*旅の終着*

夢の続きを-1




 風が森の樹々を騒がせながら吹き抜ける。まるでラインアーサの心境を表すかの様だ。何故こんなに心がざわつくのだろう。気が付くとラインアーサはその女性の肩を掴んでいた。

「……えっと。わたし、…きゃ!」

 鈴を転がす様な透き通った声。白くほっそりとした柔らかな感触と僅かに花の様な香りがし、ラインアーサはくらりとした。

「君の、名……」

 名前を聞こうとして、思い留まる。自ら名乗っても居ないのに、突然女性に名前を聞くのは失礼だ。

「あの……あなたはここの警備の方、ですよね?」

 どうやらマント姿のラインアーサを見て、王宮の警備隊と勘違いしたらしい。まあ。とりあえずそういう事にしておこう。

「あ、ああ…」

「ここに来たことは謝ります。でも、ただ景色を眺めていただけなんです。わたし、この場所が好きで……」

 この場所が、好き? 何故?
 先ほどから疑問ばかり浮かんでくる。ラインアーサはただただ目の前にいる女性を見つめていた。

「……眺めるだけなら、この国には他にもっと良い所があるはずだが」

 風樹ふうじゅの都は標高が高い為、坂の多い街だ。眺めの良い所など街の至る所にある。

「この場所が好きなんです。夢の中に出てくる場所と似ていて……」

「……夢?」

 夢という言葉にラインアーサの鼓動がいっそう跳ねた。まるであの夢の続きを見ている様な錯覚に陥りそうだ。

「でも、王宮の敷地内という事はわかってます。勝手に入り込んですみません……もうここへは来ませんのでどうか…っ」

 女性はラインアーサの手からするりと抜け出すとぺこりと頭を下げ、少し泣きそうな顔をした。その顔にどうしようもなく息が苦しくなる。

「……眺める程度なら、別に来ても構わない」

「え、でも…」

「厳密に言うと、そこの小川のこちら側からが王宮の敷地だ。小川までならば問題無い……」

 咄嗟に嘘を付いた。あからさまな嘘だったが、先程の泣きそうな顔を見たらつい自然と口走っていた。

「本当に、いいの?」

「たまになら」

「ありがとうございます! ……警備さん、最初は怖い人だと思ったけどいい人なのね!」

 そう言って、女性は花が ほころ ぶような───。
 とても愛らしい笑顔を浮かべる。

「…っ!」

 心の中で渦巻き始めた感情にラインアーサは戸惑っていた。冷静になれ、と自らを叱咤しったしラインアーサは小さく息をく。
 この女性はあの少女ではない。あの日の状況と似た要素が重なったからといって、思い出と今起こっているただの偶然を混同させてはいけない───。そう自分に言い聞かせた。あの少女はとても幼かった。十一年たった今でも、まだ十四、五歳の少女だろう。
 目の前にいる女性はどう見ても十八、九歳で成人している様に見える。高めの身長にすらりとした手足。そこそこ露出のある服装に色気も少々。そんな馬鹿らしい考えまで浮かんでくる始末だ。
 ラインアーサはほのかな期待を振り切ろうと、無理矢理話題を変えた。

「今日は祝祭フェスト初日だ。君は街に行かなかったのか?」

「あ、お店の準備があって……それにわたし、たぶんこの国の出身じゃないせいか、賑やかなのはあんまり得意じゃなくって」

「店…?」

 まさか、この女性はそういった店で働いているのだろうか?  と無駄に詮索してしまいそうになる。しかし喋り出すと見た目以上の幼さに気が抜けた。

「そうなの、この祝祭フェストのおかげで今日からお客様のはいりが倍になるって…! だから準備が大変で、今ここに息抜きに来てたとこだったの」

「そうか、なら好きな時に此処へ息抜きに来るといい……」

 以前ラインアーサがそうだった様に、この場所が疲れを癒すならば。

「ありがとう! でもこの国の王様って本当にお祭り好きなんですね。半年後には収穫祭リコルト・フェストだってあるのに。賑やか過ぎると色々あるからちょっぴり心配になっちゃう……」

