*遷り変わる星霜*

風に馳せる想い-2


「おおー! 懐かしいな此処。良くお前とこの場所で遊んだよな 。森の樹の上に秘密基地とか作ったりしてさ。まだあんのか?」

「あるわけないだろ、何年経ってると思ってるんだよ……なあ、もう行かないか?」

「いいだろ、少しぐらい。せっかく思い出に浸ってるのに! ちょっとその樹のとこ行ってみようぜ」

「待てよ、ジュリ!」

 ラインアーサは動揺を隠せないでいた。
 何時この場所にスズランが現れやしないかと気を揉んでしまう。
 ジュリアンが石橋を渡り容赦なく森に入って行くのでラインアーサも仕方なく跡を追った。太い幹を付けた大きな樹の前で、ジュリアンは不意に足を止めた。

「たしかこの樹じゃなかったか?」

 ジュリアンが木の幹に手を掛けた瞬間、記憶の中ではもっと幼かった自分たちの姿を思い返す。

「ああ、そうかも。登ってみるか!」

 ラインアーサも思わず童心に返って、うろや枝に手足を掛けて器用に樹を登り始めた。

「……やっぱり、何も残ってないか。この辺に吊り床ハンモックかけて寝転んだりしたよなぁ。ジュストじい様の厳しい授業を抜け出してさ」

「意外と悪ガキだったんだな、俺ら…」

ラインアーサもジュリアンも幼い頃を思い返し苦笑した。
 高い樹の上は地上よりも澄んだ風が吹く。心地の良い風はやはりラインアーサの心を癒す。この澄み渡る風をスズランと一緒に感じる事が出来たら、どんな気持ちになるだろうか。
 ───昨晩。
 この森にスズランが来ているかもしれないという直感の様なものが微かながらも働いた。だが仮にそうだとしても、ラインアーサはどうしてもスズランに会いに行くことが出来なかった。彼女の顔を見れば、募る想いを自制しようとしてまた酷い言動を取ってしまうかもしれない。警備員≠ニしてのラインアーサには懐いてくれているのだから、自分の衝動を満たす為にこれ以上傷付けるのも、嫌われるのも望ましくはない。
 ざわめく風に想いを馳せながら、ラインアーサは瞳を伏せる。

「うん? ……おい、誰か来たぜ」

「!!」

 ジュリアンの声に、ラインアーサの心臓が跳ねた。この立入禁止区域の森に堂々と入って来る人物など決まっている。

「俺、ちょっと注意してやるよ。未来の王宮警備隊員をなめんなよっと!」

「おい待てよ、ジュリ…っ」

 ラインアーサの制止も虚しく、ジュリアンは樹の幹から颯爽さっそうと飛び降りて行ってしまう。
 予想通り、酒場バルの方面から歩いて来たのはスズランだった。彼女の姿を確認するなり、ラインアーサは心臓を強く掴まれた様な感覚に陥った。ジュリアンの様に飛び出して行けない自身へ苛立ちを覚えるも、ラインアーサはそのまま樹の上で息を潜める。

「待てそこの曲者! この森を王宮の敷地と知って足を踏み入…ってあれ? 君、スズランちゃん!?」

「きゃあっ?! ……だ、誰?」

「……え、あっれ~? もう忘れちゃった?? 俺ちょっと落ち込んじゃうな~」

 突然現れ、行く手を阻むジュリアンに驚いた様子のスズランの姿が眼下に見える。

「? ……あ、えっと、、警備隊の……ジュリアンさん?」

「良かった~! 昨日会ったばかりなのにもう忘れられちゃったのかと思ったぜ! で、スズランちゃんは何故この森に?」

「……あの。この森の警備の方にこれを返しに来ました」

 そう言うと、スズランは胸に抱えていた白い布を少し広げて見せた。

「これってマント?」

「はい…。先日わたしが寒くない様にって貸してくれたんです」

「え、待って。寒くない様にって、まさかだけどスズランちゃんは日が落ちてからの冷え込む時間帯にこの森に来たの? 此処の警備は抜かりない筈だけど、君みたいな可愛い女の子が一人で来るなんて危ないぜ? それにここは王宮の敷地内だからあまり…」

「あ、の……一応、ここの警備の方から許可をいただいてはいます。でも、ジュリアンさんがここの警備に変わったんですか?」

 スズランが弱気ながらもジュリアンに質問を返す。

「いやぁ、それはもう少し先の話ね。俺は今は民兵の護衛警備だし、今から訓練場に戻る所さ」

「そうなんですか…」

 昨日に続き何処か浮かない様子のスズラン。 ジュリアンとスズランのやり取りを、固唾かたづを飲む様な気持ちで見守るラインアーサ。

「あれ…。でもこの森に警備隊って配属されてたっけかな? スズランちゃんその警備員の名前とかわかるかな。良かったら渡しといてあげるよ、そのマント」

「あ……名前、わからないんです。警備隊の規則で教えられないそうで。顔も夜で薄暗くてちゃんとは……あ! でも背が高くて、優しくて…」

「え? 警備隊にそんな規則無いけど? 現に俺はスズランちゃんに堂々と名乗ってるじゃん!」

「そういえば、そうですね! じゃあ、なんであの警備さんは名前…」

 望ましくない話の流れにラインアーサは焦って居た。あの時咄嗟についた嘘がここで裏目に出てしまうなんて。
 狼狽えるラインアーサとは対照的に、ジュリアンは落ち着き払った様子でゆっくりと頷いた。

「……ははーん。わかったぜ! スズランちゃん。その警備員さ、俺のよーく知った奴だと思う」

「え! ほんとう? もし良かったらその人の名前、わたしに教えてください」

「ん~……名前ねぇ」

 ジュリアンが勿体つけながらちらりと視線をラインアーサに寄越してくる。

(ああジュリ……頼むから余計な事は言うなよ!)

 こういう時、ジュリアンの勘の良さを恨めしく思う。ラインアーサはジュリアンに目配せをし頭を激しく左右に振った。これではジュリアンに肯定して見せたも同然なのだが警備員≠ニライア≠ェ同一人物だと今ここで明かされるよりはまだマシだと思ったのだ。

「名前は知ってるけど、あいつ恥ずかしがり屋だからなぁ……いや、でもスズランちゃんも知ってる奴だと思うよ?」

「え…! わたしも知ってる人? もしかして…」

(ジュリ……本当にやめてくれ!)

 ラインアーサは必死にジュリアンを睨みつけるが、話の流れは完全に握られている。

「もちろん。この国に住む民なら皆知ってるさ、それに誰でも一度は見かけた事があるんじゃあないかな?」

 何故か得意げな言い方をするジュリアン。
 暗に警備員の正体はこの国の王子だと言っているのか?
 ラインアーサは国民に対してそれ程目立った行動は起こしていないつもりだが。収穫祭リコルト・フェストなどの祝祭フェスト時に、王子として公式で人前に立つこともあるがそれも年に数回の筈だ。

「そんな、それじゃ心当たりないです……」

「そう? じゃあさ、そのマント確実に本人に手渡してやるよ! ちょうど今からそいつと顔を合わせる予定だしね」

「……でも。じゃあ、その警備さんは警備隊の人じゃないって事でしょうか?」

「まぁ、そうなるかな。いやー、あいつも中々忙しい奴でさ、俺も次はいつ会えるかわからないんだ」

「そう、なんですね。じゃあ、これ……お願いしてしまってもいいですか?」

 スズランは諦めた様に小さく肩を落とすと、抱きしめていたマントをジュリアンに手渡した。

「もっちろん、まかせといて~! 何なら伝言でも頼まれようか?」

「……そんな! 平気です。でも、わたし……もう一度、あの警備さんに会いたい……です」

 スズランのその言葉にラインアーサの胸はますます締め付けられた。やはり昨晩会いに行けば良かっただろうか。

「そっかぁ! そのまま伝えとくよ」

 ジュリアンがやけに機嫌良く頷いている。おそらくいつものあの下世話な表情を浮かべているに違いない。更に調子に乗ったらしく、スズランに次々と質問を投げかける。

「ところでさぁスズランちゃん。あの男の事はどう思ってるの? 昨日は送ってもらったみたいだけど」

「あ、あの男って……えっと。ライアの事ですか?」

(ジュリの奴!! 何故次から次へと余計な話をふるんだよ!)

「そうそう! 何だかずいぶんと親しげな仲に見えたからさ」

「なっ、親しげだなんてっ! 違います!! わたしは、その……からかわれてるだけで全然相手になんかされてないもの」

 スズランが顔を真っ赤に染めて全否定する。

「……で、どう? 嫌い?」

 なんという直接的な質問をするのだろうと思いつつも、ラインアーサはスズランの回答が気になって仕方がなかった。握っていた拳にますます力が入る。喉が乾き張り付く感じが気持ち悪い。
 ───すると、うつむいたままのスズランが小さく首を横に振った。ラインアーサは瞳を見開いた。てっきり自身は嫌われていると思っていたのだから。

「……嫌われているのはわたしの方です。だっていつだって子供扱いされるし、わたしも怒ってばかりだから……ライアには呆れられてるんじゃないかな。それに、お礼を言わなくちゃ……二度も助けてもらったのにわたし、なんにも言えてなくて…」

「……ふぅん。じゃあそれも一緒に伝えとくよ」

 伝えるも何も全て聞こえてしまっている。ラインアーサは複雑な気持ちを隠しきれず、こそりと溜め息を漏らした。

「でも。何でそんな事、聞くんですか?」

「何でかって? それはあいつが俺の大事な友人だから聞いとこうと思ってさ! 君みたいな可愛い子に嫌われてたら悲しいだろ?」

 ジュリアンの少し茶目っ気のある言い方にスズランも気を許したようだ。

「ふふ、ジュリアンさんはとってもお友だち想いでいい人なんですね…!」

「まあね~。ちなみにそのライアって奴だけど、君の事全然嫌ってなんかないよ。むしろ…っうわ!?」

 物には限度と言うものがあるだろう……。
 遂に耐えきれなくなり、ラインアーサは掌に風を集め小さな風玉を作り出しそれを思い切りジュリアンに向って投げ付けた。風玉は見事に命中し、ジュリアンは風の衝撃で後ろに吹き飛び尻餅をついた。

「だ、大丈夫ですか!? ジュリアンさん!」

 目の前で突然転んだジュリアンに、スズランが驚いて駆け寄る。ジュリアンはラインアーサを見上げながら、へらりと舌を出して悪びれも無く笑った。

「ごめんごめん、大丈夫だよ。ちょっと足元をすくわれてね…」

「突然転ぶなんてびっくりです…!」

「ありがとう、大丈夫だよ」

 スズランが手を差し伸べたが、ジュリアンは一人で何事もなかったかの様に立ち上がり、身なりを整えた。

「さーて。そろそろ時間切れかな? 俺は訓練場に戻らないといけないし、スズランちゃんも今日はもう戻るだろ?」

「あ、はい。もう戻ります……マント。どうかよろしくお願いします! それとジュリアンさん、いろいろ教えてくれてありがとうございます!」

「どういたしまして。あ、俺の事はジュリでいいぜ! またな、スズランちゃん」

 ひらひらと手を振るジュリアンにスズランは深々とを頭を下げ、酒場バルの方へと足早に戻って行った。

「さ~てと、俺もそろそろ本当に戻らないとな……わっ!」

「っ……一体どういうつもりだ? ジュリ」

 ラインアーサは樹の枝から勢い良く飛び降りると、ジュリアンの目の前に立った。

「悪い悪い。つい調子に乗りすぎたっていうか……けど、お前こそどういう事だよ? 色々突っ込んでいいか?」

「ジュリに教える必要は無い…! 何勝手に話を進めてるんだよ、俺は…」

「まあまあ、ほら! でもよかったじゃん。お前あの子に嫌われてないみたいだぜ? っていうか何? 何で警備隊の振りなんてしたのかな~?」

 からかう様にニヤリとした表情のジュリアンを鋭く睨み返す。全くもって厄介な相手に知られた。

「違う。あいつが勝手に勘違いしたんだ。俺が自分からそう名乗った訳じゃない」

「へぇ。アーサはもっと器用なんだと思ってたんだが、意外と不器用なんだな」

 ジュリアンが思いがけず真面目な顔つきになる。

「お前自身はあの子と喧嘩ばっかりの癖に、警備員として接すれば素直になれるって訳か?」

「うるさい」

「───スズランちゃん、いい子だな! 特に笑顔が可憐でさ。お前が惚れるのもわかるぜ? んー、けどちょっと鈍いな。だって普通は気がつくだろ。いくら暗がりの森の中でもさ、どっちもお前なんだから」

 ラインアーサもそれは感じていたが、スズランはやはり少し鈍感なのだろうか。

「スズランはただ純粋なんだよ…」

「うわそれ結構重症だぞ、お前! だったらもう何も考えずに全て打ち開ければいいじゃん。でないと後々言い出しづらくなるぜ?」

「分かってはいる……自分で何とかする。それでもしまた余計な事をしたらただじゃあ置かないからな、ジュリ!」

「はいはい。そんな怒らなくても良いじゃん。頭固いなぁ」

「ジュリが何も考えなさすぎなんだよ」

 そう口では言いつつ、今後もスズランに打ち明けるつもりはない。この想いは諦めるつもりでいる。しかしどうだろう。嫌われていないと知った瞬間、全身の細胞が歓喜で沸き立った。思いとは裏腹に感情は素直だ。
 ラインアーサはどうすれば良いのかわからなくなっていた。何故こんなにもスズランに心惹かれるのだろう。いつからこんな気持ちを抱くようになったのか。

「あ、でもさ。俺が思うにスズランちゃんは警備員としてのお前よりも素のお前の方に好意があるっぽいな!」

「……適当なこと言うな」

 どう考えても自分自身より警備員としてのラインアーサになついているではないか。

「俺の勘は当たるんだぜ! お前こそもっとスズランちゃんに優しくしてやれよ? アーサはちっとも女心を理解してないな」

「ジュリに言われたくない」

「おいおい。百戦錬磨のジュリアン様のご意見だって言うのに、少しは信じろって!」

「ったく、自分で言うなよ…」

 果たしてそれは自慢できる事なのか謎だが、ジュリアンの勘の良さは身を以て理解している。だからと言ってスズランがラインアーサを気にかけている様には到底思えなかった。まだ何か言いたげな表情を向けて来るが次の瞬間、遠くで鐘の音が鳴り響いた。街のほぼ中心部に建てられている時計塔が午後一番の時を告げたのだ。

「げ! もうそんな時間か!? 午後の号令かかっちまう! 悪い、アーサ。俺もう行くぜ」

「余計な事するからだ、お前なんて遅刻すればいい」

 ラインアーサそう言い捨て、王宮へと踵を返そうとしたがジュリアンに呼び止められる。

「ちょっと待てって! ほらこれ。スズランちゃんから預かったマント! あと、旧市街に行く日取りが決まったら連絡しろよ? 俺だって一応お前のこと陛下に頼まれてるんだからな! ……じゃあ!!」

 そう早口で言い終えるや否やラインアーサの腕にマントを押し付け、ジュリアンは脱兎の如く森を飛び出して行った。

「ジュリの奴……頼りになるのか、ならないのか。余計な事しやがって」

 受け取ったマントを広げると、スズランの移り香なのか僅かに甘い香りが広がりラインアーサの心をかき乱すには充分だった。しかしラインアーサはマントを羽織らずにたたみ直した。

「俺には俺のやるべき事が……か」

 色恋にうつつを抜かしている訳にはいかないと自分に言い聞かせる。
 それからラインアーサは公務に終われる日々を過ごし、敢えてこの森へ足を運ぶ事はしなかった。



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