「これからはバーナビーさん一人で買い物に来なきゃかもしれないんだから、ちゃんと道覚えながら歩こうね!」

高い声で言うホァンの言葉がバーナビーには理解が出来なかった。「一人で買い物をしないといけないかもしれない」なんて、自分の買い物は自分一人で行くのが当たり前だろうし、"お遣い"という意味の買い物なら真っ平ごめんだ。

決して田舎などではなくむしろ都心に近い場所にあるこのアパートから目的の店までは、そう時間はかからなかった。
歩いて10分程度のところにあったのだが、それまでホァンとは一切会話が無く、少し気まずい雰囲気だった。バーナビーはホァンが自分に気を遣って何か会話をしようとしてくれているのがわかっていて、それがかえって気まずかった。

「ここだよ」

スーパーマーケットのような店を想像していたバーナビーは面食らった。そこはまさしく「知る人ぞ知る」とでも言うような、小さな八百屋だった。

「野菜はここで買うの。スーパーのよりも美味しいんだ」
「…そうなんですか…」

それ以上何て言って反応すれば良いのかもわからず、とりあえず適当に相槌を打ちながらホァンの話を聞く。曰く、野菜以外は他のところで買うが、野菜だけはここのものが美味しいので、ここで買うことにしているらしい。

(…なんて効率が悪いんだろう)

バーナビーはそう思った。
食品なら良質であるに越したことはないが、スーパーの野菜が傷んでいるとか腐っているとかというわけでもないならスーパーの野菜でも良いではないか。
スーパーでの買い物もある場合、これだとスーパーと八百屋、2件も回ることになる。効率が悪すぎる、というより面倒臭い。
あの家の住人はこんなことをしているのか。



目的地である八百屋の主人はとても良い人、というか、鏑木荘の人達とは気が合うのだろうなという印象の強い性格の人だった。
明るくて声が大きくて、元気の良いホァンと並んでいてとてもしっくりきた。

目的であった買い物はすぐに終わり、しかし店主とホァンと他にいた客とで世間話が盛り上がってしまい、意外と時間を食われた。
バーナビーはまた「時間の無駄だ」と溜息をつく。

(新しい物件を見つけるのを急がないと)

ここにいたらロクなことになりそうにないし、何よりももし自分がこんな風になってしまったらと思うだけでゾッとした。

「じゃあね、また来るよ!」

会計を済ませたホァンが、そう言って元気よく笑った。
やっと帰れる、とバーナビーは歩き出すホァンに付いていく。

「ごめんね、話長くなっちゃった」
「あ、いえ…」

いくら話が長かったことに文句があろうと、面と向かってそんな不満を言うのには流石に抵抗がある。バーナビーは苦笑しつつ適当にあしらった。
そんなバーナビーに、ホァンが笑いながら言う。

「近道通っていこうか!」
「近道?」
「そう、こっちだよ!」

こっちだと言ってホァンが入っていったのは道などではなく、薄暗く狭い路地裏だった。

「ちょ…ここを通るんですか?」
「そう!複雑になってるからちゃんとついてきてね!」

そう言ったホァンの姿が見る見るうちに闇の中に消えていく。
路地裏に入るには抵抗があったが、ホァンについて行くしかなかった。何故なら、他に道を知らないのだから。

路地裏の中は暗くて足下がよく見えない。たまに石や無意味に露出するコンクリートなどに躓きそうになる。その上狭くて、楽な体勢では歩けない。
なんとか少し広い所に出たが、周囲の明るさからしてまだまだ「中間地点」と言ったところなのだろう。行きにアパートから八百屋まで歩く中に、こんなに複雑な路地裏があったなんて思わなかったと、バーナビーは変に感心した。

そこで、ふと気が付く。ずっと追っていたはずのホァンの姿が無い。オマケに目の前には3つほどに分かれた分岐道。

――ひょっとしてこれは、まさか、「迷子」という状態なのではないだろうか。

迷子、その単語が脳裏を過ぎる。バーナビーはその考えをかき消すように頭をふった。

まさか、そんなのあるわけないじゃないか。
第一ここは迷路でもなんでもないただの路地裏だ。しかもアパートからそんなに遠くない、言わば「近所」だ。そんなところで迷子だなんて。

しかし、その考えは自分の首を締めただけだった。
近所で迷子になったのだと、確信する材料になっただけだ。

もちろんホァンが気が付いて引き返してきてくれるのを待つのが一番賢明だったのだが、そのときのバーナビーにそれを考えるだけの余裕はなかった。
バーナビーはなんの根拠もないが「それっぽい」と思った一番右の道を歩き始める。

正解の道ではなかったとしても、とりあえず路地裏から出られればなんでもいい。
そう思って進んだ道は、どんどん狭くなっていき、ついにはこれ以上はすすめないというくらいにまでなってしまった。少し先は出口と思われるくらいの眩しい世界なのに、身体が壁と壁の間を通り抜けることが出来ない。
いくら小さなホァンでも入れそうになくて、正解の道ではなかったと確信したバーナビーはその場を引き返す。

引き返すと、もちろんさっきまでと見えているものが違う。
バーナビーは絶句した。行きは見えていなかった道が次々と姿をあらわしている。もう正解の道へ行くのは諦めるしか無いくらいの道の多さだった。
せめてさっきホァンとはぐれた分岐点までは行きたい。しかし、分岐点さえも見つからない。

一匹の野良猫が足下をのんびりと歩く。
その猫は何を考えているのか、バーナビーの前で座った。そんなことをされたら、自分も野良かのような錯覚におちいる。
バーナビーはしゃがみ込んで、野良猫の頭をぽんぽんと撫でた。

すると、突然背後から声が掛かる。

「バニー?」
「えっ」

慌てて振り返るとそこには虎徹が立っていた。
懐中電灯を持っているあたり、自分を探しにきてくれたのかもしれない。

「お前こんなとこでなにやってんだよー!ホァンのやつ心配してるからな!」

そう言ったあと虎徹は後ろを向いて、「いたぞー」と大声を出した。するとすぐにホァンが掛けてくる。
手分けして探していたり、呼んだらすぐにその方向に向かえるあたり、この人達はこの路地裏に慣れきっているらしい。

「なんか猫見てたみたいだぞ」
「良かった!もー、心配したんだよ!」
「あ…はい…すみません…」

虎徹の一言のおかげで、バーナビーは「勝手に追尾を放棄して猫と戯れていた」ということになってしまった。とんだ迷惑だったが、迷子だとバレるよりはそっちのほうがマシかもしれない。

「帰ろ、今日はチャーハンだよ!」

自分よりもずっとずっと小さなホァンに手を引かれ、バーナビーは目を見開いた。その小さな手は強く優しく、とても安心感のあるものだった。

(僕がこの子くらい小さかった頃は、何をしてたんだっけ)

少なくとも、他人とこんな風にすることなんて、知らなかった。

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