「行きますよ、虎徹さん」










何故自分はあそこで「虎徹さん」と言ったのだろう。
きっと変に思われた。

不思議と、呼んだことを後悔してはいなかった。
前々からずっと、いつかは呼びたいと思っていたのだ。

それでもきっと変に思われただろうことには、少しだけ堪えた。

「バニー?」
「先輩」

先輩が、僕以外誰もいないオフィスに入ってきた。
日が暮れているのに電気も付けていない中にいた僕を不審に思っているのだろう、先輩はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。

「どっか具合悪いのか?」

不意に伸びてきた手が僕の額に触れた。
特別暖かくも冷たくもないその手が、何故だか僕はとても好きだった。

「熱はねぇな」
「いえ、そういうんじゃ、ないです」
「ずっと仕事してたのか?」

先輩だってきっとこの質問の答えはノーだと気が付いているはずだ。電気もパソコンもついていないこの部屋で仕事をしていただなんて無理がありすぎる。

「…考え事してました」
「?そっか」

先輩が、夕方と夜の間の薄暗い部屋に電気をつけて、自分のデスクに座った。
何をするでもなく椅子を前後に、子供のように揺らす先輩の意図がよくわからず、僕は無意識にじっと彼を見つめてしまった。

「どした?」
「…あの、何してるんですか?」
「何もしてないをしてる」

はぁ?と思わず飽きれたような声を出してしまった。僕の悪い癖だと思う。
飽きれてなんかいない。むしろ、こういう気軽に人といられることに憧れた。
しかし、気になるには気になる。先輩はいつもこの時間には帰っているのだ。

「帰らないんですか?」
「バニーは?」
「…あ、僕もそろそろ帰ります」

僕を気にしていてくれたのか。確かにこんなところに一人でいたらそれは不審だろう。

「なんか、一人でいたくない気分、だった、…だろ?」

たどたどしく単語を選びながら言葉を紡ぐ先輩の横顔は、優しいものだった。

「どうして、」
「なんでわかるのかって?相棒だからだよ」

この顔が、僕は好きだった。
優しくてどこか懐かしい、この表情。

そうだ、僕はこの人に惹かれているんだ。
僕が欲しい時に欲しい言葉をくれ、人肌恋しい時には頭を撫でてくれる、この人が。

伝えたい。
もしも否定されたとしても、それでも。

「…あの」
「ん?」

既に部屋を出る準備をし、電気を消してドアのところに立っていた先輩を、暗い部屋の中から呼び止める。
廊下の電気がついているせいで逆光になり、先輩の表情は窺えない。

何て言えば良いんだろう。
困ったな、言いたいことはあっても言葉にならない。

「頭、撫でてもらえませんか」

必死に考えて、やっと口に出来たのはそれだった。
ややあってから先輩は僕に歩み寄り、黙って頭を撫でてくれた。

事情は聞いてこないのに、決して僕を一人にしない。こんなに僕に優しくしてくれる人がいるなんて、誰が想像しただろう。

「…、」
「ん?」
「…僕、あなたに撫でられるの、…嫌いじゃないです」

いや、好きだ。
でもそれを言うには少し自我が邪魔をした。




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