*遷り変わる星霜*
情報収集という名の-3
「それは教えられないわ。……と言いたい所だけどライアにだったら特別、教えてあげてもいいわよ?」
エリィが意味深な眼差しを向けてくる。その意味が分からない訳ではない。
「……エリィ」
「なぁに?」
以前は情報を得る為ならば、どんな事でも構わず割り切って来た。例え気のない相手だろうが、一夜を共に明かして得た情報は数知れない。増してや今回はハリに関する事だ。
だが、どうしてもその気になれない───。
「エリィ、そろそろ中へ入らないか? 本格的に冷えてきた」
「ふふ。相変わらず釣れないのねぇ…。やぁね、冗談に決まってるじゃあないの。わたしもライアと同じよ、人捜しでこの国に滞在していたの。これ以上は話せないけどね」
「!!」
人捜しで他国に来ている。
それを知った瞬間、ラインアーサはイリアーナを捜索していた時の自身とエリィを重ねてしまった。しかも聞く限り、他言出来ない人捜しの様に感じられる。その事もまるでラインアーサ自身の時と似た様な状況ではないか。
イリアーナの捜索も他言出来ず、立場も明かせない為とても難航したのだ。公表出来ない。即ち、その国にとっての重要人物だと言う可能性が高い。
「……そうだったのか。なら今更かもしれないが、何か俺が力になれそうな事があれば…」
「無いわ。この国での収穫はゼロよ。だから一旦国に戻ることにしたの。さあ、あたしは話したわよ? それで、ライア。貴方は何者なの? 唯の旅人って訳じゃあなさそうよね」
エリィからの問いに、ラインアーサは残りの果実酒を一気に煽ると気を引き締めた。
「ああ。俺も全てを話す事は出来ない。でも俺は生まれも育ちもこの国だ」
「そうみたいね。見た所ライアのその髪の色だって珍しいみたいだけど?」
「ん? ……あ、ああ。珍しいだろ…」
髪の色を指摘され小さく動揺する。
実のところ、シュサイラスア大国でこの髪の色を持つのはラインアーサとイリアーナのみである。両親からの髪色が混ざり合ったのか隔世遺伝の表れなのか、二人共ミルクに焦がし砂糖を垂らした様な風変りな茶色の髪だ。だが公的な場に出る際には、正装としてやけに重たい飾り帽を被る事が殆どだ。
おかげで遠目からしか自分の姿を見たことがない者からすれば、アーサ王子≠ヘ単なる茶髪に見える筈なのだ───。
「あ!! そういえば。この国の王子と王女も似た様な髪の色だったわよね…! あたし、ちょうどあのお祭り騒ぎの前日からこの国に滞在してるのよ」
「お祭り騒ぎ…。ああ…」
お祭り騒ぎとは、ラインアーサとイリアーナが帰国した際の祝祭の事だ。まあ、文字通り祭りではあったが。
エリィはおもむろに立ち上がるとテーブルに手を着き身を乗り出してきた。そして、穴が空いてしまうのではと思う程にじっくりと顔を観察される。思いのほか互いの顔と顔とが近づきラインアーサは息を呑む。
「ふぅん」
「なんだよ…」
「……何でもないわ。ライアは何故ルゥアンダ帝国に興味があるの? 潜入でもするつもり? 」
エリィは何事もなかった様に椅子に座り直すとまた話を聞く体制に戻った。
一瞬。身元が割れたのかと思ったが何も聞いて来ないのを見るとそうでもないのか。ラインアーサは己の本名と身分を切り出す機会をすっかり失い、この話の流れから余計に言い出しにくくなっていた。
「いや。さっきも少し話に出したルゥアンダ帝国出身と思われる知り合いについてなんだが…。彼について色々調べたい事があるんだ」
「思われる? それってどういう事なの?」
「今日、本当は一緒に連れて来る予定だったんだが都合がつかなくてな。容姿から見てもおそらくルゥアンダ帝国出身だと思うんだが、彼は内乱以前の記憶がほとんど無いんだ」
「記憶が無いの…?」
「ああ。だから何かの手掛かりにとエリィに会わせてみたかったんだけど、あまり無理させても本人の負担になるし…」
「……そうね」
