デスクワークが終わるなり、虎徹は席を立つ。
ここ3日くらいはずっとそうだ。
「またブルーローズの所へ?」
「あぁ、熱は大分下がったみたいだけどな」
じゃあな、気ぃつけて帰れよ、と颯爽とオフィスを後にする虎徹を目で見送った後、バーナビーはまた机に向かう。
カリーナが熱を出したと連絡があったのは、3、4日ほど前の事だった。彼女の両親はタイミングの悪いことに、丁度短期旅行に行っているのだと言う。
だから心配性な虎徹がカリーナの家に赴き、付きっ切りで世話をしているのだった。
年頃の娘の面倒を見るのが男というのは如何なものかとも思ったが、バーナビーも虎徹がそういうところはしっかりしているのを知っていたし、何よりカリーナが真っ先に連絡を入れたのが虎徹だった。
虎徹は、ヒーローとしてのポイントは0だが信頼はある。頼りがいがある。バーナビーは誰よりそれをわかっていた。
けれどやっぱり、気に食わないものは気に食わないわけで。
正直、自分以外の者に世話を焼く虎徹を見るのが辛かった。
自分がいなかった時間の虎徹をバーナビーは知らない。だから人に世話を焼くなんて虎徹にとっては息をするのと同じくらい当たり前な事であり、珍しくも無い事なのかもしれない。
けれど、自分と時間を共有し始めた彼が他の人の世話を焼いている所なんて見たくなかった。
――嫉妬、か。
自分自身の中で渦巻く醜い感情に、乾いた笑いを浮かべる。
今まで感じたことのない、その感情。
別に悔しいなんてことはない、妬いてなんかいない、と自分に言い聞かせつつも、それでも感情には勝てなかった。だから。
「もしもし?」
7回目のコールで相棒が電話に出る。
「…先輩?すいません、風邪を引いてしまって」
「ええ?お前もかよ、調子は?」
仮病だと言うのに、疑うことを知らない虎徹は心配そうな声を出す。
「そんなに、酷くありません。熱もありませんし、寝てれば治ると思います」
「でも風邪は風邪だろ?ちょっと待て、今からそっち行くから」
プツ、と回線を切られ、部屋に静寂が戻る。
看病から帰って来たところを捕まえてしまうのは悪いと思うが、それでも虎徹に来て欲しかったのだ。
バーナビーは携帯電話をベッドの脇の小机に置くと、布団に潜り込んだ。
――バレるかな。それでもいいや、先輩が来てくれるなら。
無意識に抱きしめていたウサギのぬいぐるみにはっと我に返り、それをベッドの脇に退かした。
今の光景を虎徹が見たらどう思うだろう、と冷や汗が滲む。
程なくして、玄関のドアが開く音がした。
ずっと前に合鍵を渡しておいたので、お互いの家に入るのは簡単なのだ。
相棒ならではの特権に、張り合うわけでもないが優越感を覚える。
「バニー、寝てるか?」
薄く開いたドアから虎徹が顔を出す。
バーナビーは薄く目を開いて、それに応える。
「…先輩」
「ああ、起きてたか…リンゴ買ってきたぞ、後で剥いてやっからな」
「、ありがとうございます」
片手に持っていた袋から赤いリンゴを取り出して、子供のように笑う虎徹に、バーナビーの息が一瞬詰まる。
そして、虎徹の右手が不意に伸びた。
「…っ」
「あー、熱はそんな無いか」
額に乗せられたままの虎徹の手に、ぎゅっと瞼を閉じたバーナビーは思わず赤面する。
今目を開けたらきっと正気ではなくなってしまうだろう自分がなんだか女々しく思えてくる。
「じゃあ夕飯作って来るから、ゆっくり寝てろ」
バーナビーの頭をわしゃわしゃと頭を撫でて立ち上がった虎徹が、ベッドルームを後にする。
枕元には、保冷剤やら熱冷却シートやら、色々なものが置かれていた。行きがけに買って来てくれたのだろうそれらの物に、バーナビーは微笑む。
――すみません先輩、風邪っていうのは嘘なんです。
あなたにずっと側にいて欲しかっただけなんです、とは今さら言えず。
バーナビーは夕飯が出来たと呼ばれるであろうその時が来るまでの時間を過ごすべく瞼を閉じた。