*遷り変わる星霜*

事件-1




 ラインアーサは急ぎ足で王宮の渡り廊下を歩いていた。向かっているのは家臣たちが居住する別棟である。
 とある部屋の前に着くなり、扉を軽く叩いて部屋の主の返事を待つ。訪ねるには非常識な時間帯だということは重々承知しているが、どうしても逸早く確認をしたいのだ。暫くすると扉の向こうから淡々とした声が返って来た。

「こんな遅くに、どなた様かな」

「ジュストベル! 俺だ、開けてくれ」

 細く開いた扉から呆れ顔のジュストベルが顔を覗かせる。

「……ラインアーサ様。今が何時なんどきかお分かりでございますか?」

「ごめん。説教なら後から受けるよ、それよりどうしても知りたい事があるんだ! こんな事を訊けるのはジュストベルしか居なくて…」

 ジュストベルは深い溜息をつくと、仕方が無いといった表情でラインアーサを室内へと招き入れてくれた。

「少しお待ちください。今部屋を暖めますので」

「ああ、悪い……ありがとう」

「いえ。また風邪を引かれても困ります故」

 ジュストベルが暖炉に火を入れる。
 増大の煌像術ルキュアスがかけてある為、部屋は瞬時に暖まってゆく。身体が芯から冷え切っていたラインアーサには心底有難かった。応接用の長椅子に座り、ジュストベルが淹れてくれた蜂蜜入りのお茶で冷えた指先を温める。

「して、どうなされましたか? 貴方様がわざわざ此処へ訪れるなど…」

「ジュストベル! 単刀直入に聞くけど、ジュストベルは空間移動の術って聞いた事ある?」

 逸る気持ちを抑えきれず率直な質問を投げ掛けると、ジュストベルはその瞳を見開いた。

「……何処でその言葉を知ったのです?」

「以前からそういった術が存在すること位なら知っていたよ。で、ジュストベルは使えるの?」

「それはいにしえの術ですぞ? わたくしには、到底扱うことはできませぬ」

「古の術…?」

 ラインアーサはその言葉に眉を寄せ顔を顰めた。古の術と言う事は今は既に失われている、という事なのか。

「左様でございます。古の言葉通り現在は使われて居りません故、わたくしは勿論…。かなりの手練れであろうと使える者などおりませぬでしょうな……」

「……でも。もし、ルゥアンダ帝国の民がそれを使えるとしたら?」

 ラインアーサは、確認をする様にジュストベルを見据え望ましい返答を期待する。しかしジュストベルはゆっくりと首を左右に振ると大きく息を吐いた。

「いけません、ラインアーサ様。それはルゥアンダ帝国が扱う魔像術ディアロス≠ノございますぞ」

「っ…やっぱり! ジュストベル、その魔像術ディアロスについて詳しく聞かせてくれ」

「何を仰いますか。我々が使う煌像術ルキュアス魔像術ディアロスの違いについての教授はとうの昔に終了しておりますぞ? まさか、お忘れですかな?」

 ラインアーサの向いに座っていたジュストベルが和かな笑顔を見せながらお茶の入ったカップを一旦置く。その一連の動作に何故か背筋が伸びる。

「ご、ごめん。ジュストベル……忘れたというよりも、その授業サボったんだ多分。だから知らない……」

 ラインアーサの脳裏に幼い頃の記憶がよぎる。ジュリアンと一緒になってジュストベルを出し抜き、度々授業を抜け出した記憶だ。

「では、やはりわたくしの再教育が必要…、と言う事ですね?」

「お、お願いします…」

 素直にそうつぶやくとラインアーサはジュストベルに頭を下げた。普段ならば逃げ出したい所だが今回ばかりはそういかないのだ。
 ジュストベルは呆れながらも要点をまとめわかり易く手短に、なおかつラインアーサを説教する様な口調で煌像術ルキュアス魔像術ディアロスの違いについての知識を教えてくれた。

