「虎徹さん」

真っ暗な部屋に光が差し込む。バーナビーが部屋の扉を開いて入ってきたのだ。

「虎徹さん」

ブーツの足音が静かに近づいてくる。
部屋の電気は付いていないため、逆光が起こってバーナビーの表情は窺えない。

今度は何をする気だろう、と虎徹が身構える。
ベッドの柵に、後ろ手できつく縛られている腕が痛い。

「なぁ、バニーちゃん」

命乞いのように声を掛けると、バーナビーは虎徹の座るベッドに腰掛ける。

「楽しいか?」
わかりきったことを聞かないで下さい
自分でも、明確には何に対してした質問なのかがわからない。でも、虎徹の口から自然に出たのはそれだった。
いまさらすぎやしませんか
俺を拘束してて楽しいか?傷つけて楽しいか?何をするでもなく、こんな状態の俺の側に飽きることなく居続けて、楽しいか?
なんて顔してるんです?決まっているでしょう、
「虎徹さん?」
「こんなことして、楽しいか?」
楽しくなんかありません
ようやく慣れてきた目で見たバーナビーの表情は、いつもの…否、いつもより少し幼い表情だった。
虎徹の質問に対してきょとんとした顔で小首を傾げたバーナビーは、虎徹の質問の意図をわかっていないようだった。
あなたといられるのは嬉しいですけど
「バニーちゃん、帰らせてくれないかな」
あなたを傷付けたくはないんです
この部屋に虎徹が来てから、もう1ヶ月になる。
虎徹は、バーナビーに拘束されてから一度もこの家の外に出ていなかった。
ごめんなさい、虎徹さん
何故こんなことになってしまったのかは、はっきりとはわからない。
でも、バーナビーがおかしくなってしまったのは、虎徹が彼に「ヒーローをやめる」と告げてからだった。
でも、どうしても離れたくない
「どうしてですか?」
「…楓に、会いたい」
娘さんの方が大事ですか?
虎徹は、いったんシュテルンビルトに戻ったらすぐ実家に戻ると家族に約束していた。
それなのにこんなことになってしまって、帰ることはもちろん連絡も出来ていないのだ。
僕じゃ満足できませんか?
「家族にも、ヒーローのみんなにも、会いたいんだよ…」
僕はあなたに会えるだけで幸せですよ
会社にも家族にも仲間にも、ずっと会っていない。
会うのは凶器めいた顔の相棒だけで、虎徹まで気が狂いそうだった。本当に狂えたら、どれだけ楽なのだろうかとも本気で思った。
それじゃだめなんですか?
「なぁ、帰らせてくれよ」
嫌だ!!!!!!!!!!
懇願すると、バーナビーはふるふると首を振る。
そんなの、耐えられない
「…いやです」
「じゃあ、いつまで俺のことこうしてる気なんだ?」
ずっと、側にいてください
その質問には、まるでそれを聞かなかったかのようにバーナビーは答えなかった。
永遠に、という意味なのだろうか。
ずっと、ずっと。
虎徹が声を荒げる。

「縄をほどけ、帰らせろっつってんだよ…!」
助けて
すると、虎徹の顔を見詰めるバーナビーの顔が酷く傷ついたような顔になる。
虎徹さん、助けて下さい
「…また裏切るんですか」
「…バニー」
「…また、僕のことを裏切るんですか…っ」
悲しい…
痛々しく歪められたその表情が、切羽詰まったような声が、虎徹の脳裏に焼きついて離れない。
腕が縛られていなかったら抱きしめていたかもしれない。
自分は甘い人間だな、と虎徹は嘲笑う。
悲しい、辛い…
「…良いこと考えた」

