見上げた空は、暗かった。
さらに言えば目の前にあるボロい建物も、なんだか暗い。

「鏑木荘」
建物の手前の塀に、そう書いてある表札があった。
塀を抜けて、建物に入ると玄関口にはポストが9個、3×3の要領で並んでいる。アパートならではの光景だ。

建物の中も暗い。
バーナビーは足元に気をつけながら、奥へ進む。
二階建てのこの建物は、入ってすぐのところに上へと続く階段があり、階段を無視すると廊下は2、3個ほどと思われる数の部屋へと続いていた。

不意に、どんどんとけたたましい足音が近づいてくる。階段だ。

「折紙さん!早く早く!」
「ちょ、ちょっと待ってよホァン……あ」

階段から降りてきた子供2人に、バーナビーは固まる。
建物に入ったばかりで住人と会うなんて。

「こんにちは…」

階段の4段目から、こちらを見下ろすように白髪の少年がバーナビーに挨拶する。

「…こんにちは」

釣られて、訳がわからないままバーナビーも挨拶を返すと、既に建物の外へと走っていった少女がその少年を呼ぶ甲高い声が聞こえた。
今行くよ、と少年が返し、そのまま彼は立ち去っていく。

一人残されたバーナビーが、2人の出て行った方を呆然と見ていると、廊下の奥から声が聞こえた。男の声だ。

「おいおい2人共、カリーナは今テスト期間中なんだぞ?静かに…」

肌の色が濃く、言っては悪いがガラの悪そうな男が廊下から出てくる。
その男は廊下で立つバーナビーの姿を見ると、部屋の方にくるりと背を向けて誰かを呼んだ。

「おい虎徹、新しい入居者って確か24歳だったよな?」

その、誰に言っているのかわからない問いかけに、何かを答えている何者かの声が僅かに聞こえた。

「ん、じゃあ多分来たぞ。アイツの事じゃねーか?」

チラリと男がバーナビーの方を見る。
バーナビーがその男に小首を傾げると、彼はつかつかと廊下を歩み寄ってきた。

「悪いな、虎徹が今手離せねぇらしいから、上がって待っててくれ」

いつまでも玄関口で立っているバーナビーに、奥の部屋に入るように言った男は、付いて来いと言わんばかりの様子でその部屋に入る。
バーナビーも付いていくと、部屋の入り口で男に言われた。

「靴は脱げよ?」
「…あ、はい…」

和室ではないが、靴を脱ぐ方針らしいその部屋に入ると、美味しそうな匂いが鼻をつく。
バーナビーがきょろきょろと部屋を見渡すと、そのガラの悪そうな男の他に、キッチンに立つ男の後ろ姿が見えた。
そして、その男が口を開く。

「わりーなアントニオ、麦茶でも出しといてくれ」
「おう」

アントニオと呼ばれたそのガラの悪そうな男が、バーナビーに麦茶の入ったグラスを渡す。
頭を軽く下げてグラスを受け取ったバーナビーに、後姿の男が声を掛ける。

「暑かったろ?バーナビーさん。ちょっと今夕飯作ってるからよ、待っててくれ」
「はい…」

こちらに顔を向けないまま、結構歳のいってそうな男は話し続ける。
男は何かを鍋で忙しそうに煮込んでいる。主夫なのだろうか。

「バーナビーさん、お米とか食える?入居手続きのとき資料見せてもらったんだけど、パン派に見えるからさ」
「大丈夫ですよ」
「そ?食えるなら良かった」

緊張しているのか自分でもわからなかったが、バーナビーは最低限の返事しか出来なかった。
アントニオもいつの間にかいなくなっていて、顔のわからない男と1対1で話すこの状況が少し苦手に思えた。

「よし、ごめんな、お待たせ」

コンロの火を止めて鍋に蓋をして、男がくるりと振り返る。
にかっと人の良い笑みを浮かべたその顔の、特徴的な形をした髭が印象的だ。

「えーと、俺は鏑木虎徹だ。この家の管理人」
「あ、はい」
「バーナビーさんで合ってたよな?部屋は2階の一番奥の部屋な。隣の部屋はイワンとキースの部屋だ」

簡単な家内の図を見せながら、虎徹はどんどん説明していく。

「今いるのがこの1階一番奥のこの俺の部屋。朝食と夕食はみんなでここで食べるからな。昼食は個人で摂ってもらうけど。で、この部屋を出てすぐ右にあるのがアントニオの部屋。次がネイサンの部屋」
「"アントニオ"って、さっきの…」
「そうそう。で、玄関のすぐ近くにある階段上がったところにあるのがホァンの部屋。次がカリーナの部屋で、その隣がイワンとキースの部屋な。その隣がバーナビーさん、あんたの部屋だ」

ぺらぺらと説明されるが、いくら頭が良くたってバーナビーが処理しきれる量の情報ではない。
少し眉に皺を寄せていると、虎徹がそれに気付いたように苦笑する。

「いっぺんに覚えることはねぇよ、住んでるうちにわかってくるから」
「はい…」

虎徹から、ピンク色のカバーを付けた鍵を手渡される。
"裏にはウサギの絵が描いてあるんだ"と楽しそうに言われたが、正直別に嬉しくない。

そのタイミングで聞こえてきたどたどたという足音に、虎徹がまた苦笑する。

「あいつら帰ってきたか。なんだか週刊誌の発売日だかなんだかって行って買いに走ってたみてぇなんだ」
「あいつら?」
「2階に住んでるホァンとイワン。男子部門と女子部門で最年少2人。人懐っこいからきっとすぐ仲良くなれるぞ」

けたけたと笑う虎徹に、バーナビーはこれからの生活が静かなものではないのだと一人で悟っていた。




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