「折紙先輩」
「わっ」
トレーニングが終わったそのとき、イワンはいきなり背後からバーナビーに話し掛けられた。
身構えもせずに突然掛けられた声に、イワンは竦み上がった。
「あ…すみません、驚かせてしまって」
「い、いえいえ…こちらこそ…すいません…」
バーナビーもイワンと同じく直前までトレーニングをしていたようで、肩に掛けたタオルで口元を覆うようにしている。汗をかいているのだろう。
イワンは、それを少し可愛いと思ってしまった。
(…年上相手に可愛いなんて、普通じゃないよな…)
イワンはついついバーナビーの顔をまじまじと見つめる。
整いきったその顔は、いつの間にか不思議そうな表情をしていた。
「先輩?僕の顔に何か付いてます?」
「あ…っ、いえ、……あ、あの、用件は…っ」
バーナビーの言葉に、潔く相手をまじまじと見詰めてしまっていたことに気が付いたイワンは慌てて別の話を振る。
するとバーナビーも本題を忘れていたようで、あぁ、と声を出した。
「すみません、用件を忘れていました」
そしてそのまま、言葉を繋がれる。
「少しお聞きしたいことがあって…あぁ、とりあえずシャワーを浴びて来ませんか?」
「あ、はい…そうですね」
こちらが呼び止めたのにすみません、と本日で何度目かになる謝罪を口にして、バーナビーはくるりと翻りシャワールームに向かって歩きだす。
その背を追っている間イワンはずっと、これから何を言われるのだろうと身を怯ませていた。
(……心当たりがありすぎる)
トレーニング中や、プライベートでみんなで飲んでいるとき等に、バーナビーをずっと見ていることに気付かれたのか。
雑誌等に載っていたバーナビーの写真を切り抜いて所持していることを知られたのか。
まだまだ心当たりはある。
それは、決して恋愛感情からの行動ではなかった。
恋愛感情ではなく、憧れだ。
常に最下位の自分にとって、常にパッとしない自分にとって、最上位であり皆の目を引くバーナビーは憧れの存在なのだ。
自分もこうなりたい、そんなおこがましいことは思わない。ただ、ほんの少しだけでいいから、他の人よりも彼に近い存在でありたいと思っていた。
シャワールームに着くと、バーナビーは汗を吸ったスポーツウェアを脱ぎだす。
露出される肉体に、イワンは思わず目を奪われる。
「…先輩?」
声を掛けられてはっとした。
流石にこれはごまかしきれない。
「あ、あの、決して、その…やましい目で見てた訳じゃ…っ」
咄嗟に口にした言葉に、バーナビーが硬直するのがわかった。
今度こそ駄目だ、終わった、と、イワンが絶望する。
すると、バーナビーの表情が柔らかくなり、くすくすと笑い出す。
「バ、バーナビーさん?」
「…わかってますよ、先輩」
笑いながら紡がれた言葉に、イワンは心底安堵する。
それから、その笑顔に、心を掴まれたような形容しがたい感覚をおぼえる。
「…よ、良かった…」
とりあえずそれだけ言って、イワンは今の感覚は忘れようと試みる。
すると、バーナビーが「先輩」と話を切り出した。
「すみません、ついでなので用件、今言っちゃいます」
ついで、とは、きっと今のでシャワーを浴びるのが先延ばしになったことに対してのついでなのだろう。
「なんですか?」
「これなんですが…」
脇に置いてあった、簡単な持ち物の中から一冊の雑誌を手に取って、バーナビーはペラペラとめくる。
ある1ページで指を止め、バーナビーはイワンにそのページを見せる。
「…え、折り紙?」
「はい…日本のことが書いてある雑誌なんですが、この折り紙の説明がよくわからなくて」
イワンは食い入るようにそのページを見つめる。
それは所謂、「折り鶴」の折り方の説明だった。
確かにこれは、文と写真だけの説明ではよくわからないだろう。
「で、もし折紙先輩がこれの折り方をご存知でしたら…教えて頂けないかと…」
「あ、はい、もちろんです!」
と、威勢良く答えたそのとき。
イワンの目に、恥ずかしがるように照れた顔のバーナビーが映った。
再び、先程感じた形容しがたい感覚に襲われる。今度はこれの正体がわかった。
(……恋?)
まさか、と思う気持ちと、やっぱり、と思う気持ちが入り乱れてイワンを混乱させる。
「シャワー浴びましょう、先輩」
「は、はい…」
シャワーを浴びるバーナビーに、イワンが恋を確信するまであと3分。