*旅の終着*
夢の続きを-2
「あ、あの……お客さん…?」
鈴を転がす様な澄んだ声に呼ばれ、我に返る。
「君、さっき店の裏で…」
「??」
髪型が違うからなのかマントを脱いだからなのか……。先程警備隊員≠ニして出逢っているのだが、ラインアーサと同一人物だと言う事に気付いていない様子だ。それならば早々に名を名乗り、彼女の名を聞き出せば良い。情報収集ではないとなると、それこそ個人的なナンパという事になるのだろうか? などと考えるもラインアーサは椅子から立ち上がり、笑顔で店員の女性に明るく声をかけた。
「俺の名前はライア! 君は? 良かったら君の仕事が終わった後一緒に…っぐあっ!?」
突然脇の辺りに衝撃が走る。身を屈めて脇腹をさすっていると頭の上から先ほどとは程遠い低い声が降ってきた。
「お客さん……注文は以上ですか?」
そこには店の入り口で席を案内してくれた若い男性店員が立っていた。そして何故か拳を握っている。ラインアーサの脇腹を小突いたのは、その拳である事は間違いない。
「ちょっと、何するんだよおにーさん。今の結構痛かったんだけど?」
わざとらしく脇腹を擦りながら睨みつけると、その店員の後ろに隠される様にあの女性が立っていた。
「セィシェル…! わたし注文くらいちゃんと取れるよ? もう子供じゃないっていつも言ってるのに!」
「今日はもういい……スズはもう上がるか裏の片付けに回っとけ。また忙しい時に料理とか運んでもらうから」
「でもっ、少しくらい手伝わせて! 今日は特別忙しいんでしょ?」
「平気だって言ってるだろ!」
何やら二人で揉めているようだがラインアーサは注文の事などすっかり忘れていた。何故ならたった今聞こえてきた名前が、ラインアーサの頭の中を支配してしまったのだ。
スズと呼ばれる先程出逢った、この女性。
ラインアーサの幼い初恋相手の名と重なる。そして、思い切り脇腹を小突いて来たこの男性店員の名はセィシェル。
遠い記憶が呼び起こされる────。
もはや間違いないだろう。
ラインアーサは呆然と二人を見比べた。
「お客さん、注文の追加は構わないけどうちの店員に個人的に声をかけるのは……んん? あんた! まさか……ライアとかいう変態ロリコン男か!?」
「は? 変態ロリコン?!」
言われのない呼称にラインアーサは憤慨し顔を顰めた。
「セ、セィシェルの知り合いなの?」
「こんな奴、知り合いなもんか!!」
セィシェルはスズをラインアーサから隠す様に立つと、思い切り睨みつけてくる。思わずラインアーサも睨み返した。
「……っ」
「何だよ……あんた。またスズにちょっかい出す気か? 余計な事したら今度こそただじゃあおかないからな」
「また? 余計な事、だと?」
「セィシェル…。何のこと?」
ラインアーサは余計な事をしただなど微塵も思っていないが。
「スズは気にしなくていい。あの時はまだ小さかったから覚えてないだろ? こいつのせいで大変だったんだ……それに前に教えただろ、変態でロリコンっぽい男がいるって話」
ほぼ聞こえているがセィシェルがそう耳打ちすると、スズの表情が一瞬強張った。途端にラインアーサを見る視線が怯えた物に変わる。その眼差しに、ラインアーサは頭をがつんと打ち付けられたような衝撃を受けた。今のはどう考えても嫌われたに違いない。
「っ…おいちょっと待て! 俺はロリコンでもなければ、変態でもない! 何を勝手な事…」
「どーだか! スズにあんな事をしておいて…。それにあんた四、五年前にうちの店でよく何人もの女に囲われてただろ。まるで女を侍らせるみたいにしてんの何度も目撃したしな」
四、五年前と言えば───。
確かにラインアーサはこの酒場に何度も足を運んでいた。その時こそ本当に情報収集が目的で来ていたのだ。地方や他国出身だという女性とよく酒の席を共にした。国内に居ては掴めない事物。地方や他国からもたらされる有力な情報の為ならば、一夜を共にした女性も何人か居たのは認める。
当時のラインアーサは行方不明の姉の居場所を探るためならば、どんな些細な事でも把握する為の手段を選ばなかった。おそらくセィシェルはその時期の事を覚えていて言っているのだろう。
「とにかくこいつは女好きの変態には違いないだろ! スズには絶対に近づかせない!」
「…っ!」
「……でもセィシェル、注文はどうするの?」
それでもまだラインアーサを客として扱おうと、スズが目線を合わせてきた。しかしそれも一瞬でそらされてしまう。
「……じゃあ、それ食べたら帰ってくれ」
セィシェルは乱暴にそう言い捨てると、スズの手を強引に引きながら店の奥へと戻っていく。ラインアーサは何も反論出来ず、ただ二人の後ろ姿を眺めていた。
「……」
「───ねぇお兄さん。旅の人?」
