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※雨に溶けた城塞(灰崎)


※死ネタ



そいつに、なまえに出会ったのは雨の日だった。

出会いは病院の玄関。玄関の柱に力なくもたれかかっていたそいつの息は浅くて脇には値段のタグを外していない新品のビニール傘が雨を仰いでいた。見るからにやばそうなやつを見捨てるほど鬼じゃ無かったらしい俺はビニール傘を拾い上げそいつを病室まで運んでやった。
病室に着く頃には息も整っていてそいつの顔には笑顔があった。

「名前聞いてもいい?」

笑顔で尋ねてくるそいつを無視することが出来ず俺は灰崎凌兵と短く言った。名前を伝えると馴れ馴れしくもそいつはわかった、凌兵だね。と言うと徐に立ち上がって冷蔵庫から真っ白な箱を取り出した。封の所の三毛猫のシールをビリっと剥がし箱を開けた先には女なら手を叩いて喜ぶだろう甘い匂いを放つケーキが陳列していた。

「ねえ凌兵どれ食べる?」

見知らぬ人間にケーキを振舞われる義理はない。いらないと俺はぶっきらぼうに言ったが聞く耳を持たずじゃあフルーツタルトにするねと言うと勝手に紙皿にケーキを盛った。めんどくせえと小さな声でボヤいたがそいつは気にしてないようだった。

「はい、どうぞ。」
「......お前は食わねえのか。」

差し出せれたフォークと紙皿を受け取りながら素直に思ったことを尋ねるとそいつは笑みを浮かべながら答えた。

「私はさっき頂いたから。」
「...へえ。」

ケーキの箱の封をそっと閉じながらそいつは言った。さっき頂いた、言葉と相反する猫の2つに裂けたシールを見つめながら俺はフォークをタルトに差し込んで不恰好になりながらもタルト生地を砕いて口に運んだ。フルーツとタルト生地の間にたっぷり入ったカスタードクリームがくどいくらいに甘かったのを今でも覚えている。

初めての出会いを果たしてから何故か俺はそいつの病室へ茜の見舞いのついでに時折足を向けるようになった。
フルーツタルトを振舞われた次にそいつを訪れるとそいつは俺にプリンを差し出しながら唐突に自己紹介を始めた。私の名前はなまえだよ、と笑顔を浮かべて。病室の番号の下に書いてあるから知っていたが俺は敢えて知らない振りをしてへえっと興味なさげに返してバニラビーンズの匂いが強いプリンを口に入れた。やっぱりそれは甘かった。

そうして会うたびになまえにアイスクリームやシュークリームといったお菓子を振舞われた。いつもなまえはもう先に食べたと言ってお菓子を一切食べずにずっと喋り続けていた。担当の看護師が綺麗だの昨日一階でイケメンを見ただの日常の他愛ない話を何が楽しいのかずっと笑顔で話し続けていた。俺にとってはどうでもいい取るに足らない話だったが表情をコロコロ変えながら話す姿は見てて飽きなくて俺はいつもそのくだらない話に耳を傾けていた。
どうやらなまえは同じ齢くらいの入院者として茜のことを認知しているらしく茜の話も時折していた。茜を思う気持ちと茜をあんなのにしたアレスの天秤に対する復讐心が時間が過ぎるたびにぐちゃぐちゃに混じったせいか茜の話になると条件反射でついカッとなる俺だったがなまえの話は比較的穏やかな気持ちで聞くことができた。入院しているという点で茜となまえの境遇が似ていたからという理由もあったがそれ以上になまえが話す茜の話題には他意が無かったからだった。感情の削げ落ちた茜を揶揄することも面白おかしく話すこともなくあの子かわいいよね、だとか髪型ツヤツヤで羨ましいだとかなまえの話には裏がなかった。ただ茜ちゃんの部屋に飾ってあるクマがかわいいとクマ蔵の話題になった時は妙に恥ずかしくてうるせえな、と悪態をついてしまった。

そんな感じでなまえと取り留めのない話を会うたび交わしていたある日、俺はなまえの頼みで一緒に中庭を散歩していた。前日は土砂降りの雨が降っていてその影響を受けてか砂の敷かれた中庭の地面はぬかるんでいて踏むたびに嫌な感触が靴を伝ってやってきた。眉間に皺を寄せながらなんでこの日を散歩に選んだと少しなまえを睨むがなまえはそんな俺の視線なんて物ともせずに中庭を歩く。暫く歩くと目の前に大きな水溜りが姿を見せた。これ以上は先に行かせないと大きさをもって主張するそれにただでさえ泥濘に苛立ちを覚えていた俺はチッと舌打ちを溢す。

「おいなまえ帰るぞ。」

先には進めねえだろ。
眉間に皺を寄せながら言ったがなまえは急に水溜りの前に座り込んだ。何やってんだ、そう声をかけるよりも先にねえ凌兵知ってる?となまえは口を開いた。


