*収穫祭*
旧知の仲-1
旧市街、夕凪の都───。
そこには古く重厚感のある建物が立ち並ぶ。その一角にある、小さく古びた酒場のカウンター席にラインアーサは居た。
狭い店内の照明は薄暗く、客もまばらだ。客層もあまり良いとは言えない。そんな雰囲気の中、一つの話題が盛り上がっていた。今年の収穫祭が行われるか否かだ。
「───今年の収穫祭は開催出来ないだろうな」
「いやいや今年は王子と王女が帰国したんだろ? 無理にでも開くんじゃあないか!? 何たってこの国の王様は馬鹿の付くほどお祭好きなんだからな!」
「ぎゃっははは! そりゃ違えねぇ!!」
テーブルの席に着いている三人程のガラの悪い連中が品のない大声を出して盛り上がる。
「いやぁしかし今回の物騒な誘拐事件が解決しないと普通なら祝祭所じゃあない筈だがなぁ!」
「お祭りバカで親バカって専らの噂だもんなぁ、我らの国王様は! 今年は王子と王女が揃ってるんだ、盛大にやる方に賭けてもいいぜ!!」
ラインアーサはカウンター席で頬杖をつき、彼らの話に終始耳を傾けていた。
「あらあら、随分な言い様ねぇ。いいの?」
カウンターの中から落ち着いた声の人物が話しかけてくる。
「言わせておけばいいよ。それに殆ど事実だしな」
その人物の問いに、ラインアーサは自嘲的な笑みを浮かべる。
「……全く。もう此処へは顔を見せないと思っていたのに」
「俺もそのつもりだったんだけどな。でも、来るって分かってたんだろ?」
「そうね。全ては星々のお導きによるものよ…。今回はまた随分とお困りのご様子ね? ライア」
ランプが妖しく灯る薄暗いカウンターの向こう側には、海の如く碧い虹彩を持った人物が居た。その瞳で窘める様な視線を寄越したかと思えば、にこりと柔らかく微笑んだ。
「……困ってるって言うか、わからないんだよ。どうすればいいのか」
「あのね。それを困ってるって言うのよ? やれやれね」
「はは、かなわないな。ヴァレンシアには」
短く息を吐くとまた小さく苦笑するラインアーサ。
対するのはこの古い酒場の女主人、ヴァレンシアだ。波うつ青い髪を高い位置で結い上げ、華奢な硝子と金細工の髪飾りで纏めている。
星を読む特技があり、報酬次第で気まぐれに客を占い生計を立てている。頼まれれば強力な呪等もかけると密かに噂されている旧市街では名の知れた人物だ。
「ふふ。ライアは全然変わらないわね」
「そうかな。この四年間、勢いに任せ過ぎたかとは思ってるけど」
「そんな顔しちゃって。貴方も落ち込むなんて事あるのね」
「別に落ち込んでなんか。でも、母の事はやっぱり衝撃を受けたよ……」
あれからライオネルとはまともに話をする時間を取れていない。事件の報告は済んだものの、何かと理由を付けては話し合いを避けられてしまっている。イリアーナも本格的に体調が優れないらしく、きちんとした見舞いもろくに出来ていなかった。
国全体に未成年者個人での外出禁止令が出された事により、ライオネルの側近のコルトやハリもその対応で慌ただしく働き通しだ。
「いつまでも沈んでいたって仕方がないわ。きっと何か理由があるのよ、貴方に黙っていた理由がね」
「どんな理由があるって言うんだ! とても大切な事なのに……」
「知りたいのなら、今ここで占ってみる? 何かしら分かるかもしれないわよ?」
暫しの沈黙の後、ラインアーサは首を横に振った。
「いや、父から話してくれるのを待つ。自分で確かめるよ」
「そうね、それがいいわ。だったらこんな所に来てまでお酒飲んでないで、早く帰ったらどうなの?」
「ん……そうしたいのは山々なんだけど、もう少し…」
「何よ。まだ何か…っていうかバレバレだけどね。恋煩いでしょう? それとも、失恋かしら?」
鋭い返しに危うく飲んでいた穀物酒を吹く所だった。図星を突かれたラインアーサは思わずそのままカウンターに突っ伏した。
「待ってくれ…。俺ってそんなに分かりやすいのか?」
「まあ、とても分かりやすいわね。嘘を付くのも苦手でしょう? 貴方の性格なんて知り尽くしてるもの」
ヴァレンシアが不敵に微笑む。
「う…。ますます嘘を付けないな」
「まったく。四年もあれば多少人は変わるものよ? ライアったら本当素直なままなんだから」
「……素直か。もっと素直になってればよかったのかな」
───スズランを王宮で保護出来なかった事を、ジュリアンにはひどく責められた。何故素直にならないのだと。素直に今までの事も打ち明け、王宮で保護して堂々と守ってやればいいじゃあないか、と。自覚はしている。あと一歩が踏み出せない情けなさを。
そんな状況でも幸いな事にラインアーサが酒場に張った結界の外にスズランは出ていない様で安堵する。
「本当に失恋なの? 貴方が振られるなんて俄かに信じられないケド」
「過去に俺を振った張本人が何言ってるんだよ」
「あら! 失礼ね。あの時はああするしか無かったじゃあないの。貴方にはやるべき事があって、そう仕向けたのは貴方の方でしょう?」
「そう、だけど。……今回は違うんだ!」
「何が違うの?」
ヴァレンシアにじっと見つめられる。