唐突に背後から声を掛けられる。 声に振り向くと、先程までハリが座っていた席に随分と派手な印象の女性が座っており、勝手に料理を口に運んでいた。
「……それ、俺のなんだけど」
「温かいうちに食べないと勿体無いわ」
ラインアーサは短く息を吐き、その女性の隣に腰を下ろした。
「あの子ね、異国情緒溢れる容姿が男性客に凄く人気みたいね。いわゆるここの看板娘ってやつなのよ」
あの子とはスズの事を指すのだろう。
頼みもしていないのに女性は喋り続ける。
「……で。あの子に声をかけたり、個人的に誘う様な男が来ると必ずセィシェルってさっきの男の子が来て今の貴方みたいに厳しく注意されるってわけ。この酒場では良く目にする光景みたいよ……ふふ」
「何がおかしい?」
その女性の含みのある笑みが無性にラインアーサを苛立たせた。
「…っだって、お兄さんの顔! ものすごぉく傷付いたって顔をしてるんだもの! あはっ」
終には吹き出す女性。吹き出す程そこまで酷い顔をしているのだろうか。
「はあ。それであのスズって子は…」
「あの子はスズランちゃんって言ってね、ここに住み込みで働いてるの。それから、セィシェルって子はこの酒場のマスターの一人息子よ」
スゥ……スズ…。
どうやらスズとはラインアーサのアーサ≠ニ同じく愛称だった様だ。
「スズランか、綺麗な名だな。色々教えてくれてありがとう。俺はライアだ、えっと君は?」
「どういたしまして。あたしはエリィよ」
エリィは食台に肘をつき、首を傾げて意味深にラインアーサの瞳を覗き込む。その仕草と視線にはたっぷりの色気があり、ラインアーサもその意味が分からない訳ではない。
「……」
「ちょっとぉ、そんなにあの子の事が気になるの? あの子、まだお子さまじゃあないの」
「お子さま? 彼女は成人してないのか?」
「あの子まだ歳は十五なんですって! まぁ……確かに見た目は少し大人びてるわね、でも見てると中身はまだまだ可愛いのよ」
「十五!? そ、そうなのか…? 俺はてっきり十八、九位かと…」
ラインアーサは本日何度目かの衝撃を受けた。
「やぁね、お兄さん……せっかく誘ってるのに。そんな風に上の空だと話にすらならないじゃあない。今日の所は諦めてあげる、またね」
そう言い残しエリィは去っていった。
その後勘定を済ませ酒場を出るとやはり店内との温度差は激しく、ラインアーサはマントを羽織り暖をとった。今日と言う一日の中で色々な事があり、起きた出来事を頭の中で整理し大きく息を吐いた。
「はぁ。……今日はもう帰って寝よう」
「何かあったんです?」
その声に顔を上げると、そこにはハリが立っていた。
「ハリ!」
「遅いので迎えに。本当にナンパをなされて朝帰りなどされましたら陛下が心配しますので」
「俺はそんな事…」
言いかけたが、瞬時に先程の出来事が脳内を過ぎる。
「何やら捨てられた犬の様な顔をしてますけど、相手にされなかったとか?」
「……違う。別に、今日はそんな気分でもないからもう帰るとこだったけど?」
ハリは一瞬疑いの眼差しをラインアーサに向けたが、すぐ無表情になり前に向き直った。
「そうですか、では戻りましょう。それと、陛下がライアを探していました。今日はもう遅いので明日の朝に陛下の執務室へ足をお運びください」
「そうか、対応させて悪かったな」
「いえ、これでも私は貴方の側近ですから」
「はは……お手柔らかにお願いするよ」
───それから、王宮の自室へ戻り寝支度をするも寝付けずにいた。静寂の広がる寝室の広いベッドの上で何度も寝返りをうつ。馬車行進での疲れもあるものの、頭の中を支配しているのはやはり例の酒場での出来事だ。
自分でも気付いていなかった初恋と言う名の不思議な感情。どう言った采配か、偶然その初恋相手に再会出来たのだが肝心の相手には嫌われてしまった様だ。あの怯えた様な視線を向けられた瞬間、ひどく心がかき乱された。
「ああ、もう! ……なんなんだ」
ラインアーサは勢い良く起き上がると思い切り頭かぶりを振ってもやもやとする思いを蹴散らす。兎にも角にも変態≠ニロリコン≠ニいう誤解は何としてでも解きたい。
セィシェルと言うあの少年はスズランに好意があるのか? それとも兄の様な立場から守っているのだろうか。酒場で言われたことを思い返すと、段々と腹が立ってくる。記憶を辿れば、十一年前に出会った時既にかなり口生意気だった事が鮮明に思い出された。
「……相変わらず口が悪い…!」
さらりとした金色の髪と垂れた目元。琥珀色の瞳がやけに挑戦的な視線をラインアーサに向けてくる。
「とにかく、変な誤解だけは解いてやる。見てろよあのガキ!」
珍しく悪態をついたラインアーサは再び横になり瞳を閉じると、強引に夢の世界へとその身を投じた。
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