俺にキスしろ | ナノ
5
「…は?」
微かに口が動いたことで、ふに、と唇に人差し指が食い込む。
開いた口が塞がらない。こいつ、ほんと何言ってんだよ。いつも古谷君の側にいて、古谷君が俺に声かけたらニヤニヤしながらどっか行くから、俺が二日前に古谷君とシたって事、知ってるくせに。何が欲求不満だよ、そんなわけあるか。
俺のマヌケ面を見て何か察したように目を細めた本間君は、「ああ、違う違う」と笑いながらぐいっと肩を組んできた。
「セックスじゃなくて、精神的な問題?」
「なんのこと…」
「またまたー。ここだよ、こーこ」
ふに、と再び唇を押されて、思わず息が止まった。距離を詰めてきた本間君の端整な顔がすぐ目の前にある。身動きをしようとしても肩が抑えられていて動けない。
「キス、されたことないんでしょ?」
「…っ」
囁かれた言葉には笑いが含まれていた。
「な、で…そんなこと」
「わかるかって?んまぁ、俺古谷の友達だしね〜」
馬鹿言え、そんなことただの友達が分かるはずない。睨んだ俺と目が合った本間君はわざとらしく肩を竦めてみせる。
「まぁ、それは置いといて、キスしたいならさ、俺とかどう?」
「…は?」
ただでさえ近かった距離が更に詰められ、小さく鼻と鼻がぶつかった。お互いの吐息が唇に当たって気分が悪い。眉を顰めた俺とは対照的に、本間君は機嫌良さそうに口角を上げる。
「俺、キスうめぇよ?」
「っ、冗談はやめろよ」
「えー、本気だよ」
近くにある肩をぐいっと押して距離を取る。油断していたのか、簡単に体が離れた。
すると、不満気な声を上げた本間君が顔を近づけてきて、ぺろ、と俺の上唇を舐めてきた。
「ひっ…!な、何すんだよ!」
「あー、怒んないでよ、お礼にいいこと教えてあげる」
「い、いらな」
「そう言わないで。ね?」
いやだと首を振る俺の手首を力強く握った本間君は、楽しそうに、まるで内緒話でもするみたいに人差し指を口許に持っていくと、「実はね、」と切り出す。
聞こえた言葉に、頭が真っ白になって目の前の体を押し退けて、慌てて部屋を出た。
***
店の灯りで彩られた夜の街で、それはそれは見目麗しい長身の男と、地味な男とが当然のように無言でホテルに入る様は、他の人から見たらどのように映っていたのだろうか。
今更ながらにそんなことをぼんやりと考えながら、シャワーに入っている古谷君を待っていた。
バスローブに包まれた、シャワー上がりで火照った体をベッドの上に投げ出す。
天井を眺めていれば、本間君の言葉が頭の中でぐるぐると渦巻いて吐き気がした。
それを収めるためにぎゅっと目をつぶっていると、不意に暗くなった気がして目を開くと艶髪や首筋を濡らした古谷君が覆いかぶさっていた。
睫毛や唇をまで水分を含んでいて、尋常じゃないほどの色気が溢れている。
今にも水滴を垂らしそうになっていた一房の髪に触れると、指を伝って水滴が落ちてきた。
それを静かに見ていた古谷君が俺の目尻にそっと親指で触れてきた。
「今日は随分と飲んだな」
「そ、う…?」
「ああ、いつもより目が蕩けてる」
「んっ…」
バスローブの紐を解いた古谷君の指が形を確かめるように俺の脇腹をなぞる。思わず声が漏れるとクスっと笑い声が聞こえる。端の吊り上がった形の良い唇が目に入って、顔を歪める。
それに気付いた古谷君が首を傾げて顔を近づけてくるから、余計に泣きそうになった。
「…どうかしたか?」
「な、んでもないよ」
「本当に?」
「ん、あぁっ…」
体を撫でていた手が不意に俺のものに触れてきて、腰が小さく跳ねる。そのまま弄り出す手に、体がどんどん熱くなる。
古谷君の言う通り、今日はむしゃくしゃしていて、いつもより沢山飲んだ。だからか、涙腺も緩いし体を支配する熱も酷く熱い。
既にぐにゃぐにゃの脳内で、本間君の声がリピートされた。
『ーー実はね、古谷がキスしないのって、前田クン、君だけなんだよ』
やっとその言葉を理解した時、心臓が刺されたような痛みに襲われた。
古谷君は、俺との行為を嫌っているのだろうか。俺とはキスしたくないくらい。
じわりと目尻に涙が浮かぶ。それを隠すように目を閉じれば、つぅ、と涙が一筋流れる。
「…ひっ…うぅ…んっ、あ」
「蓮…」
「ぅあっ…ふ、んぁ…ぅ」
慰めるように体を這う唇が、今日だけは憎らしかった。
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