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幻想を消し去る魔法(西蔭)


過去拍手話。


「野坂のあれ、どう思う?」
「何のことだ。」
「竹見のこと。これ以上使い物にならないって言葉。」

いきなり部屋にやってきたかと思うとマネージャーであるみょうじはそういった。

「愚問だな。」

野坂さんの言葉に間違いがあるはずないだろ。

そう続けるとみょうじはそっか、と返して俺の方をジッと見つめた。いつもと同じ顔のはずなのに何かが、違和感が胸に痞える。その謎の違和感の正体を掴みかけた時だった、みょうじは右腕を伸ばして俺の左腕を掴み、俯いた。


「なんだ。」
「...野坂の言葉に間違いがない、西蔭がそう言うなら私はもう此処には居られない。」
「どういう意味だ。」
「そのままの意味よ。」

野坂さんが認めるほどの優秀な彼女にしては要領の悪い会話に若干に苛立ちを覚える。腕を掴む小さな手を払ってしまおうと片方の手を近づけると掴む手に力が込められた。

「竹見は偉かったよ。会いたい気持ちを押し殺して今日まで頑張ってきたんだから。」
「脱走者の肩を持つとはな。」
「私は竹見と違ってずっと近くに居たのだもの。それは今日まで気付かなかったわけだわ。」
「...戯言は大概にするんだ。」

俺の腕を強く掴む彼女の手を今度こそ掴み上げ無理矢理剥がすと彼女の俯いてた顔が上を向いた。そこでかち合った視線にさっき掴み損ねた違和感を俺は掴んだ。
みょうじの無機質な瞳は野坂さんと同じでいつも無感情で手を伸ばしたものなら最後、吸い込まれそうな底なしの闇を湛えていた。しかしどうしたことか、そんな無感情だった彼女の瞳に光が灯っている。雷門や星章の選手のような爛々と感情が溢れた目と比べたら取るに足らないようなものだが確かにそこには光があった。

まさか、みょうじに限ってそんなはずは、と驚いた俺の姿が彼女の瞳に鮮やかに映し出される。


「私だってまさか脱走者によって気付かされるなんて思いもしなかったわ。」

みょうじはハハッと自嘲気味に笑って口許嫋やかに緩めて言った。

彼女はこんな顔をする人間だっただろうか。

更なる驚きでつい緩まった俺の手をいとも簡単に振り払うとみょうじは一歩俺に近づいた。


「できれば...できることなら......」


その後に続いた小さな呟きは聞こえなかった。みょうじは俺に手を伸ばして俺のジャージの胸元をグッと引いた。虚をつかれつい前屈みになった俺の視界の先でさらっと彼女の前髪が揺れた。そして次の瞬間唇に柔らかいものが押し当てられた。それは一瞬触れるとすぐに俺の唇から離れていった。眼前にはさっきのようにみょうじが立っていてその一瞬はまるで現実味のない夢だったのではと頭が錯乱する。


「野坂に掛け合ってくるわ。じゃあ私はこれで。」


いつも通りの口ぶりで至って冷静に淡々とみょうじは言って俺の部屋を出ていった。

揺れた光を俺に残して。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私がマネージャーを務めているサッカー部の選手、竹見が脱走を試みたとのことで尋問を受けた。竹見の眼前には野坂と西蔭が、背後には選手たちが、そしてその中間の竹見の横に私は立つ。竹見の脱走理由は至って単純だった。漫画を読みたい、テレビを観たい、という娯楽に興じたいという至極くだらない理由。

けれど竹見が本当に望んでいたのは大好きな彼女に逢いたいという切なる願いだった。


「死ぬほど会いたいんだ!」


そんな叫びと共に野坂を射抜く強い眼差し。その瞳には彼女への感情が溢れていてその姿に全身が震えた。身体中に駆け巡ったそれはまるで閃光のようで私の心臓はいやに高鳴った。そんな自分の変化に驚いたけどそれを表に出すわけにはいかない。私は落ち着き払った顔を作り野坂によって逃げること許され去って行く竹見の背中を見つめた。