ハリが記憶を呼び起こそうとする際、いつも指先を眉間に押し当てていたのを思い出す。そして一旦その頭痛がおこると、どんなに高度な癒しの煌像術を持ってしても和らげる事は出来なかった。
「あ。ちなみに俺もある程度の煌像術なら使えるつもりだけど、それでルゥアンダに入国出来るのか? 魔像術って言うのと煌像術がどう違うのかは分からないけどな」
「少し使える程度じゃあ駄目なのよ、とても高度で複雑な術式を組まないといけないんだから」
「ふーん。それで…?」
「って! 何よ、教えないわよ? まあでも、この国の民には絶対に無理じゃあないかしらね」
「……何故、そう言い切れるんだ?」
エリィの少々癪に障る言い方には思う所があったが、そうまで言い切る理由が気になる。ラインアーサは顔色を変えず冷静に回答を求めた。
「───そうね、この国。とても治安がいいし国民の気性も穏やかで明るくて活気もあるわ…。住みやすいし街も綺麗、流石は移民から一番人気の国ね。内乱後よく此処まで復興出来たものだわ。この国の王様はよっぽどの腕利きなのかしらね? ……どこぞの皇帝らとは大違いよ」
最後の方の言葉は小声な上、強く吹く風に掻き消されよく聞き取れなかったが身内を良く言われるのは悪い気がしなかった。
「ああ、国王は民が安心して生活出来る様にと尽くしてくれているからな」
「……でも、ひとつ言わせてもらうと平和過ぎるのよ。あんな内乱があってからまだ十一年しか経っていないのに…。平和呆けもいい所よ?」
以前も軽くだがスズランに指摘されたことがあった。しかも今回は的確かつ痛い所を突かれた。
だが、ラインアーサもこのまま黙っている訳にはいかない。
「っ…しかし、民の平和を願いそれを叶える。それが王族の役目だろ!? 国王陛下は間違ってなんかいない!」
エリィの厳しい意見につい熱くなり声を荒げるラインアーサ。対しエリィは冷静に言葉を返してくる。
「そうね、間違ってなんかいないわ。でも、だからよ。だからこそこの国は魔像術が発展していない」
エリィは席を立つと街の夜景が一番美しく見える場所へと移動した。ラインアーサもそれを追い隣に立ち並ぶ。エリィは柵から少し身を乗り出し話を続けた。
「……内乱後のルゥアンダ帝国の内情は本当に最悪よ。この国みたいに一人で気軽に外なんか出歩けない、現在も国民は常に身の傍に危険を感じながら息を潜めて生活してる。国を正す統治者が不在なんだもの。民の心が荒んでゆくのも当たり前だわ……その癖、貴族達は国民を放ったらかしのまま派閥争いばかり…」
外からは知り得ないルゥアンダ帝国内の現状を聞かされ、ラインアーサは驚きを隠せないでいた。だがそれ以上に、エリィの悲壮感が漂う横顔を見て心苦しくなる。
「エリィ…」
「それに、鎖国なんて言ってるけどそんなの形だけよ。実際は列車の停車場と港が全く機能してないだけで、空間移動の魔像術さえ使えれば誰でも簡単に入国出来るわ」
「空間移動…!?」
確かにその様な手段が存在する事位は聞いた事がある。必要最低限ではあるが様々な高等術を身につけてきたラインアーサでさえ、シュサイラスア国内にその様な煌像術を扱える者がいるとは一度も耳にした事が無かった。それ故、使い方も知り得ない。
「……エリィはそれを使えるのか?」
「当然よ。ルゥアンダ帝国はこの十年の間、様々な魔像術の発展だけに力を入れてきたわ。身を守る魔像術はもちろん、他人を傷つける術…。それに今はもっと恐ろしい魔像術にまで手を出しているわ…! 空間移動の術なんて最早お手の物よ。ね? 平和主義のこの国の民に魔像術なんて必要ないでしょう?」
此方を見ながら自虐的に笑うエリィに、ラインアーサは意を決した。
「なあ、エリィ…! 一度ルゥアンダ帝国に帰るにしても、何かあったらいつでも言ってくれ。俺でよければ力になりたい」
「っなに……言ってるのよ。貴方には貴方のやるべき事があるんじゃあないの? だって貴方は…」
「困ってる時はお互い様だろ? 特に、人捜しをしているなら協力は惜しまないよ」
嘗ての自分と同じ様な状況ならば、尚更見て見ぬ振りなど出来ない。ラインアーサは真剣な眼差しでエリィを見つめた。
