諦めた、と言って帰省してきた虎徹の背に、楓は寄りかかっていた。
背中合わせで寄りかかりあう親子を、安寿は遠目で見ている。
多少の体重を掛けても、安定して自分の身体を支える楓に、虎徹は自分の娘はいつの間にこんなに大きくなったのだろうとしみじみと思った。
「お前、大きくなったな」
「そうかな?」
娘は大きくなっていた。
自分が思っていたよりも、ずっと。
体重を掛けても揺れない娘の背中に、娘の成長を感じた。
「ねぇ、お父さん」
「んー?」
「結婚式、行かないの?」
あぁ、と気の抜けた答えが虎徹の口から洩れる。
「行かない方がいいだろ、絶対」
「…どうして?」
「…会わない方が、アイツも幸せだろうから」
バーナビーのことを一番良く考えているであろうマーベリックの選んだ相手だ。確実に幸せになれるだろう。
虎徹にはバーナビーを幸せにする自信はあったが、幸せに出来る保証が無かった。
自分は、仕事柄でも年齢的にもいつ死ぬかわからないし、それよりは資産家で歳もそう変わらない相手の方が良いはずだ。
それに、なによりこっちには結婚歴がある。娘もいる。障害が多すぎる。
もちろんまだ好きだし、これからもバーナビーを好きじゃなくなることは無いと思っている。
しかし、バーナビーがどうかはわからない。
「お父さん」
「ん?」
「それで、バーナビーさんは幸せなの?」
楓が控えめに虎徹に尋ねる。背中合わせの状態では、楓が今どんな顔をしているのかわからなかった。
「幸せだと思うぞ」
「じゃあ、お父さんは幸せ?」
楓の質問は、完全に的を射たものだった。
「…俺は、楓がいれば十分だから」
「あんなに私に邪魔されても諦められなかった人を、そんなに簡単に手放せるものなのかな」
今の言葉は、本当に自分の小さな娘が発したものなのか。
「私ね、バーナビーさんと色々話したんだよ。怒りながらだったり、泣きながらだったりしたけど、話したんだよ」
楓の声は、高揚の無い静かなものだった。
自分を諭すような声に、虎徹は耳を傾ける。
「バーナビーさんが幸せならいいの?お父さんは、自分の幸せのことは考えないの?」
「…俺は、バニーが幸せなら…」
「お父さんが幸せじゃないのって、バーナビーさんにとっては不幸せなんじゃないかな」
それに、と楓が続ける。
「バーナビーさんはお父さんが好きなのに、お父さんはそれには答えてあげないの?お父さんは、バーナビーさんと私を幸せにしてくれるんでしょ?」
楓が背中から離れ、くるりと身体を半回転させてこちらを向く。
「ねぇ、行ってあげてよ」
その顔が、声が、言葉が、無形の最愛の人と重なった。
――お前、大きくなったな。
「お父さん、行ってよ!」
感傷に浸っていると、楓がそれを急かす。
時計を見れば、もう式が始まる10分前だった。
「…っ、でも式はあと10分で…!」
「お父さん、捕まって!」
次の瞬間、虎徹の身体が宙に浮く。青白く発光した楓の身体に抱え上げられていたのだ。
「―…!」
「おばあちゃん、行ってきます!」
虎徹を抱え上げたまま、楓はハンドレットパワーを使って全速力で家を飛び出す。
人の家の屋根や電信柱等を伝って移動する娘は、まるでヒーローのようだ。
どこでこんなに能力が使えるようになったんだろう、そんなことを考えていると、楓が地面にへたりこむ。
どうやら5分が経過したらしい。
場所はシュテルンビルトとオリエンタルタウンを繋ぐ長い橋の途中だった。
「楓、大丈夫か」
「お父さん早く能力使って走ってよ!」
「っあ、はい!」
何故か敬語になってしまった返事をしながら、虎徹は能力を発動させる。
楓を抱っこしながら移動すると、シュテルンビルトがどんどんと近付いてくる。
教会はシュテルンビルトの中央部にある。このペースでいけば間に合うはずだ。
と、楓が虎徹に言った。
「お父さん突撃するんでしょ?私は大丈夫だから近くまで来たら降ろして」
「…お前、知らないだろこの辺の地理!」
「知らないけど突撃の邪魔になっちゃうもん!」
シュテルンビルトに入ると、人の雑踏の中に虎徹は着地する。
この中に娘を1人置いていくなんて出来るわけがない。
娘の今の能力がハンドレットパワーな以上、いざというときに使えないからだ。
すると、そのタイミングでベンの乗ったタクシーが虎徹達の前に止まった。
「ロックバイソンに聞いたぞ、オリエンタルタウンまでお前を迎えに行くつもりだったんだが…」
「ベンさん…!サンキュ、楓だけ頼む!」
ベンに楓を託して、虎徹は一直線に教会に向かった。