*遷り変わる星霜*
胸騒ぎ-1
ラインアーサは王宮の広間に集まっている連絡隊の中にハリを見つけて駆け寄った。
「ハリ! 何か新しい情報は入ってるか? それと、何故父上が既に現地で動いてるんだ?」
「ライア、視察から戻っていたのですね。陛下は昨日、セラフィール様の元へとお出かけになったのですがそのまま戻られていなかった様で…」
「そうか、父上はお祖母様の見舞いにノルテへ出かけてたのか」
誘拐事件が起こったノルテ地区は、都の北側の山間部にある区域で小さな集落しかない。だが、シュサイラスア大国ではもっとも穏やかで平和な地区だ。
都市部より空気が良い為、先代国王の妃 セラフィールが別荘を構え療養している地でもある。内乱後に移り住んできた避難民たちにも密かに人気が高い。
「あんなにのどかなノルテで誘拐事件…? ジュリ、ノルテの警備体制はどうなんだ?」
自国の警備体制を疑う訳ではないがラインアーサは顔を顰めてジュリアンに尋ねる。
「確か……ノルテ地区は駐屯部隊が二交代制で警備してる筈だぜ」
「そうか。……ハリ、被害者はどんな人物か分かるか?」
「ええ。ただ今情報が入ってきたので。その情報によりますと、被害者は十代半ばの少女の様です」
少女が誘拐されたと知りラインアーサの表情はますます険しくなった。
ハリが報告書に目を通しながら続ける。
「何やら突然空間が歪み、その裂け目から現れたと思しき黒いマントフードを被った男に裂け目の中へと連れ去られた様です。……それも、親の目の前で」
それを聞いた瞬間、ラインアーサの頭の中は十一年前の忌々しいあの日へと逆戻りした。
「……ライア、どうかしましたか?」
「おいアーサ!? どうした? お前、顔色悪いけど大丈夫なのか?」
「…っ姉上!!」
ラインアーサは騒然とする王宮の広間からひとり飛び出すと、矢の如く駆け出した。姉、イリアーナの元へと急く。
後ろから何かを叫びながらハリとジュリアンが追って来ているのが分かったが足は止められなかった。何故なら似ていたのだ。何もかもが変わってしまった、あの日と。
リノ・フェンティスタ全土が闇に覆われてしまったあの日の出来事と──。
十一年前のあの日は天気が良く、母子三人で王宮の中庭に植えられている大樹の下でお茶を楽しんでいた。父王 ライオネルは、隔月に一度の各国代表が集まる定例会議に出席しており王宮を留守にしていた。
心地の良い木漏れ日の中、エテジアーナとイリアーナが手作りした焼き菓子や異国の珍しいお茶などを持ち寄る。大好きな家族と好物の菓子を楽しむ。それはラインアーサにとってお気に入りのひと時だった。
───しかしその瞬間はやはり突然に訪れた。
突如中庭に不穏な空気が漂い、空間を歪めながら現れたその真っ黒な裂け目≠ヘイリアーナを引き込んだのだ。エテジアーナとラインアーサの目の前で。
その日を境に、リノ・フェンティスタ各地では様々な事件や暴動が起きた。
事の発端は、ルゥアンダ帝国の皇帝・闍隍が内乱を企てた事にある。ルゥアンダ帝国はマルティーン帝国と手を組み、他国を組み敷く為に様々な手を使った。
これに猛反発したオゥ鉱脈都市は壊滅に追い込まれた。
アザロア国家は幼い姫を人質に取られ屈服。
イリアーナも中立を貫くシュサイラスア大国を従わせる為、人質として誘拐されたのだ。
見兼ねた煌都パルフェの最高司祭と小フリュイ公国の女公は、ルゥアンダ帝国を封鎖し闍隍本人を北の果ての大地へ封印するという措置を取った。
現在も尚、その北の大地には諸悪の根源が目覚める事が無い様にと、小フリュイ公国の女公が自ら人柱≠ニなり闍隍を封印し続けているという。その封印は女公の硬い意志で半永久的に閉ざされており、この十一年の間解ける兆候は全くないのだと伝えられている。