「水溜りの中にはもう一つの世界があるんだよ。」
「はあ?」

お前作家志望だったのか、そう言いかけたくらいになまえの発した言葉は荒唐無稽で現実味がなかった。馬鹿らしい、なまえの背中に向かって言ったがなまえはジッと水溜りを見つめ続ける。


「水溜りの中の世界のケーキはうんっと甘くってプリンは鼻を抜けるくらいのバニラの匂いがしてアイスクリームもシュークリームも身体が溶けちゃうくらい甘いの。」

水溜りを見つめながらなまえは言った。砂利の沈んだ水溜りにそこらのなんの変哲もない景色が、なまえが、俺が、映っている。俯いているなまえの表情は此処からじゃ見えない。チッと二度目の舌打ちを溢してなまえの横へ腰を下ろす。なまえはチラリとこちらを一瞥した。そこにはいつも通り笑みを浮かべたなまえがいた。


「それでさ、その世界の茜ちゃんは外の景色を見ながら笑っていて凌兵も今よりほんのちょーっとだけ素直になってるんだ。」

再び水溜りに視線を落としてなまえは言った。言い終わると同時に背後から吹いた強い風。なまえの髪が風に仰がれてなまえの横顔をすっぽり隠してしまう。隠れた先にどんななまえがいるのか、水溜りになまえの表情を訊ねようと視線を落としたが風に仰がれる水面は何の変哲も無い俺たちの世界を揺らしぐちゃぐちゃにしていた。


「...その世界にお前は居ないのか。」

ぐちゃぐちゃな水面に何を思ったのか呟いた言葉は自分の中に不吉な渦を巻いた。自分で放ったものにも関わらずどう収拾すればいいのかわからないでいるとなまえはスクっと立ち上がった。


「風が強いね!帰ろっか。」
「...そうだな。」

どうやら耳に届いていないらしかった。別に返事を待っていたわけでもねぇからこの話題は終いにしよう。そう決めて水溜りを背になまえの病室へと戻った。


雨による泥濘も乾ききった数日後。嫌味なほどに青く澄み渡る空がどこまでも広がる日、俺は茜の見舞いを済ませてなまえの部屋に向かった。散歩はこういう晴れた日にするもんなんだよ、ってあいつを無理にでも外に連れ出してやる。フッと知らないうちに緩んだ口角に驚きすぐさま引き締め一歩一歩なまえの部屋に向かって歩く。到着した部屋の扉をいつも通り引き馬鹿みたいに笑って俺を迎えるなまえの姿を捉えようとしたが開けた先には俺の知らない景色が広がっていた。


「...あれ、もしかして灰崎くん?」

俺が扉を開けた音に気づいた看護服を着た女が振り返って言った。恐らく前に聞かされた担当の看護師だ。看護師は疲弊した顔でこちらを見た。でもそんなのどうでもよかった。俺は部屋の中を隅々まで見回した。サイドテーブルに置かれたなまえの無駄にファンシーな私物、お気に入りだとかいって膝に掛けていた古ぼけたうさぎ柄のひざ掛け、壁に飾っていた写真、その他諸々なまえと共に存在していた全てがなまえと一緒に消え去っていた。皺一つない白いベッドシーツに畳まれた掛け布団、綺麗に拭かれたサイドテーブル、そして無機質な臭いに眩暈がして俺はその場にしゃがみ込んだ。


「...灰崎くん、これなまえちゃんから預かっていたの。読んであげて。」

看護師から差し出された手紙。それを黙って受け取ると看護師は何も言わず去っていった。

静かに扉が閉められた病室に存在するのは俺たった一人。その事実が徐々に俺へ迫ってきて悪寒が全身を襲った。まだこの部屋に入って一言も言葉を発していない唇がガクガクと震えた。


(...違うよな、なまえ。)

違うと言ってくれ。俺は望みをかけて看護師から受け取った手紙の封を剥がした。あいつが好きだったキャラクターのシールを剥がした先には小さな便箋が1枚二つ折りにして入っていた。震える手でそれを開いた先には短くこう記されていた。


ごめんね、その世界に私は居ないみたい。


1行にも満たないその文章に視界がボヤける。グッと唇を噛み締めて溢れそうになる感情を堪える。


(返事が遅えんだよお前は...)


心に吐き出した言葉は誰の耳にも届くことなく俺の中で何度も何度も繰り返された。



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(ちょい補足)
水溜りの世界=主人公による未来予知的な感じです。ケーキやプリンやシュークリームが甘いというのは主人公がもうずっとそれらを口にしていなくて記憶の中でしかその味を思い出せないけどきっとその味は未来永劫変わらないだろうということでそう発言した感じです(?) その他補足はちゃんと整理して365にあげます...