「……純粋な相手に、どう接したらいいのか分からなくて、知らないうちにたくさん傷つけてしまったんだ。……嫌われてもしょうがない」
「はぁ…。私から見れば貴方だって十分純粋よ? 自分では気づいていないかも知れないけど」
そう言ってにこりと微笑むヴァレンシア。
「俺が……純粋だって?」
「そうよ、民を思う純粋な心。争い事だって嫌いでしょう…?」
「違うよ。俺はただ、父の力になりたいと思ってるだけで…」
「困ってる人がいたら放っておけない癖に?」
「……」
何もかも見透かす様な瞳にラインアーサは少し照れながらグラスを一気に煽って誤魔化す。
「もう…! そんなに一気に飲んで平気なの? 相変わらず弱いんでしょうに。程々にしたら?」
「いつまでも子供扱い? 俺だってあれから色々と成長したつもりなんだけどな」
ラインアーサが少し不服そうにするとヴァレンシアは愉しそうに笑う。
「ふふ。ならどの位成長したのか見せて欲しいわね」
「からかうなよ」
「ふふーん。私は本気よ? じゃあ今ここで試しにキスでもする?」
「まったく。ヴァレンシアには本当敵わないよ…。冗談は抜きにして、はじめに依頼した事は忘れずに占って見て欲しいんだけどな」
「はいはい、わかってるわよ。この一連の事件の犯人像とその居場所だったわね? 本腰を入れて占うから少し時間を頂戴。何か分かり次第すぐ報告するわ」
誘拐事件の解決への糸口を見付ける為に、ラインアーサは藁をも掴む思いだった。
「ありがとうヴァレンシア! それで、今回の報酬だけど…」
「別にいらないわ。昔の好でおまけしてあげる…。それとも、また昔みたいに一緒に夜を過ごしてくれるの?」
ヴァレンシアと目が合う。
澄んだ海の様な色の瞳が煌めく───。ヴァレンシアとは数年前、闇雲にイリアーナを捜している時に出会った。彼女の占いによって姉の居場所を掴んだ事をきっかけに、恋仲の様なひどく曖昧な関係だったのは過去の事。
「ヴァレンシア……俺は」
「ぷぷぷ! それこそ冗談よ!! 本気にしちゃって、ライアもまだまだね。ああ可笑しい!」
「っ…そんなに笑う事ないだろ!?」
「だってその顔…! あらぁ? まあ!! ねえ。そんな純粋な貴方に、お客さんが見えてるわよ?」
「はぁ? 客って…」
「ほら窓の所、見て? あの可憐なお花みたいな子。どうやら貴方に用事があってここまで来たみたいだけど?」
ヴァレンシアに言われ振り向くと、信じられない光景を目の当たりにしラインアーサの瞳は限界まで見開かれた。
窓の外にスズランが居る───。
「!? …っスズラン!? 何で…、どうやって此処に!?」
おかしい。先日酒場に張った結界からスズランが出た気配など一切感じなかった筈だが。
窓の外から店内の様子を伺うスズランと視線がかち合った。が、彼女は途端に窓から身を離し慌てて踵を返す。
「あ、逃げたわ。早く追いかけないと」
「っな、ちょっと待ってくれ! どうしてスズランが……まさか、俺に会いに? いや…」
(そんな訳……でも…!)
突然の事に動揺を隠せない。
「ちょっと! あれこれ言ってないで早く追いかけなさい! 今すぐ行かないと見失っちゃうわよ!?」
「あ……ああ。ごめんヴァレンシア! また来るから」
「ええ、早く行って捕まえて。捕まえたら今度は離しちゃ駄目よ?」
慌ただしく勘定をカウンターに置くとラインアーサは酒場の出入口へ走った。店を飛び出し辺りを見渡す。暗くひんやりとした人影も殆どない狭い路地を、傘も差さずに走り去るスズランの後ろ姿が目に留まる。
あの日から数日が経過した今も、雨は止む事なく降り続けている。この長雨の影響で、未成年者だけでなく民全体が外出を控え始めた。おかげで誘拐そのものはパタリと収まっているものの、犯人から見返りを求める動きが起こる事はなく、これまでの被害者達の行方もまだ掴めていない。
「スズランっ! 待てよ!!」
すぐに後を追い、追いつくと逃れようと抵抗する腕を強引に掴みあげた。
「っ…あっ!!」
「……スズラン!! 本当にスズランなのか? 何で逃げるんだ?」
幻ではないかと疑う。
「っ…らい、あ…」
スズランの声が耳に響く。
少し掠れ気味だが、紛れもなく愛しくて想い焦がれて仕方のないスズランの声だ。
「っ…何故此処に? お前くらいの年頃の奴には外出禁止令が出てる事位、知ってる筈だろ? そうじゃあなくても旧市街は危険だって言うのに…!」
走った為か苦しそうに肩で息をしているスズラン。
「はなし、て…っ」
「離してじゃあないだろ!? 夜の旧市街がどれだけ危険な場所か知らないのか? お前みたいな奴はすぐに……」
以前。街でスズランが悪漢に絡まれていたのを思い返し、ラインアーサは僅かに身を震わせた。
「っごめんなさい、わたし……邪魔するつもりじゃなかったの……も、帰るからあの人の所、戻って」
無理やり笑顔を作り、震える声で呟くスズラン。しかしその瞳からは次々と涙が溢れ出し、雨粒と一緒に頬を濡らす。無理に笑顔を見せようとするその姿にラインアーサの心は激しくかき乱された。
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