それ程迄に女公の力は高く、どの属性よりも強勢と言われている雷花の神気を誰もが恐れた。
悪に手を染めた闇の皇帝が封印された事により、日々起きていた暴動などは徐々に収拾していった。
ルゥアンダ帝国と結託していたマルティーン帝国はあっさり中立の立場へと手のひらを返し、残された各国との講和条約を結び現在に至っている。その結果ルゥアンダ帝国は孤立し鎖国状態となり、他国との関わりを一切経ったのだ。
しかし、内乱が終息してもイリアーナの行方は一向に分からないままであった。
その事がきっかけとなり、元々身体の強くないエテジアーナの病状は悪化。遂には無念のままにこの世を去ってしまった───。
「っ…またなのか? また家族が引き裂かれるなんて! 一体誰がこんな事を!!」
ラインアーサは焦る気持ちを抑えきれず、イリアーナの部屋へと着くなり扉も叩かず開け入った。
「姉上! 無事かっ!?」
突然大声をあげながら部屋に入ってきたラインアーサに対し、イリアーナが驚いた様子で此方を見やる。
「アーサ!? びっくりするじゃあない…。何かあったの? 何だか下も騒がしいから今使いをやろうとしていた所だったのよ?」
「姉上、よかった無事で…! 使いなんていいから、早くリーナを呼んで一人で居るのは避けてくれ! 俺、また姉上が攫われたら…っ」
するとイリアーナは更に戸惑った様にラインアーサの両肩にそっと手を置いた。
「どうしたの? アーサ、落ち着いて?」
そう言われて初めてラインアーサは少なからず冷静さを失っていた事に気が付いた。後から追いついて来たハリとジュリアンも、ラインアーサの様子に驚いている。
「はぁ~っ…やっと追いついた! アーサ、いきなりどうしたんだよ? 心配なのは分かるけど…」
「ジュリ、ハリ君も…。一体何があったの? アーサの様子もおかしいみたいだし」
「……」
イリアーナの質問に押し黙るとその場に重苦しい空気が漂う。だがその沈黙を破る様にハリが口を開いた。
「イリアーナ様。落ち着いて聞いてください…」
「っハリ、駄目だ! 姉上は…」
「いずれ耳に入ることです。でしたら今ここでお話した方が良いかと」
「でも…」
「アーサ、何があったの?」
ハリの言葉とイリアーナの不安げな眼差しを受け、ラインアーサは止むを得ずノルテ地区での一連の出来事をイリアーナに伝えた。
やはり当時を思い出して気分が優れないのか、イリアーナは片手で口元を抑え俯きがちに肩を震わせていた。
「……ごめん、姉上。嫌なことを思い出させてしまって」
「イリア様。横になられた方が……」
呼ばれてすぐに駆け付けてくれたリーナが、心配そうにイリアーナの背に手を添えている。
「いいえ。わたしなら大丈夫よ、ありがとうリーナ。それよりも、その攫われてしまった子が気がかりでならないわ! あの時とは状況も違うだろうし、あまり参考にはならないかもしれないけど。……わたしの話を聞いてくれる?」
「姉上が、無理じゃあ無いなら……」
イリアーナは、ぽつりぽつりと身に起きた当時の出来事を打ち明けた。その内容が確かならば、ラインアーサが今まで密かに想定していた疑惑が一気に解明される。
空間を歪めながら現れる黒い裂け目。
今までライオネルやジュストベルに尋ねてもはぐらかす様に躱されてきたが、黒い裂け目≠サれこそルゥアンダ帝国の扱う移動術。
空間移動の魔像術に違いないのだ。ラインアーサは吐き気に似た感情をぐっと飲み込んだ。
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