バーナビーが、ベッドサイドの引き出しから包丁を取り出す。
あまりにも唐突な刃物の出現に、何故そんなものがここに、とは聞けなかった。
ごめんなさい
「僕のこと、裏切れないようにすれば良いんだ…そうでしょう?虎徹さんが悪いんだ…僕のこと裏切ろうとするから…」
「バニー…っ」
「これで」
ごめんなさい、虎徹さん。ごめんなさい。
ぶつぶつとうわ言のように呟きながら、バーナビーは包丁を両手で突き出すように構える。
ベッドに座らされている虎徹の下半身に跨り、バーナビーはその足の上空に包丁を付きたてた。
僕は、狂ってるでしょう?
「足を頂きますね」
「おい、バニー!」
とめてください
頂く、とは腱を切るとかそんな類の話だろう。
とにかく今のバーナビーは、虎徹を逃がさないために手段を選んでいなかった。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「ごめんなさい、でもこうするしかないんです、虎徹さんが逃げようとするから…」
「バニー!お前おかしいぞ!」
「おかしいですよ僕は…、ごめんなさい、虎徹さん、ごめんなさい…っ」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ひたすらごめんなさい、と繰り返すバーナビーの目は虚ろで、何も映していなかった。
もう何を言っても聞いてはくれないかもしれない、そう思っても虎徹は諦められなかった。
このバーナビーのどこかに、バニーちゃんが確かに存在しているはずだと、そう信じていたのだ。
ごめんなさい虎徹さん、ごめんなさい
「バニー!!」
「…っ!」
とめてください、狂った僕を。
耳が張り裂けんばかりの大声で名前を叫ぶと、バーナビーの目がやっとぼんやりと虎徹を映す。

「なあ、バニーちゃん、これは、おかしいだろ?」
おかしいですよ、僕は
虎徹はバーナビーに、親愛の目を向ける。
酷いことをされている自覚はあるが、それでも虎徹は彼を嫌いになることが出来なかった。

「裏切るとか裏切らないとか、そういう話じゃないんだよ」

わかってくれるだろうか。希望はもうほとんど無いに近いかもしれない。このままずっと、バーナビーはこの状態なのかもしれない。
虎徹は、この際足を切られても仕方ないと思っていた。でも、バーナビーだけは元に戻したかった。ずっとこのまま人間不審でいるなんて、あまりにも残酷だ。誰も信じられないままの人生なんて。

「お前は、目に見える繋がりしか見ようとしてないだけなんだよ」

腕は未だにピクリとも動かない。
長い間拘束されているせいで、ろくに力も入らなくなっていた。

「あんなことがあった後なんだから、目に見えないものは信じられなくて当然だと思ってる。でも」

あんなことというのは、バーナビーが吐露した「夢の話」だ。
両親殺しの犯人が自分なのだと、混乱しきった頭で言っていた。

虎徹は事の重大さに気付かず、混乱しているバーナビーにとどめをさすように告げてしまったのだ。
引退する、と。

夢が原因で壊れてしまったバーナビーが、目に見えないものを信じるなんて無理なのかもしれない。でも。

「俺はお前が信じてくれるって、信じてるよ」

正面から相手の目を見詰めて虎徹は伝える。

「俺はお前の側にいる。見えないところにいても、心は繋がってるんだよ」

少し、ドラマの台詞じみたようなことを言うと、虎徹は柔らかく笑う。
虎徹さん…
しばらくどちらも声を出さずに、静寂が訪れた。
視線だけが交差する。バーナビーの目は堪えずゆらゆらと揺らいでいた。

「今、俺良いこと言っただろ?」
「…自分で良いこととか、言わないで下さい」

バーナビーが、虎徹の後ろできつく縛られた腕に手を回す。
するすると解かれていく縄に、虎徹の思考が止まった。

「…バニーちゃん?」
「間違ってました」

完全に縄が解かれ自由になった腕を、虎徹は久しぶりに動かす。
違和感しか感じなかったが、自由になったことが嬉しくて虎徹は軽く手を動かす。

「こて、さ」

虎徹の肩に頭を乗せて、バーナビーはふるふると振った。

「ごめんなさい……っ」

包丁がからんと渇いた音を立ててベッドから床に落ちる。

「怖かったんです、また離れられるのが」

ついに本格的に泣き出したバーナビーが、虎徹の肩で涙を流す。
どんどんと濡れていく肩に、虎徹は苦笑しながらバーナビーの頭を撫でる。

「僕にはもう、あなたしかいないから…っ」

真っ暗な部屋の中で、バーナビーは悲痛の声を出す。

「裏切りませんよね…?」

確かめるように言ってから、バーナビーは首を振って言い換える。

「…ううん、虎徹さんは絶対に裏切ったりしません。僕は知ってます」

虎徹はその言葉に、ゆっくりと頷く。
肩に乗った頭に手を置き撫で続けていると、口には出さずともバーナビーの荒れた心が少しずつ癒えていっているのを感じた気がした。

「バニー、もっと早いうちに気付けなくてごめんな、その…色々」

バーナビーは、虎徹さんは何も悪くない、悪いのはこっちなんだといつまでも呟いていた。
"ごめんなさい"のエンドレスリピートから抜け出せないまま、2人はいつまでもただ抱き合っていた。

いつまでも側にいてくれますか?

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