉えていたのだから。自身にはそれを全て理解した上でも尚、動じることのないしたたかな令嬢との政略結婚あたりが似合いなのではないかと思った。
 スズランと自分は不似合いだ。ならばこの想いが募る前に忘れてしまった方がいいのだと。

「昔の事気にしてんのか? 俺と夜遊びしてた頃の…」

「ああ、俺もジュリの事言えないな。ハリにも散々女性の敵とか言われてるしな」

 そう言って軽く笑って見せると、ジュリアンは面白くなさそうに顔を顰めた。

「アーサお前素直じゃあねぇな。大体その歳で初恋とかって面倒くさい奴だぜ。そんなぐずぐずしてるとあのセィシェルとかいう兄貴面した野郎に持って行かれるぞ?」

「っ…うるさいな。面倒なんだよ、俺はあんな子供相手に本気にならないって!」

 セィシェルの名を聞かされた瞬間、ラインアーサはついムキになってジュリアンに当たり散らしてしまった。

「……どっちがだよ。俺にから言わせればちゃんと正体も明かさずにこそこそしてるお前の方がよっぽどガキっぽいぜ! それにお前たちどう見てもお互いの事…」

「何でそんなにお節介なんだよ! その話はもうやめてくれ、俺はもうスズランに会うつもりは無い。……今日は一日お疲れ様。視察に同行してくれて助かったよ。じゃあな…」

 図星を突かれ耳の痛いラインアーサはジュリアンに背を向けてその場を去ろうとしたものの、こちらに向かって走って来る一人の民兵護衛の警備員の姿を見つけ足を止めた。丁度街灯に明かりが灯り始め、その警備員の姿が鮮明になる。

「! ジュリ……あれ、エミリオじゃあないか? 慌てた様子だけど何かあったのか?」

「本当だ。なんだあいつあんなに慌てて、今にコケるぞ?」

 そう言ったか言わないかの拍子に、エミリオという警備員は石畳に足を取られ転倒した。

「うわ、まじかよ!! エミリオ! 大丈夫か? どうしたんだよそんなに慌てて…」

 肩で息をしながら起き上がろうとするエミリオにジュリアンが駆け寄り手を差し出す。

「探しましたよ、ジュリアン先輩っ…! アーサ殿下もご一緒でしたか! ちょうど良かった…っ」

「……何かあったのか?」

 普段のエミリオからはふんわりとした印象を受けるのだが、今はまるで真逆の緊迫した雰囲気を感じ取りラインアーサとジュリアンは顔を見合わせた。

「ええ、ノルテ地区で事件が起こりました! 今現在、陛下が現地にて直々に確認を取っているとの事ですが、一報によると誘拐事件のようです!」

「誘拐事件!?」

 ラインアーサとジュリアンは同時に声をあげる。

「エミリオ! もう少し詳しい情報はないのか? それに、どうしてもう現地に父上がいるんだ…?」

「詳しい事は一旦王宮へ戻ってから説明します! 既に連絡隊が戻ってきている筈ですから」

 エミリオに従い、ラインアーサはジュリアンと共に王宮へと急ぐ。王宮内は何時もより慌ただしく、出入りする警備隊や連絡隊の隊員で騒然としていた。



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