*旅の終着*
微睡みの車窓-3
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──────
「……ラ…ア! …ライア!!」
────やけに身体が揺れる。
規則的な音と揺れがラインアーサを微睡の世界へと誘い閉じ込めようとする。
「ライア!! そろそろ起きてください」
しかし、今度は耳元で大声を上げられ流石に現実の世界へ引き戻された。ぼやけた目をこすり、周囲を確認すると呆れ顔を浮かべた人物が視界に入ってくる。
「そろそろ起きてください、間もなく国境ですよ」
まったく。と小さく溜息が聞こえてきて少々申し訳ない気持ちになる。
「……ん、悪い。すっかり寝てたみたいだ」
ラインアーサは目の前の人物。
────ハリに謝罪しながら、凭れていた座席から身を起こして大きく伸びをした。
より落ち着き払った雰囲気を纏うハリ。
深い榛摺色の髪に、切れ長で闇夜の様な漆黒の瞳がより彼を落ち着いた雰囲気にさせている。歳はラインアーサより三つ上で何時も冷静に物事を判断するハリだが、余り表情に色がないのは彼が孤児であるせいだろうか。
十一年前───。
内乱が収束しても尚混乱が続く中、酷く負傷して旧市街の路傍に倒れていたのがハリだ。それをラインアーサが発見し手当てをし、王宮にて保護をした。以来ラインアーサの側近としての役割を果たしてくれている。
「魘されてましたよ、少し」
「ああ……夢をみてた。たまに見るんだ、母上が死んだ日の夢」
ラインアーサは車窓を眺めながら呟いた。
広大な大地を、二人を乗せた列車が颯爽と走り抜けてゆく。
「……ちょうど、その頃ですね。私がライアと出会ったのも」
「あの時俺は十二だったから、もう十一年経ってるんだな。でも、やっとだ。やっと願いが叶う」
ラインアーサは瑠璃色の瞳を細め、屈託のない笑顔をハリに見せた。
誰に対しても明るく心優しい性格に、人好きのする整った容姿は周囲を男女関係なく惹きつける。そう評されることの多いラインアーサから受ける印象は、ハリと真逆と言っても良いかもしれない。焦がし砂糖を垂らした様な色合いで、少し癖のあるその髪を後ろで小さく結わえている。
「陛下の喜ぶ顔がたのしみですね」
「そうだな! 父上の事だから大騒ぎして国を挙げてのお祭り騒ぎになるかもな」
「確かに……陛下ならあり得ますね。しかし、今回の旅は流石に草臥れました」
そう言うとハリはラインアーサの隣に座りお茶の用意を始めた。ラインアーサは冗談のつもりだったが、父の性格をあっさり肯定されてしまい苦笑する。
「はは。まあでもおかげで無事に大成を遂げられそうだ。ハリ、お前には感謝してもし切れないよ。ありがとう」
「いえ。この五年間ライアが健闘した結果ですから、私は何も」
「なんだよ、本当にそう思ってるんだから素直に喜べって! まあ、あとはお前の家族が見つかれば俺はもっと嬉しいんだけどな。せめて記憶だけでも戻れば…」
ハリは内乱以前の記憶が曖昧だ。
自分の名と双子の姉がいた事は辛うじて覚えているらしいが家族が何処にいるか、自分が何処から来たのかさえ覚えていない。いわゆる記憶喪失なのだ。ハリの容姿からすると、北の果ての地に君臨しているルゥアンダ帝国の人種に特徴が一致する。しかしながらルゥアンダ帝国は内乱後、今現在も鎖国状態が続いており詳細な調査は出来ないままでいた。
「……私は別に。生涯シュイラスアに身を置いても構いませんよ。私こそ、陛下とライアに恩儀を尽くすまでです」
抑揚の無い声でそう話すハリの顔は無表情に近い。
「……」
ラインアーサは親指の先を顎にあて、少し首を傾げた。そして一片の隙もなく、真面目過ぎる態度を崩さないハリの背中を思い切り叩いた。
淡々とお茶を飲んでいたハリが盛大に噴き出す。
「っな!? 何するんですか!! 貴方は時折意味のわからない事をしますよね」
少し怒った様な口調でハリは一旦お茶の入ったカップを窓際の台に置き、零して汚してしまった場所を掃除しだした。
「いや、だってお前があんまり元気ないから眠いのかと思って」
ラインアーサは小さく口角を上げにやりと笑う。
「眠いのは貴方の方でしょう? 先程まで寝ていたじゃあないですか」
「まあ、そうだけど。ハリはさ、もっと感情を表に出してもいいと思うよ。溜め込みすぎると疲れるって」
「……はあ、それは誰かさんのおかげで余計疲れるという事です?」
ハリの鋭い目線がラインアーサに突き刺さるが、それを難なく躱し軽い調子で続けた。
「それはそうと、ハリだって家族が見つかれば会いたいって思うだろ?」
「……まあ。それはそうですね」
そう答えたハリにラインアーサは満足して頷いた。
「さてと。じゃあ俺、ちょっと隣の様子を見てくるよ」
ラインアーサは席を立ち個室の扉に手をかけたが、ふと思い出したことを呟いた。
「そういえばさ、さっき見てた夢の話しなんだけど。母上が死んだ日に…俺、一人の小さな女の子と出会ったんだ」
「それがどうかしましたか?」
ハリは無表情のままラインアーサを見上げる。
「あの日、俺は母上の死を受け入れることが出来なくて一人で落ち込んでたんだけど。その子のおかげで前に進む事が出来たんだ。……とても大切な物を貰ったから」
「何を、です?」
「───笑顔。その子は俺に笑顔の大切さと、ライア≠チて言う呼び名をくれたんだ……気に入ってる。だから非公式の時には大抵そう名乗る事にしてるんだ」
今でもそれ≠思い出すとラインアーサの心は温かくなる様に感じた。
「……意外ですね。ライアは歳上好みなのだとばかり。初恋の相手は歳下の女の子でしたか」
「おい! どうしてそうなるんだ? 俺はただ、お前の感情の起伏が薄いから笑顔の大切さを教えようと……何だよ初恋って…」
「顔、赤いですよ」
「赤くないって!」
そう茶化されて、一気に顔が熱くなる。ラインアーサは少し乱暴に扉を開けて通路に出ると、荒々しく個室を出て行った。
「先程のお返しですよ」
密やかにそう呟くハリの口元は僅かに緩んでいた。
「まったく! ハリのやつ、今日はやけに 饒舌だな」
ラインアーサは通路の窓を開けると、勢い良く入ってくる少し冷たい風を思い切り吸い込んだ。
───初恋。
そう思ったことなど一度もなかったが、意識してみると案外そうなのかもしれないとも思った。
線路を走る列車トランの規則的な音と不規則な揺れ。ラインアーサは飛んでゆく景色を眺めがら、心を落ち着かせた。そして、通路の最奥にある特別室スィート≠フ扉を軽く叩く。扉がほんの少し開き、中から 強靭な体つきをした護衛が現れる。ラインアーサは小声でその男に声をかけた。
「ご苦労様。少し中に入れてもらってもいい?」
「ええ。勿論です。どうぞ、お入りください」
男は一礼し、ラインアーサを中へと招き入れた。
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