研究所は思ったよりも広く、一日目は設備や機械の説明などで終わってしまった。
覚えなければいけないことが多すぎる。バーナビーは研究所に持参したメモに沢山の走り書きをして帰ってきた。

「お帰りバニーちゃん!」

どんなに疲れて帰ってきても身体を癒せる場所などない。あるのは、うるさい人達の集まるボロアパートだけだ。

「…戻りました」
「疲れてんのか?先にお風呂にする?夕飯もうすぐだけど」
「いえ…今入ったら溺れそうなので」
「そっか」

けらけらと笑う虎徹に背を向け、荷物を置くために自室に戻ろうとバーナビーが階段に足を掛ける。
そのとき、そんなバーナビーを虎徹の声が引き止めた。

「バニーちゃん!」
「はい?」
「忘れてた。手紙来てたぞ」

虎徹は白い封筒をポケットから出し、階段のおかげでいつもより高い位置にあるバーナビーの目の前に差し出す。

「手紙?」
「マーベリックさんから」
「ああ…ありがとうございます」

バーナビーはそのままそれを片手に持ち、階段を上がっていった。
「夕飯だからすぐ降りて来いよ」という虎徹の声を背中に受けながら。



手紙の内容は、要するに転居の話だった。
前に家賃を送ってきてくれたときのお礼の手紙に、ついでにここの住人のことを書いたのだ。少し正直に書きすぎてしまったのかもしれない。手紙には、「その家で生活していると勉強に支障が出るんじゃないか」と心配そうな文章が綴られていた。

正直な話、多分支障は出る。勉強だけならまだ良いが、精神面にここの住人の影響が出たら困る。

(……転居、か)

手紙には、もしも希望するならば転居先を探しておくから見付かり次第引越しなさい、というようなことが書いてある。
この話を断る理由なんて、どこにもなかった。

数少ない荷物の中から便箋を取り出し、お願いしますと簡潔に書いて、バーナビーは畳に仰向けになる。畳の独特の匂いが鼻腔を擽った。
行儀が悪いとは心得ているが、バーナビーはこの畳に寝転がるというのが少し好きだった。

「バニーちゃん、夕飯忘れてないー?」

下の階から虎徹がバーナビーを呼ぶ声がする。
壁や床にあまり厚みのないこのアパートでは、あまり叫ばなくても声が聞こえる。黙っていると、内容まではわからないがただ普通に会話している声でさえ聞こえることがあるくらいだ。

「……忘れてませんよ」

バーナビーは寝転がったまま仰向けの状態から横になり、所謂"回復体位"の体勢になると、そう小さく呟いて瞼を閉じた。

「バニーちゃーん?」

下からもう一度自分を呼ぶ声がしたのを、バーナビーは聞いた。
さすがに小さく呟いただけの音量では下の階まで届かない。しかしバーナビーには大きい声を出すだけの気力が残っていなかった。

疲れた。
眠るつもりはないし、早く虎徹の部屋に行って皆の待つテーブルにつかなければいけないとわかっているのに、身体が重い。

「どした?」

そうしているうちに、いつの間にか2階まで上がってきていたらしい虎徹が、バーナビーの部屋の前で心配そうな声を出す。

それからすぐに、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。
マスターキーのようなものでも使ったのだろうか、と思考が上手くまとまらない霞がかったような頭でバーナビーは考える。

「なーに寝てんだよ」

虎徹がバーナビーの頭上でしゃがみこむ。
バーナビーにもその気配はわかったが、重い瞼は持ち上がらない。

「こんなとこで寝てたら風邪引くぞ」
「……寝てません」
「起きてたのかよ、夕飯どうする?」

バーナビーはやっと重い身体を起こし、起きたてで鈍く痛む頭を片手で押さえた。
やっと目線の高さが合った。虎徹はバーナビーの背中を静かに撫でる。

「お疲れモード?」
「…大丈夫です」
「降りてこれる?夕飯ここに持ってきた方がいい?」
「大丈夫だって言ってるでしょう……」

虎徹は少し心配そうな顔をして、手の平をバーナビーの額に当てる。「熱はないな」と確認するその一連の動きが、バーナビーには新鮮だった。
なんだかそれをされるのがむず痒くて、バーナビーは虎徹の手を額から剥がした。

「風邪とかじゃありませんから…。…あの、このアパートってマスターキーとかあるんですか?」
「んー、あるにはあるけど半年くらいずっと金庫だな」

(マスターキーは使われていない?)

確かに虎徹は何も持っていなかった。なのに部屋に入られたということは。

「…僕、鍵閉め忘れてました?」
「開いてたぞ」
「……僕としたことが…玄関の鍵を閉めないなんて無用心だ」

バーナビーが溜息をつくと、虎徹は少し笑った。

「多分みんな掛けてねーぞ」
「…えっ」
「そもそもあそこは"玄関"じゃなくてただの"バニーちゃんの部屋の入り口"だろ。普段玄関の鍵をちゃんと閉めてるからみんな部屋のドアなんていちいち鍵閉めねぇよ」

意味がわからないというように首を傾げるバーナビーに、虎徹は身振り手振りを交えながら言う。

「うちに玄関は一つしかないの!あとはみんな、玄関に見えるけどただの入り口だ。お前らの部屋の入り口。入り口を出たところは"通路"じゃなくて"廊下"な」
「…アパートでしょう、アパート全体を"一つの家"として見るなんて無理がある」
「どんな形であれ家は家なんですー!」

子供みたいに口を尖らせてから、虎徹は立ち上がる。
それから、まだ座ったままのバーナビーの両手をとって立ち上がらせた。

「みんな先に飯食ってるけどそろそろおかわりし始める頃だからな、行かないと。バニーちゃんも大丈夫なら行こうぜ」
「あ…お手数お掛けしてすみません」
「なんだよ今更」

けらけらと笑う虎徹に腕を引っ張られていることにも気付かないまま、バーナビーは無意識に虎徹の背を追った。

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