「───じゃあ。やっぱりこの二つの術の性質は違うって事なんだよな?」

「ええ、勿論違います。元々の本筋は同じだったのですが…」

「だったら何故ルゥアンダ人は魔像術ディアロスを使う様になったんだ?」

 するとまたもやジュストベルの厳しい目線が刺さる。

「まさか、世界の成り立ちについての教授も怠ったと仰るのですか?」

 ラインアーサはぎくりと身を竦ませ困った様に苦笑した。

「そんな顔をなされても駄目ですぞ? 全くもって、基本中の基本が抜けておりますな。それも我が身内の影響というのが実に嘆かわしい…」

「……ジュリは悪くないよ、俺が勝手に抜け出してサボったんだ」

「ラインアーサ様。庇って頂かなくても結構、彼奴の腕白わんぱく振りは重々承知しております。此方も後日呼び立てて指導せねばならぬ必要がある様ですな」

「あはは…」

 優しげな声色に見え隠れするジュストベルの怒り口調にラインアーサは心の中でジュリアンに謝罪した。

「仕方がありません。ではもう一度、この世界 リノ・フェンティスタの成り立ちについてから簡単におさらい致しましょう」

 なんだかんだ言いつつも、ジュストベルは尋ねればこうしてラインアーサに知識を与えてくれる。

「……数百年前、我々の高祖こうそにあたるリノ族たちが現世うつしよから逃れこの箱庭の様な世界リノ・フェンティスタを創ったのはご存知ですね?」

「それは流石に知ってる」

 ジュストベルは片眉を吊りあげて、小さく息を吐く。

「現世にいての我々リノ族の役目は自然とヒト族を寄り合わせ、結び、調和を望む事でした。それ故自然を愛し世界の秩序を保っていたのです。ですが…」

「うん、ヒト族による自然破壊とリノ族狩り…。だろ? たくさんの被害と犠牲が出たって」

 ラインアーサの表情は無意識の内に険しくなる。幼い頃、初めてその事を教わった時はとても恐ろしくて数日間一人で眠れなかった程だ。未だ理解する事は出来ない。

「……致し方なかったのでしょう。ヒト族とリノ族とでは、人口の絶対数が違いすぎたのです。そしてリノ族は争い事が不好きで御座います。現状を考えますと、先人の判断は間違っていなかったかと」

「……そうだよな」

 ヒト族から逃れなければ恐らくリノ族は絶滅していただろう。
 ラインアーサは空になったカップにお茶を注ぐと、蜂蜜をたっぷりと入れてかき混ぜた。甘い香りを吸い込み気持ちを落ち着かせる。