 その言葉にはっとした。
 父、ライオネルをはじめ。国民たちは賑やか事を好み、何かとお祭り騒ぎになる事が多い。その騒ぎに乗じて暗躍あんやくする者も居るのは確かだ。ラインアーサは常日頃からそれを心配しライオネルに意見してきた。それを、他国出身の若い女性に指摘されるとは。

「……この国の警備は決して怠ってはいない」

 この一言を返すのがやっとだった。

「あの! そんなつもりじゃないです……変に意見してしまってごめんなさい……」

「いや……自分もそう感じていたから」

 辺りはすっかりと夜の空気に変わっていた。心地良かった風も冷たくなり肌寒い。

「あ! もうそろそろ開店時間!! 急いで戻らないとまた怒らられちゃう。わたし、この森のすぐ表にある Fruto del amor愛の果実 ≠チていう酒場バル で働いてるの。警備さんも非番の時に来てくれると嬉しいな」

 そう言うと女性は少し幼い表情でまた微笑んだ。そして、小さく会釈をすると森の中へと駆けて行ってしまった。そういえば森を抜けた先にはこの都で一番賑わっている酒場バルがあったはずだ。酒場バルで働いていると聞いてラインアーサは何故か安堵した。少々露出の高い服装は店の給仕服だろうか等と思考をめぐらせる。

「名前、聞いとけば良かったかな……。!! ああっ! そういえば!!」

 ハリとの約束が頭からすっかりと抜け落ちていた事を思い出す。まさにその酒場バルで落ち合う約束をしていたのだった────。


「遅いですよ。一体どこでどんな時間の潰し方してたんです? 後少しで帰る所でした…」

「本当、悪かったって! なんか奢るからそんな怒るなよ」

 BAR Fruto del amorバル・愛の果実 の扉の前でラインアーサとハリは小さな口論していた。

「適当に時間を潰しすぎですよ、全く。そうですね……では、この店で一番良い葡萄酒ぶどうしゅでもいただきましょうか」

「はーい、なんでもどうぞ」

 兎に角ハリの機嫌を直す為、ラインアーサは素直に返事を返した。

「そういえば、こちら。必要かと思って持ってきましたけど」

 ハリはラインアーサに髪紐かみひもを手渡した。

「ん、助かる」

 ラインアーサは正装用に綺麗に解かされていた髪を無造作にかきあげ、いつもの様に後ろで小さく結わえた。そうする事で少しは印象を変えられると思っているのだが、実のところその効果は半々だ。特に年配の者や長くこの国に住んでいる者など、分かる人には分かってしまう傾向にある。


 ー BAR・Fruto del amorバル・愛の果実

 石造りの壁にこぢんまりとした木製の扉を開くと、すぐに地下へ続く石の階段がある。石階段を降り切ると外からは想像出来ない位の広さに驚く。カウンターに二階席まであり、ほとんどの席が客で埋まり店内は大賑わいを見せている。人々の活気と熱気で店内と外の温度差はまるで違っていた。

「暑いな! すごい熱気だ」

 熱に煽られ、ラインアーサはマントを脱いで手に抱えた。

「ですね。だいぶ賑わってる様で、何処か空席があると良いのですが」

 賑わう店内を見渡すと、やはり満席状態の様だった。二人が席を探していると、少しぶっきらぼうな口調の若い男性店員が声をかけて来た。

「いらっしゃい。お客さん二人? 今日は祝祭フェストの初日だったから混み合ってるんだ。あそこの狭い二人掛けしか空いてないけど、いい?」

「ああ。かまわないよ」

 そもそも、祝祭が開かれた理由の半分はラインアーサにあるため気分は複雑だ。密かに店の中を見渡したが、先程店の裏手で出逢った女性らしき人物は見つけられなかった。
 ラインアーサは麦酒、ハリは葡萄酒をそれぞれ注文し、この店自慢の料理を待つ。常秋というこの国の特殊な気候は作物や果実の収穫に多大な恵みをもたらし、中でも数多く造られる酒はどれも絶品だ。