「はあぁ…。あたしったらなんで貴方にこんな話しちゃったのかしら。これ帝国の極秘情報なのよ? 解ってるとは思うけど絶対に他言しないで頂戴」
「ああ、勿論。分かってるよ」
逃げる様にラインアーサから目を逸らすエリィ。最早この話の流れからして、恐らくエリィはラインアーサの正体に気付いているだろう。だが他言しないと約束した以上、ライオネルを頼ることは避けた方が良い。ならば個人的にエリィの人捜しに協力し、ルゥアンダ帝国の今後について相談に乗る事位なら出来る筈だ。
「はあ。何もかも放り出して、この国の住民になれたらどんなに幸せかしら…。この数日間、本当に毎日が楽しかったわ。でも、それももう終わりなの」
エリィが楓樹の都の夜景を眺めながら独り言の様に呟く。濃紺の髪が風に攫われる姿は、より儚さに拍車をかける。
「どうして? もう少しだけでもこの国に滞在する事は出来ないのか? 人捜しだって俺も手伝うし、何だって相談に乗る!」
「ライア。貴方って結構残酷だわ…! あたし、貴方の事結構本気だったのよ?」
───エリィの煌めく二つの星がラインアーサを捉えた。なんとも言えないその表情に応えたい気持はあるのだが……。
「エリィ、俺は…」
「言わないでよ…! 他国の、それも何の身分も持たない女にこんな事言われても困るわよね。それに貴方はあの子が…。いいえ、帝国からだってとっくに呼び戻しがかかってるの。だから今夜にでもこの国を出るわ」
「今夜って…。そんなに急なのか? だったらもっと早く相談に乗っていればよかったな」
「貴方、本当に何処までお人好しなの? そんなだといつか痛い目に合うわよ? ……でもよかった。最後の日に貴方に会えて」
エリィが困った様な表情で微笑むので、ラインアーサはそれを晴らす様に笑顔を見せた。
「永遠の別れじゃあないんだ。いつかまた必ず会えるよ。あ、俺が空間移動の術を習得してエリィに会いに行こうか?」
「な、何の冗談よ!! 魔像術はそんな簡単に覚えられる訳じゃあないのよ? あたしだって長年沢山の知識と経験を積んで、やっと使いこなせる様になったんだから…!」
エリィはまたラインアーサから目を逸らし、くるりと背を向けてしまった。
空間移動の術に関しては本腰を入れて調べる必要があると感じていた。王宮に戻ったらまずジュストベルを尋ねよう。あらゆる術に明るい彼ならば、何か知っている筈だ。
気が付けば結構な時間、この戸外席に長居していた。これ以上冷たい風に当たっては、身体の芯から冷え切ってしまう。
「エリィ…。そろそろ戻らないか? 遅いし宿まで送るよ」
「先に帰って頂戴……」
エリィが背を向けたまま呟く。
「先に、って…。そういう訳にはいかない。ちゃんと宿の前まで送るって」
「本当にいいのよ、荷物なんてほとんど無いし。あたし、この景色とこの風をもう少しだけ味わってたいの…」
「……」
ラインアーサは何も言えずに、ただエリィの背を見つめていた。
「……一つだけ秘訣を教えてあげる。空間移動は、気配を感じる事が出来れば上手くいくわ。その場所の気配や人の気配でもいいから、感じ取って強く念じるのが大事なの」
「そうか! じゃあもし俺が空間移動の術を習得したらエリィの気配を探ってみるよ。ありがとう、エリィ!」
移動術の要点を教えてくれた事に嬉しくなり、思わずエリィの正面に回り込みその手を取った。
「ちょっと!? っ…もう! 貴方ってそれ、わざとやってるの? 人の気も知らないで…!! けど、貴方のその笑顔…。ルゥアンダ帝国には昇らない太陽みたいだわ。……さあ、あたしはこのまま帝国に帰るからもう行って! さよなら。ライア」
「じゃあ。俺はさよならじゃあなくてまたな、って言っておくよ」
「馬鹿……」
ラインアーサはもう一度エリィに笑顔を見せると、戸外席を後にした───。
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