飲み込み悪いですね、この問題さっきもやりましたよ。
あれ、さっきわかったって言ったじゃないですか。
基本が出来てどうして応用は出来ないんですか?
「あぁもう!うるっさい!」
カリーナは持っていたシャープペンシルを机上に投げ出すと、正座の状態から器用に上半身を全て真後ろに倒す。
バーナビーはそんなカリーナの体勢を見ているだけで太股の筋肉が痛くなるような気がした。
「年頃の女性が…、…嘆かわしい」
「何よ、良いじゃない別に誰かが見てるわけでもないんだから」
「え…あ、はい…」
面と向かって「誰もいない」と言われるのはシュールだったが、きっと彼女にとっては虎徹以外の人がいたところで「誰もいない」も同然なのだろう。
恋愛とは恐ろしいものだ。
「あーやめやめ、一旦休憩」
カリーナは、組んだ手を頭の下で枕のようにして天井を見上げている。
彼女は普段は高校に行って勉強をし、帰ったら家事の手伝いをしている。では学校で膨大に出るであろう課題は寝る前にでもやっているのだろうか。バーナビーは学生寮で暮らしていたため家事の手伝いなどはしなかった。そのかわりにその時間で課題や自習をしていたわけだが、あの頃の自分よりも今の彼女の方が忙しいのかもしれない。
「少し寝たらどうですか。能率も良くなりますし」
「んー」
横にはなったものの瞼を閉じないカリーナにバーナビーがそう提案すると、少し悩むような声を上げたカリーナが視線を部屋の壁に寄こした。
つられて壁の方を見ると、そこに貼ってあるのは何種類ものブルーローズのポスターだ。
「…ねぇ、あんた、ブルーローズってどう思う?」
「ブルーローズ?」
「いるでしょ、アイドルの」
あぁ、とバーナビーは声を出す。
しかし芸能人などに興味がなく、むしろ興味を湧かせる暇もないバーナビーにはよく知らない部類の人間だ。今、若い世代から莫大な人気と支持を得ているブルーローズの名前や容姿は雑誌などでよく見かけるが、別にどう思うかと聞かれて答えるべき言葉は見つからなかった。
「芸能人とか、興味ないので」
「ああ、そう。じゃあイメージとかは?」
「…人生なめてそうですね」
なにそれ、とカリーナは苦笑する。
「わからないんです、ああいう…いつもスポットライトに当たってそうな人達の考えは。愛想振りまいて、人に好かれて、…何も苦労してなさそうだなって、思ってしまうんですよ」
なるべく自分のことは言わないようにしたつもりだが、聡い彼女は何かを察したらしい。部屋に思いがけず重い空気が流れてしまい、バーナビーは少し目をふせた。
「アンタ昔なんかあったクチでしょ」
「聞きたいですか?高くつきますけど」
「一銭も払わないわよ」
気を遣ってくれたらしいカリーナが笑いながら軽口を叩く。もう部屋に重い空気はなかった。
「あたしそのブルーローズなんだけどさ、」
「そうだったんですか、気がつきませんでした」
「反応薄すぎ」
カリーナが身体を起こし、自分の背後にあった押入れの扉を開ける。そこにはブルーローズのグッズやCDが数えられないくらい大量にあった。
「これ、お父さんとかが送ってくるの。特にプロマイドなんか本人に送るなんて、嫌がらせかって思うけど」
「応援してくれてるんじゃないんですか」
「ん…わかってる。わかってるんだけどね」
カリーナは壁一面にわたる大きな押入れの中に身体を潜り込ませ、次から次へとダンボール箱を引き摺り出していく。バーナビーがそっとその中の1つを開けてみると、同じCDやDVDが数枚ずつ収納されていた。
「どうして同じものが何枚も?」
「2,3枚は会社から、もう1枚は家族から、あとはファンの人がくれたりCDショップの人がくれたり。いらないって言えなくて」
押入れの手前のほうには、他に収納スペースが無いのもあり、勉強に使っているらしい参考書や問題集が詰まれている。もう少し奥には、バーナビーも見たことがあるような、彼女のステージ衣装が数着入っていた。新しい衣装を新調したために着なくなったものだろう。
「みんな、ブルーローズのこともカリーナのことも応援してくれるから、その期待に応えなきゃって焦っちゃうの。お世話になってるからこの家の手伝いだってしたいし。時間だけが無いのよね」
そうか、真面目なんだ。
明るいところに立って、自分みたいに暗いところにしか立てない人間にくらべて、なんの苦労もしてないなんて、そんなことはないんだ。
「誤解してました」
「え?」
「何も考えてなさそうだなって思ってました。あなたも、ブルーローズも」
「随分と酷い言いようじゃない」
誤解解けたなら良いけど、と笑う彼女は、意外と大人びているのかもしれない。
少し休憩させたらまた勉強を再開させなければ。
彼女の学校生活に支障を出さないために。