「とりあえず、乾杯だな!」

「……」

 ラインアーサが明るく声を上げるも、ハリは伏し目がちで尚且つ無言のまま葡萄酒の入った杯をラインアーサの杯へと合わせた。

「ノリ悪っ! なんだよハリ、それ本当に一番良い葡萄酒なんだからな」

「ですが、こんな所であまり騒いだら目立つかと思いまして」

 聞き耳を立てれば周りの客たちは専ら、アーサ王子≠ニイリア王女%人の同時帰国と言った最新の話題で持ちきりだった。 日中行われた馬車行進ディスフィーレの際に目が合っただとか、手を振ってもらったという女性客が興奮気味に騒いでいる。中には昨日、停車場で見かけたという者までいてハリは肝を冷やしていた。

「ライアはよくこんな中で飲めますね」

「こんなに賑わってるのに、大人しくしてる方が目立つと思うけど? 堂々としてた方が案外分からないもんだよ。あ、おにーさん、麦酒おかわりね!」

 ハリはまたもや呆れて溜息をついた。

「全く、貴方という人は……」

 それから二人は運ばれて来た料理と酒に舌鼓を打ちつつ、周りの客の話題に耳を傾けては様々な情報を頭に入れていった。
 大よその話を聞きまとめると、この都の住民は本当に賑やか事が好きで基本的に根が明るいという事を再確認した。そんな坦々たる平和な民の姿にラインアーサは嬉しくなった。愛する母国なのだ。不穏な雰囲気になどなって欲しくないと常々願っている。

「それよりもライア、飲みすぎは禁止です。と言うかそろそろ戻りませんか?」

 ハリがラインアーサの腕ごと掴み空になった杯を覗き込む。そして、あからさまに嫌そうに顔を顰めた。

「何だよ。今日位は多少飲んだって構わないだろ?」

 だいぶ酒が進み、二人も周りの喧騒に溶け込んでいた。ラインアーサはハリの手を振りほどきながらも反論する。イリアーナを捜し出し、無事に帰還すると言う大役を終えたのだ。今日くらい自分に少々の褒美をあげても罰は当たらない筈だ。

「いいえ、駄目です。これ以上飲みたいのでしたら帰って自室で飲んだら如何です?」

「えー? 自分の部屋でひとり酒なんて美味いわけないだろ! だいたいハリは付き合ってくれないじゃあないか」

「私はライアの情報収集という名のナンパ行為には付き合い切れませんからね」

 薄らと顔が赤く染まっているラインアーサに対して、ハリは涼しげな顔をしている。鋭く文句をつけるハリにすかさず反発する。

「違う! 俺のはナンパという名の情報収集だ! ……ん? と言うかあれはナンパじゃあないって!」

 自分でもよくわからない言い訳をした。そこまで酔ったつもりはないが、段々と気が大きくなって来ているのは確かだ。ラインアーサに呆れた視線を送るとハリは思いきり深いため息を吐いた。

「はあ……。認めないつもりですか、全く。何でも良いですがとりあえず、あまり ご 無 理 はなされないように」

 そう言うとハリは立ち上がり早々と帰って行ってしまった。

「なんだよ、ハリのやつ。俺の側近とか言ってた癖に先に帰ったな」

 ラインアーサは確かに酒が進むと普段よりだいぶ気が大きくなる。しかし、ここは自国だ。他国を旅して情報を集めていた頃とは状況が違い、役目を果たした以上もう必要以上に情報収集する事もないだろう。

「その位は弁えてるつもりなんだけど……まぁいいか。すいませーん! 麦酒もう一つ!」

「あ、はい!」

 ラインアーサは開き直り、近くに居た若い女性の店員をつかまえて追加の注文をする。

「あと野菜たっぷりの卵のヤツも追加……って君……」

 何気無く見上げた店員の顔を覗き込むと、その瞳と瞳が交わり合った。

 ───ほんの一瞬だったのに、長い時間見つめ合っていた様な錯覚に陥った。

 淡く虹色に煌めく瞳。
 抜ける様な白い肌に赤い花びらを落とした唇。
 薄い千草色ちぐさいろの髪を緩く編み、後ろで束ねている。すらりとした長い手足が露出の高い給仕服によく映える。

 可憐な顔立ちが印象的な────。
 間違いない、先程裏の森で出逢った女性がラインアーサのすぐ目の前に居た。



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