研究所から出て来たバーナビーを、見るからに高そうな車が出迎えた。
運転席の方に回り込んで、バーナビーは中にいる人に声を掛けた。
「どうしてあなたが此処に?」
「エステを予約しておいたの、今から行くわよ」
「今から?」
運転席の薄く開いた窓の隙間から目を合わせると、その車の主であるネイサンは「乗りなさい」と促した。
「こんな時間から?今、何時ですか?」
「19時。大丈夫よ、日中働いてるOL達だってエステ通ってるんだから」
バーナビーがシートベルトを付けると、ネイサンがすぐに車を発進させる。
ちらっと横目で腕時計を確認していたあたり、時間がギリギリなのかもしれない。そうと知っていたら勉強が終わってから少し研究所に残って資料を漁ったりなんてしなかったのに、とバーナビーは先程までの自分の行動を思い出しながら思った。
間もなくネイサンの車は、賑わいはあるが決して煩くはなく落ち着いた雰囲気の繁華街に入った。
この前まで自分がずっと過ごしてきたマーベリックの家と同じゴールドステージにあるとはいえ、バーナビーにはあまり馴染みが無い。
「もうすぐ着くわよ。車を降りたらアタシから離れるんじゃないわよ。裏通りからその手の人達が狩りに来てるかもしれないから」
「その手の人達?」
「……ハンサムみたいな可愛い子を捕まえて食べちゃう人達よ」
「食べちゃう?」
ネイサンは、バーナビーのあまりの純粋さに少し目を丸くして、それから肩を竦めた。
「アンタは知らなくて良いこともあるわ」
バーナビーはそのあとしばらくネイサンの言葉の意味を考えていたが、ネイサンの「着いたわ」の一言で考えるのをやめた。
「なんだか場違いな服装でしたね」
「そんなことないわ」
ネイサンは、ワイシャツにネクタイ、カーディガンと、夜の繁華街にはあまり合っていない服装のバーナビーの肩に手を置いて店に入った。美容にあまり関心のないバーナビーが、そこが入会の難しい会員制の超高級エステだと知るのはまだまだ先のことだ。
エステを終え、支払いは済んだと言われたバーナビーが店を出ると、ネイサンは車の中にいた。
助手席に座るとまずは「夕飯は外で食べるって連絡したから」と言われた。
「どう?」
真っ直ぐ前を見て運転をしながらネイサンが問い掛ける。
「…どうって、あまり変わった気はしないです」
「まぁ、そういうものよね」
ネイサンはそれからちらりとバーナビーの方を見て、すぐにまた前に視線を戻す。
「アタシが確かめてあげましょうか?肌触りとか舐め心地とか」
「……お手柔らかにお願いします」
相手が冗談で言っているとわかっているから、バーナビーも冗談で返す。そのあとネイサンが少し笑って、車内は静かになった。
「そのレストランよ」
バーナビーはしばらく助手席で景色を眺めていた。「その」と言われてあたりを見回すと、自分一人では絶対に入りそうにないようなレストランがあった。
「高そうですね」
「ハンサムもこのくらいの所なら来るんじゃないの?」
「僕が?こんな高級そうなところ怖くて入れませんよ」
「あら、隠してるのかもしれないけどわかるわよ。服はいちいち良い素材だし言動にも気品があるし、アンタ良い所のお坊ちゃまなんでしょ?」
「まさか」
バーナビーは軽く笑いながら首を振る。
「まぁ、生活に困らないくらいはありますけど。親の遺産とか特許権とかのおかげで」
「…あら、悪いこと言っちゃったかしら」
「いいえ、全く」
ネイサンは自分の両親がもう故人であると知らなかったのか、とバーナビーはそこで初めて気付いた。
思い返せば誰にも言っていなかった気がする。知っているのは入居の際に資料に目を通した虎徹だけなのかもしれない。
だとすると、あのおじさんは意外に口が固いのか、とバーナビーは思った。別に両親のことを隠しているつもりはない。なんとなく言わなかっただけだ。聞かれなかったから。
レストランに入り席に着くと、すぐに料理が運ばれて来た。
ゴールドステージは、場所によっては下の層まで見えて夜景がとても綺麗だ。このレストランもそうだった。
(――相当な金持ちなんだな、この人)
バーナビーはネイサンの方をちらりと見た。その視線に反応したネイサンはワインを片手に微笑んだ。
「アンタ、タイガーに冷たいみたいじゃない」
「……それはおじさんが?」
「言ってないわよ、アタシが勝手に観察してそう思ってるだけ」
これが本題だと言うかのようにネイサンが話しはじめる。
「タイガーって確かに熱いっていうか、お節介なところあるけど、良い奴なのよ」
「それは、……わかってます」
「あら?意外だわ」
バーナビーは運ばれてきたパスタをフォークに巻き付けて口に運ぶ。
上半身を前に倒したときに髪の毛が邪魔で、行儀はあまり良くないが片手で耳元を押さえながら食べた。