その背中が消えると次に目が追ったのはいつも野坂の隣に立つ大きな彼だった。身体をピンと伸ばして野坂と会話をするその姿にドクンと大きく波打つ鼓動。


「彼はもう使い物にならない。僕はそう判断しただけ。ここに居ても同じさ。」

野坂の言葉を静かに聞き入れる彼はその言葉に特別なにか反応を示したりはしなかった。しかし微動だにしない姿は野坂への肯定の姿勢なのだと私は痛いほどわかっていたし、理解していた。


「野坂のあれ、どう思う?」
「何のことだ。」
「竹見のこと。これ以上使い物にならないって言葉。」

理解していた。そうにも関わらずわざわざ彼の部屋を訪ねて答えの分かりきった質問を西蔭に投げる私は酷く滑稽だ。


「愚問だな。野坂さんの言葉に間違いがあるはずないだろう。」

野坂の言葉のすべてがこの世の真理だと、自分はその真理である野坂の言葉を疑うことなどないといった口ぶりで淡々と西蔭は言った。
想定通りの答えが返ってきて私はそっか、と返した。けれどその答えに微かに胸が痛むのは何故だろう。

無意識に西蔭を追っていたらしい視線が彼の瞳とぶつかる。光のないグレーの瞳が見据える世界に私はきっと居ない。じくじくと胸を蝕む痛みに私は知らないうちに西蔭の鍛え上げられた腕に手を伸ばしてその腕を掴んでいた。


「なんだ。」

西蔭のことを直視できず俯いていると頭上から無感情な声が降ってきた。その言葉が腹の底に重く沈んでまともな言葉を口にできない。

「...野坂の言葉に間違いがない、西蔭がそう言うなら私はもう此処には居られない。」
「どういう意味だ。」
「そのままの意味よ。」

口から零れる言葉は核心をひた隠しにした要領を得ないものばかりでそんな言葉たちに目に前の彼は苛立っているに違いない。けれど私の唇は言葉を零すことをやめなかった。胸から溢れるはじめての感情を止めようがなかった。


「竹見は偉かったよ。会いたい気持ちを押し殺して今日まで頑張ってきたんだから。」
「脱走者の肩を持つとはな。」
「私は竹見と違ってずっと近くに居たのだもの。それは今日まで気付かなかったわけだわ。」
「...戯言は大概にするんだ。」

戯言、彼にとって私の言葉たちは無駄な言葉遊びに過ぎないようだ。そんなくだらない遊びに限界を感じたのか西蔭は腕にある私の手を力強く掴み上げた。勢いがあまって反射的に顔を上げた先で再び彼の瞳と視線がぶつかる。ぶつかったその目は私の瞳を捉えると微かに見開かれた。


「私だってまさか脱走者によって気付かされるなんて思いもしなかったわ。」

珍しい表情を見せた彼の視界の先で私は一体どんな顔をしているのか、きっと可笑しな貌をしてるに違いないと考えると何故か笑えてきて自嘲気味な笑みを零す。そんな私の貌に困惑の色を深めた西蔭を見つめながら今日が彼の瞳に私が映る最後の日なのだと私は悟った。

最後ならば...と揺れ動いた心は身体を動かし力の緩まった西蔭の手を払うと一歩彼の元へ近づいた。見上げた先にある彼の顔は今までで一番近い距離にあった。そのはずなのに心はお互い何処までも遠い場所にあるようで心臓が締め付けらられる。

こんな思いをするくらいなら...


「できれば...できることなら......」

一生気付きたくなかった。

今日というタイムリミットを迎えるまで気付かなかった想いが、気付かないうちに心に深く根を張っていた彼にとっては目障りでしかない慕情が芽吹いた息苦しさを吐露し彼のジャージの胸元を引いた。更に近くなった彼の顔に背伸びし薄く開いたそこに私の唇を押し付けた。人並みの温かさを持ったそこに触れた感触が愛おしくも辛くもあって私は直ぐに唇を離して彼から距離を取る。


「野坂に掛け合ってくるわ。じゃあ私はこれで。」

努めて普段通りの平静な姿を装って私は彼の部屋を後にした。

部屋を出た途端鉛のように重くなった足取り。どうやら根は心臓だけでなく身体中に侵食していたのだと、もう身も心も全てが使い物にならないのだと気付いた途端に瞳から溢れそうになった感情に私は思い切り唇を噛み締めた。