「リノ族本来の属性は光。その他の属性は全て其処から派生したものなのです」

「俺たち風の属性も、だよな?」

「光と闇が表裏一体。これは理解できますね? この時点ではどちらの力も同じものなのです」

「もちろん理解してるよ。でも、じゃあ何で今は違うものになってしまったんだよ? その他の属性もどうやって発生したんだ?」

「それも以前お教えした筈なのですが……」

 ジュストベルも新しくお茶入れ直し、一息ついた。

「えーっと、元々は自然界にある力を借りているんだろ? 先人のリノ族達が発展させたのか?」

「左様です。リノ族の血を一等色濃く受け継いで居るのがリノの属性、煌都パルフェの人種。

同時に北の大地に君臨しているウンブラの属性、ルゥアンダ帝国の人種。

闇に明かりを灯すために派生した火焔フォヤンの属性、アザロア国家の人種。

焔に打ち勝つ水と氷アクウァ・イェロの属性、マルティーン帝国の人種。

一方、我々風の属性は今申し上げた属性とは違う派生の仕方をしました」

「…つ、続けてくれ」

「……光が照らした大地から芽吹いた大地の息吹テレノ・アリェントの属性、オゥ鉱脈都市の人種。

その大地を裂く様に落ちてきた雷花の神気トニトフロース・ディオスが、小フリュイ公国の人種。

そして大地を揺るがす雷の揺れから生じた 風の息吹アイレ・アリェントの属性が、我々シュサイラスア大国の人種なのです」

「あー、えっと? なんだかよく分からないけど、そういった分かれ方をしたって事だな!」

「ええ。因みに現在の国名は此方の世界を創設した際に、活躍した各々の属性の代表者の名で御座います」

「一応、俺の名前にも国の名が刻まれてるもんな。やっぱり他の国の王族もそうなのか?」

 ラインアーサの真名は ラインアーサ・シュサイラスア・ローゼン″曹フ名が刻まれている。

「勿論です。その名を持つのは代表者の血を継ぐ、直系の王族か末裔のみなのですから」

「……直系」

「ルゥアンダは夜明け前の闇の様に穏やかな男性。

アザロアは上品で静かに燃える炎の様に優しい女性。

マルティーンは流れる川の様に統一、同意、調和を好んだそうです。

シュサイラスアは清涼を好み、しなやかで誰にでも心地よく働きかける青年だったとか。

フリュイの雷花の神気トニトフロース・ディオスによる力はどの属性よりも強大な力でしたが、謙虚な心を忘れてはいなかったそうです。

オゥは大地の様に全てを支える様な忍耐力の強い男性。

パルフェはその輝く様な光で皆を包み、結束を強める主導者的存在だったそうですよ」

 ジュストベルは瞳を閉じて淡々と語る。

「へえぇ! その七人が代表となってこの世界、リノ・フェンティスタを創ったんだな!」

「……それを全て理解なさってから、この国を旅立たれたのだと思っておりましたぞ?」

 感心しているラインアーサに対し、ジュストベルの呆れ顔はおさまらない。

「うう……授業サボって悪かったよ…」

「全くです。では簡単にでしたが、大体の流れはお分かり頂けましたか?」

「ああ、ありがとう! それに俺もその代表者のうちの一人の末裔として、ますます身が引き締まる思いだ。これからは今まで以上にこの術力を国と民の為に行使するよ」

「やはり。貴方様ならそう仰ると思っておりました」

 ジュストベルが意味ありげな面持ちで頷く。

「なんだよジュストベル……」

「貴方様はシュサイラスア・ローゼン氏の末裔ですが、光の属性も併せ持っておりますな?」

「それを言ったらジュストベルだって風と光の属性だろ? 確かに俺もだけど…。何か違うのか?」

「今の世の中、末裔といえども純血ではありません。子孫を残す過程で、様々な人種との交わりがあってリノ族も繁栄をしてきたのです。勿論、中にはヒト族と交わり現世に残った者も少数ではありますがおります」

 確かに純血を守ってばかりでは、リノ族はここまで繁栄していなかっただろう。
 他種族と交わるのは至極当前の流れだ。

「しかしながら、光のパルフェと闇のルゥアンダ、小フリュイ公国の公族に限っては他種との交わりを避け純血に近いまま種を残してきているのです。故に術の潜在能力が高く、代わりに人口は少なく希少とされてます。一般の民には例外もおりますが、それぞれの血筋が濃いのです」

「まあ、シュサイラスアは特に色々な人種が移住してきて暮らしてるもんな。ご先祖様の血はだいぶ薄くなってるんだろうな」

「そうなのですが貴方様のご両親。陛下は勿論シュサイラスア氏の直系であり、末裔でございますね。そしてお母上のエテジアーナ様は煌都パルフェの御出身だったかと…。加えてパルフェ・フロプシィ氏の直系の末裔ではないのですが、不思議な事に古代リノ族に近い潜在能力を秘めておいででした」

「……そう、なのか…」

 ───古代リノ族。
 ラインアーサは何故か妙にその単語が気に掛かった。

「ええ。ですから貴方様はシュサイラスア氏の末裔にして、パルフェ氏の特徴も色濃く受け継いでおります。向こう見ずで他人を放っておけない献身的な気質は、それが所以ゆえんかと」

「ジュストベル…。それって俺の事褒めてんの? けなしてるの?」

「……勿論お褒めしております。ですから今後も無理は禁物ですぞ」

 ラインアーサは少しはにかみながら頷いた。

「そうか。自分の血筋を学ぶのも意外と大切なんだな」

「左様でございます。そんな貴方様が魔像術ディアロスなど……決して関わってはなりません」

「何故?」

「それは初めに申し上げた通り、煌像術ルキュアスは他人の為に。魔像術ディアロスは己の為だけにその力を行使するものだからでございます。特に他人を傷つけるなどの魔像術ディアロスを使いますと、その力はいずれ自身をも滅ぼしましょう」

 それを聞くなり、ラインアーサはエリィの事を思い出した。他人を傷つける魔像術ディアロスにもっと恐ろしい魔像術ディアロス……と言っていた。どうも嫌な感じがする。

「じゃあ、魔像術ディアロスではない移動術はないのか? さっきジュストベルは、古の術って言っていたよな」

「全く、貴方様もしつこいですな。それに関しては後日、御自身でお調べください。さあ、本日の授業は此処までです。もう遅いですから自室に戻られてお休みください」

「え? ああ、もうそんなに時間が経ってしまっていたのか…! 悪かったな、遅い時間に訪問したのにこんな長居してしまって」

「いいえ」

 時刻を確認すると、とうに日付が変わり更に数刻も時間が経っていた。
 古の術の事についてはそれとなくにはぐらかされた様に感じたが、古代リノ族の事と一緒に調べる時間を取る事にしよう。

「色々教えてくれてありがとう。助かったよ!」

「礼には及びませぬ。そもそもラインアーサ様が授業を怠ったのがいけないのですから」

「もう分かったって! 説教も今度聞くよ。あと、蜂蜜茶ハニーティーご馳走様」

 ラインアーサは長椅子から立ち上がると、早々にジュストベルの部屋から立ち去った。


 自室に戻り寝支度を済ませるとやはり目が行くのは寝室の出窓から見えるあの森だ。森はざわつく事もなく、しんと静まり返っている。
 ───スズランはゆっくりと休んでいるだろうか。
 ラインアーサはベッドに身体を投げ出すとスズランの笑顔を思い出し、緩む表情を枕に押し付け叫び出したいのを堪えた。あの笑顔は紛れもなくラインアーサに向けられたのだ。
 旧市街の事。ハリの事。エリィの事やルゥアンダ帝国の現状。空間移動の術や、古代リノ族の事……考えたい事は山ほどあるが、ほんのひと時だけでもそれを忘れラインアーサはスズランの笑顔に胸を躍らせた。



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