バーナビーは一瞬だけこっちを振り返った後、またすぐに液晶に視線を戻してしまう。彼はしばらく何も言わなかった。先程まで二人分の声が賑わせていた店内に、静寂が訪れる。聞こえるのはパソコンの無機質な音、それから開きっぱなしのドアの向こうを走る車の音だけだ。
「どうして今更」
 相変わらず画面上の文字を目で追いながら、バーナビーはそう言った。
「バニーがヒーロー辞めましたって俺に言ったとき、心臓止まるかと思った」
「あなたの辞表を見たとき、僕も同じ気持ちでした」
「ごめんな、ろくに相談もしねーで勝手に決めちまって」
「いえ、僕も相談しませんでしたから、それはお互い様です」
 バーナビーは画面の方を向いている。が、きっとその目には何も映していない。
 俺は商品として置かれている古い椅子に腰掛けて、手持ち無沙汰だったのでその椅子に付けられているタグを摘んだ。600ドルと、綺麗ではないがとても読みやすい字で書かれている。
「俺さぁ、バニーがヒーローやめたのって俺の引退が影響してるんじゃないかと思ってさ。それでしかもこうやって店を始めて雇ってくれて……バニーとまた働けるのは嬉しいんだけどさ、なんでそんな行動に出たのかわかんねーんだよ」
「……もうヒーローはいいかなって思って。別に市民より店をとったとかそういうんじゃないんですよ、二軍のヒーロー達ももう市民を安心して任せられるくらいになりましたから」
「ふーん……」
 バーナビーは何か言いたげに唇を薄く開いたが、すぐに閉じたのでそれは結局声にならなかった。
 再び店内が静かになった。今度はバーナビーのマウスのクリック音等も聞こえない。彼は何を考えているんだろうかと思っていたら、ふと彼が口を開いた。
「さっき、僕も相談しなかったって言いましたよね」
「あぁ、言ってたな」
 つい先程の会話を思いだしながら相槌を打つと、バーナビーは続けて言う。
「正しく言えば、相談する間も無かったんです」
 どういう間だろうと思っていると、それを察したのか彼は「ヒーローを辞めようと考え始めてから、本当に辞めるまでの間が、一瞬だったんです」と付け足した。
「僕、あなたが引退するって聞いて、まず最初に"これでお別れなんだ"って考えました。そうしたら、なんか……急に、なんだろう、寂しくなってしまって」
 言葉を紡ぐうちにどんどん顔が沈んでいく。バーナビーが自分の気持ちを話そうとするといつもすぐ俯いてしまうというのは、長年付き合っている中でわかったことだ。
「次に考えたのが、もっと色んなところに行きたかったとか、もっと色々なものを食べたかったとか、もっと沢山の話をしたかったとか、そんなことばっかりで……、それで、気が付いたらこの店を買ってました。何をやるかは決めてませんでしたけど、一つ前は珈琲店だったらしいので、そのまま珈琲店をやろうかとも考えてましたが、そういえば僕は珈琲をいれるのが下手だった」
「お前がよくオフィスでいれてくれた珈琲、美味かったぞ」
 俺がそう言うと、バーナビーは少しはにかんだように微笑む。
「アンティークは前にも言った通り、以前から興味があったんです。興味があっただけで知識なんて無かったので、実は店を始めて一ヶ月くらいは毎日毎日テキストを読み漁ってました」
「そうだったの? 最初から、慣れてるなーって思ってたんだけど」
「そう見せるように必死でしたよ。もし僕が初心者だって知ったら、あなたが安心して手伝いに来てはくれないかもしれないって思って」
 そんなことを考えていたのかと、俺は面食らった。そんなに頑張って俺を側に置いてくれようとしたということなのか。
「……もっと一緒にいたかった。これが"何故辞めたのか"の答えで納得して頂けますか」
「ヒーローを辞めてまで?」
「その肩書きも、全然惜しくありませんでした」
 バーナビーは、いつの間にかパソコンで観光スポットを調べる作業を再開させていた。俺もそろそろタンスを、じゃなかった、キャビネットをトラックに積む準備をしなくてはならない。
 手袋をはめて椅子から立ち上がると、俺の背中に彼の声が刺さった。
「虎徹さん」
「んー?」
「まだ一緒にいてくれますか?」
 振り返ると、今度は画面ではなくしっかり俺の方を見上げている。いつもは意志の強さをにじませている瞳が、珍しく揺れているのに気が付いた。唇はぎゅっと結ばれている。
 なんとも言えない顔に俺は思わず笑ってしまう。バーナビーはそんな俺を見て次は少しムッとした顔をする。よく表情を変えるようになったものだと思うと感慨深い。
「俺はアンティークの人間だから、売れるまでここに置いてくれんだろ?」
「あなたはまだ作られてから100年経ってないので、アンティークじゃなくてヴィンテージです。ヴィンテージも置きますよ」
「じゃあ売れるまでずっとここにいる」
「でも非常に質の高い貴重なものなので、値段がつきません。非売品です」
 そうかそうか、と、俺はなんだか幸せすぎて申し訳ないような気分になる。
 バーナビーは気に入った商品を自分で買い付ける。これ、と言う商品だけではなく、もっと他の商品も視野に入れてみればいいのに、と俺は何度か思うことがあった。
 それと同じで、今も俺より他にもっと良い別の人がいるんじゃないかとも思う。現役のときもバーナビーがこっちに送ってくる視線を感じるたびに同じことを考えたが、よく考えて見れば、それでは俺が失恋する。思えば、バーナビーのためだと気持ちを殺して来たが、俺は彼のことが好きで、彼が俺を好きでいてくれるなら、変な遠慮をすることも無かったのだ。
 俺は、いつもバーナビーがお客さんにしているように、軽く頭を下げてから自分の胸辺りを手のひらで指した。
「お客様、こちらは非売品となっておりますが、とても良い商品ですよ。なんと、持ち主のことを一生幸せにするという魔法が掛かっているんです」
「僕が貰って良いんですか?」
「もちろん。こちらの商品の内部に、"バニー様による使用を推奨"って書いてありますから。幸せにならなかった場合、返品も可能です」
「……それじゃ返品することは無いですね」
 バーナビーはくすくすと笑いながらそう言った。こちらに伸びてくる両腕の下から彼の背に手を回すと、彼の鼓動が直に伝わってきた。思えば、こんな風に抱きしめあうことはおろか、ろくに触れ合っても来なかった気がする。これからはずっとこのゼロ距離で生きていこうと強く思った。
 そうしていると、突然店の前でクラクションが鳴る。驚いてそちらを見ると、トラックの運転席で運転手さんが困ったような表情でこちらを見ていた。
「――あ、」
 途端に俺の身体を押しのけ、バーナビーがトラックの方に向かっていく。
 何事も無かったように振舞いたいのだろうが、店の外に出るまでに何回か商品に軽く躓き、顔も耳あたりまで真っ赤に染めているあたり誤魔化せそうにはなかった。

[ 4/4 ]

[*prev] [next#]

[目次]
[しおりを挟む]
150


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -