*旅の終着*

恋心-2


「あ、こっちよ! ライア!! ふぅん? 今日も来たわね。もう何日目かしら? よく続くわねぇ、うふふ」

 誤解が解けない理由の一つ、エリィだ。
 エリィはラインアーサがカウンターに席を取ると意味深な笑みを浮かべ様隣に座る。あの日出会ったエリィは服装、化粧共にとても華やかで派手な見た目の女性だ。以来エリィは酒場バルでラインアーサを見かけると何かと纏わり付き離れない。
 流れる濃紺のうこんの髪に星の様な色の瞳が印象深く、誰が見ても認める程の美女だ。その上、服装はやけに露出が高い。
 そこへ理由の二つ目、セィシェルがやって来るともう最悪だ。

「また来たのかよ変態男! 何度来たってスズには絶対会わせないぜ!!」

 そう悪態をつきながら渋々注文を取るセィシェルに、毎度の事苛立つ。エリィのおかげなのかは怪しいが、どうやら一番不名誉なロリコン°^惑はどうにか晴れた様だ。だがまだ変態≠ニいう呼称が残っている。

「ここまであの番犬ナイト君から嫌われてる人、初めて見たわ……なにも酒場バルはここだけじゃあないんだしいっその事店を変えたら? あたし、他にもいい雰囲気の酒場バル知ってるけど一緒にどお?」

「俺はスズランに話があって来てるんだが……」

 不名誉な誤解を解く為に。

「ふふふ、ライアって意外と一途なのねぇ。スズランちゃんが羨ましいわ」

「別に。俺は誤解を晴らしたいだけで特にそういう感情は無い」

「あら、そぉ? ならあたしの誘いに乗ってくれても良いじゃあないの。ね、マスター?」

「………」

 この酒場バルのマスターはどんな話題を振っても無言でうなずくのみだ。
 実際ラインアーサはエリィの様な歳上の女性の方が相手しやすく、好みである。今まで交流してきた女性も殆どが歳上だ。だがこの酒場バルにはそういった目的で来ている訳では無い。
 極め付けに三つ目の理由。エリィはやたらと女性の知り合いが多く、時に集まってくる女性たちに囲まれてしまう。それはもうハーレム状態であり、まるで遊び人の様に見えるだろう。そんな時に限って、その様子をスズランに目撃されてしまうのだ。決まって不快げな視線をこちらへと投げつけてくるスズラン。もうそろそろ心が折れそうだ。
 唯一の救いはこの酒場バルのマスターであるユージーンには何故か気に入られてる事。息子のセィシェルと良く似た顔立ちだが、性格は真逆でとても落ち着いた雰囲気の渋い男性だ。

「ふぅん。そんなにあの子とお話しがしたいのなら待ち伏せでもすれば?」

 待ち伏せなど、ますます嫌われそうな気がするが。何故誤解を解きたいのか、何故スズランに嫌われたくないのか、自分でもよく分からない。強いて言えば女性に嫌われるのはこれが初めてなのだ。それで躍起やっきになっているのだろうと思い当たる。ラインアーサは短く息を吐いた。

「今日はもう帰るよ」

「あら、今来たばっかりなのに? じゃあその手付かずのオリーブとチーズのお料理、あたしが頂いちゃおうかしら?」

「……どうぞ。て言うかエリィは人の料理を取るのが趣味なのか?」

 初めて会った時もラインアーサの料理を勝手に食べていたのを思い出し、つい笑みがこぼれた。

「だって勿体無いじゃあないの! それはそうとライア。貴方って笑顔がとっても素敵なのね。ねぇ、もう一度笑って見せて?」

「いや……またな」

 うっとりとエリィの頬がほんのり赤く染まった。そういえば笑うの自体久々だと思いつつ席を立つ。
 笑顔といえば、スズランの笑顔がもう一度見たいのだ。花が綻ぶ様な……あの愛らしい笑顔。セィシェルと話す時や客への対応時、スズランはよくその笑顔を見せる。煌めく虹色の瞳を細めて可愛らしく笑うのだ……。しかしラインアーサを見る瞳だけはとても冷たい。嫌われているのだから当然だが。
 もう酒場バルに通うのは今日で終わりにしよう。かなり敗北感は残るものの、これ以上ライオネルやハリの心労を増やすよりは良いだろう。

「未成年の子供相手に大人げないか……」

 エリィと別れ、会計を済ましたラインアーサは森の中を通り抜けようと、酒場バルの裏手に回り込んだ。丁度その瞬間、建物の裏口が開き酒瓶の入った木箱を重そうに抱えた人物と出くわす。今にも落としそうな危なっかしい様子につい声が出た。

「っ! ……危ない!!」

「きゃ!!」

 突然の大きな声に驚いたのか限界だったのか案の定、木箱は派手な音を立て地面に落下した。

「ああっ! またセィシェルに怒られちゃう……何本か割れちゃったかなあ?」

 覚束ない手付きで瓶を確認するスズラン。そんなに安易に瓶に触れたら……

「っい た!」

 予想通りの展開にラインアーサはため息を吐きながらスズランに歩み寄る。

「……お前、何やってるんだ?」

「あ、あなたは……ライア!」

(っ!!)

 唐突に名を呼ばれ、どきりとした。しかしラインアーサの姿を確認するや否や、スズランの顔が一気に引きつる。やはり実際に何かをした訳でもないのに、そんな反応をされるのは気に食わない。

「あ、あなたこそ……何故ここにいるの?」

 こちらを訝しむスズランの表情に慌てて状況を説明する。

「おい、別に待ち伏せとかじゃあないからな? 今から帰るとこだったんだ!」

 思わず森の方を指差してから、しまったと言わんばかりに口元を押さえた。まさか王宮へ戻るから森を通るのだとは言えない。

「帰るって……でも、その森は王宮の敷地でしょ?」

「ち、近道だ。俺の家はあっちなんだよ……」

 方角で誤魔化したつもりだが暫くの間、その場が重苦しい空気の沈黙に包まれる。
 ぽたりと、スズランの細い指先から鮮血が滴り落ちた。

「っ痛」

「手、見せて」

「……でも」

 ラインアーサが手を差し出すと、あからさまに怯えた表情になる。

「いいから」

 強引にスズランの手を取り指先の傷を確認した。この位の傷ならば簡単に治療出来る。
 イリアーナ同様、ラインアーサも風の息吹アイレ・アリェントを借りた癒しのルキュアスが得意だ。シュサイラスアに古くから住まう民は皆、元より風の息吹アイレ・アリェントを感じ取る事が出来、日々の生活を助ける程度のルキュアスを扱うことが出来る。だが王族である場合、術力、技量共に一般の民とは比べ物にならない程高く、より高度な技も使うことが可能だ。
 ラインアーサはてのひらに風を集め、その風をスズランの指先に向かってそっと吹きかけた。
 暖かくそよぐ風に、傷が癒されてゆく。瞬く間に傷が塞がり、スズランの華奢な指先は元通り綺麗になった。

「……なおった…の?」

「ん、一応治したけど……帰ったら念の為消毒した方がいい」

「……あ、の……どうして治してくれたの?」

 スズランと瞳が合う。
 美しく煌めく瞳に、今は怯えも感じられない。

「お前さ……なんで俺にだけそんな冷たいの? 俺、何かした? 礼ならいらないから教えてよ」

 今なら素直に話してくれるだろうか。

「だ、だって、セィシェルが……あなたに近づいたらだめって。あぶないから……」

 危ない!? セィシェルはどの様にラインアーサの事を話して聞かせているのだろうか。無性に腹が立って来た。だがセィシェルに対する苛立ちよりも、スズランの無防備な表情と先程から鼻先をくすぐる花の様な香りがラインアーサの判断を狂わせる。

「……危ないって、どんな風に?」

「え?」

 スズランの少し呆けた様な顔を見つめていたらどうでも良くなって、無意識にその唇に手を伸ばしていた。

「例えば、こうとか?」

 瞳をそらさずに親指で唇をなぞる。
 てのひらの中で僅かに身動ぎするスズラン。しかし、戸惑いながらもあどけない表情でこちらを見つめ返してくる。

「……? …」

 今から何をされるのか想像すらつかないのだろうか。不思議そうな瞳が淡く煌めいて見えた。
 ラインアーサはゆっくりその表情を堪能してから、スズランの唇に自身のそれを押し付けた。薄く開いていた唇を吸い、探る様に舌を入れてかき回すと今度は大きく反応を示した。はじめは抵抗するも、暫くすると次第に大人しくなりスズランは力が抜けたのかその場にへたり込んだ。
 先程までの苛立ちは不思議と消えていて、気分が良くなるとラインアーサはわざと意地悪な笑みを浮かべて囁いた。

「いい反応……誘ってんの?」

「なっ! ……なっ!!?」

 首筋まで真っ赤に染まったスズランが必死に抗議するような目付きで睨んでくる。その瞳には薄っすら涙が滲んでいて、ラインアーサをますます掻き立てた。今ならセィシェルの気持ちが多少理解できる。確かにスズランは無防備過ぎるほど純真で見ていて危なっかしいのだ。
 まだ大人になり切っていない、故に無防備で真っさらな少女、スズラン。

 ラインアーサは知らない。色恋においては、今まで嘘や駆け引きなど多少割り切って異性と交際してきた為、自分の気持ちを素直に伝える方法を知らないのだ。
 仄かに湧き上がる純粋な感情に正直になれない。

「おい、スズ? まだ片付かな……なっ? 変態野郎っ!? 何であんたが此処に居るんだっ! ……まさかスズに何かしたのかよ!?」

 突如裏口からセィシェルが現れた。刺す様な視線でこちらを睨みつけながら勢い良くスズランに駆け寄りラインアーサの前に立ち塞がるも、スズランの腕を掴んで無理矢理立たせると、その細い腰に手を回し強引に引き寄せた。

「セィ、シェル!? やだっ、はなして!」

 セィシェルはラインアーサを睨みつけたまま性急にスズランの頬へ唇を押し付けた。スズランはますます真っ赤になり俯いてしまった。

「っ…!!」

「あんたは女なんて不自由しないし誰でも良いだろーけど、俺はずっと前から一人って決めてる! だからスズに手をだすなよ!!」

(っ…女に不自由していない、誰でも良い、だと?)

 その物言いにまたもや言われのない苛立ちを感じる。だがそんなことよりもセィシェルの真っ直ぐな想いに激しく動揺した。その動揺を隠す様にラインアーサは咄嗟に、売り言葉に買い言葉の如くセィシェルを嘲笑った。

「へぇ。子供ガキ同士お似合いじゃあないか……安心しろよ、俺は年下は好みじゃあないんでね」

 だがすぐにこれは負け惜しみだと自分でも分かった。これは堂々と気持ちを相手に伝えたセィシェルに対する、悔し紛れの空威張りだ。

「そんなこと言っても信じるもんか。あんた、何時だってスズを目で追ってる癖に……自分で気づいてないのか!? 本当にそう思ってるならもううちの店に来るなよ、迷惑だ!」

 やはりもうこの酒場バルに通うのはスズランにとっても迷惑だろう……。

「ああ、俺はこの酒場バルにはもう…」

「二人とも、わけわかんないっ!!」

 この酒場バルにはもう来るつもりはない。そう告げようとしたが突然スズランが叫ぶ様に声をあげた為かき消された。怒っているのか俯いたまま肩を震わせている。

「スズ!?」

「なんで二人が喧嘩するの? ……わたしが迷惑かどうかなんて、わたしが自分で決めることだわ!」

 スズランの言葉にはっとする。
 全くその通りだ。周りがどう口出ししようと、決めるのはスズラン本人なのだから。

「わたし……仕事に戻るね」

 スズランはセィシェルを押し退けると酒場バルの中へ早足で戻って行った。

「待てよ! 俺も戻るって……スズ!! おい、変態! スズはあんたなんかに絶っっ対渡さないからなっ!」

 そう振り向きざま吐き捨てながらセィシェルも酒場バルの中へと走り去った。
 ───本当はわかっていた筈だ。ただ認めるのが怖くてそれらしい理由を付けていただけで、誤解を解きたいのも、嫌われたくないのも……この酒場バルに毎日通ったのも……。
 スズランが初恋の相手だからではない。王宮の森で再び出逢った時からずっと心がざわついていた。花が綻ぶ様に愛らしく笑うあの顔をラインアーサにも向けて欲しくて躍起やっきになっていたのだ。
 見た目と中身が少し不均衡で見ていると危なっかしい。まだあどけなさが残っている癖に妙に色気のある表情をする少女。口付けた時、花の様に甘くて透明感のある香りがいっそう濃くなり脳が痺れ、なんとも言えない幸福感で満たされた。スズランがその場にへたり込むまで離せなかった。
 セィシェルがスズランの頬へ唇を寄せた瞬間、酷く心がざわついた。自分の行為は棚に上げ、目の前がカッと熱くなった。

「っ……何だよ、これ……」

 心の中に渦巻く感情……これは嫉妬だ。
 ラインアーサは初めて嫉妬と言う感情を知り、胸が焦げ付いてしまうかと思った。同時に、真っ直ぐスズランに気持ちを伝えたセィシェルが羨ましかった。咄嗟の強がりは何の効果もなく、唯の負け惜しみ。
 無防備で真っ白で、何色にも染まっていない。弱々しいかと思いきや、自分の意見を明確に主張出来る不思議な少女。

 スズラン。もう一度会って、話して、自分のこの気持ちを確認したい。

「いや……もうだいぶ、重症じゃあないか」

 強く、それでいて繊細な気持ち。
 ラインアーサは額に手をあて、空を見上げるも瞳を閉じた。ひんやりとする風が吹きつける。燻っていたラインアーサの心の炎は消えるどころか煽られてますます強くなっていた。



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