「おはよ、バニーちゃん」
朝、リビングになっている部屋のキッチンで料理をしている虎徹の意外な様子に、バーナビーは瞠目した。昨日の今日だ、もっと怒っているものだと思っていたのだ。
「……怒ってないんですか」
「何に?」
「……あの、昨日の」
良い音をたててフライパンで卵を焼く虎徹は、少し首を捻って言った。
「昨日の?」
しらばっくれているのか、とバーナビーは少しムッとする。
謝る立場でこんなことに怒るのはお門違いだとは思うが、それでも腹が立って仕方ない。正直なところ、バーナビーはひどく後悔していた。夜中ずっとそのことが気がかりだったのに、虎徹の方は忘れているだなんて。
「……だから、昨日の……!」
「あらバーナビー、早いのね」
言い掛けた言葉はネイサンに遮られてしまった。
既に部屋でシャワーを浴びてきたらしいネイサンは、身体が少し湿っている。
「おはようネイサン、今日からアントニオとお前の他にバニーちゃんもこの時間で朝食だからよろしくな」
「そうなの?てっきりカリーナ達と同じ時間かと思ったわ」
「落ち着いたらそれでいいかも。でも研究所への第一印象は大切だからな、しばらくは早めに行動させるわ」
自分を抜いて繰り広げられる自分の話に、バーナビーは唇をきつく噛む。いちいち子供扱いされているような気がして、それが気にくわなかった。
でもここで何か突っかかったところでまたガキだと言われるのは目に見えていた。バーナビーは黙ってそれを聞き流した。
ネイサン、アントニオ、バーナビー、虎徹の出発時間の早い人達でとった朝食はなんだか落ち着かない。というか気まずい。
バーナビーは3人の話には入れないし、入りたくもない。たまに話を振ってはくるが、まともに答えようとも思わなかった。
「バニーちゃんさー」
なんだか苦手な雰囲気の朝食が終わり、荷物を持って玄関を出ようとしたところで、バーナビーは虎徹に呼び止められた。
「俺達のこと嫌い?」
虎徹からの率直な質問に、バーナビーは一瞬言葉を詰まらせる。
もちろん好きか嫌いかと言われたら嫌いだ。しかし面と向かってそれを言ってしまうほど常識が欠如しているわけでもない。
「……苦手です」
「言うねぇ」
虎徹はそういいながら苦笑した。
「好きになれってのは無理のある話かもしれないから、言わないけどさ。好きになってくれる日が来たら俺は嬉しいぞ」
「期待せずに待ってて下さいね」
「はいはい、期待しねーよ」
バーナビーは自室から持ってきた荷物を持ち、玄関に立った。
すると、虎徹が「バニーちゃん」と名前を呼ぶ。
「お弁当」
「は?」
「いらないの?お弁当」
虎徹が、真新しい弁当箱をバーナビーに手渡す。想像するに、自分用に新しく用意しておいてくれたものなのだろう。
昼食のことなんて考えていなかったバーナビーは、少し視線を泳がせながらもそれを受け取った。
「残さず食えよ」
「……はい」
バーナビーはそれを鞄の中にしまい、虎徹に背を向けた。虎徹がまだ玄関に立っているが、こういうときどうしたらいいのかバーナビーにはわからなかった。
その背に、虎徹の声が掛かる。
「"行ってきます"って言うんだよ」
「……」
そうか、こういうときはそれを言うのか、とバーナビーは素直に理解した。
それでも言い慣れていないその言葉が簡単に口から出てくるはずもなく、バーナビーは少し口を噤んでから、小さな声で言った。
「……行ってきます」
「ん、行ってらっしゃい。帰ってきたらちゃんと"ただいま"、な」
「……はい」
ここの住人達が、いや世界の大半の人達が使うであろうその台詞が、バーナビーにはなんだかむず痒くて、心の中で何回も呟いた。