逃げたくなるくらい沢山の検査をした。
俺は頃合を見計らって"バーナビー"に関する記憶が一切合財なくなってしまったのだということを医者に言ってみようと思っていたのだが、これだけ沢山の検査を受けてさらに頭の検査でもされたらと思うと面倒くさくなってしまい、俺は言うのをやめた。
記憶のことは一切隠して、全ての検査を終わらせる。結論から言うと、あとは足に負った軽度の捻挫を治して、少しリハビリをすればすぐに退院出来るということだ。「無理をしないこと」という条件を守れば退院と同時にヒーロー業にも復帰して良いと言われた。
医者が「しばらく安静にしているように」と言って俺の部屋を出て行く。俺は医者が完全に病室を離れたことを確認すると、すぐに部屋を飛び出した。
軽度の捻挫なので車椅子は無い。俺は不器用に松葉杖をついて隣の病室に向かった。そこは俺の病室と全く同じつくりで、彼も身体に大きな異常は無いんだなと推測した。
病室に入ると、やはり視界に入るのは清潔感溢れる真っ白なベッド。これも俺の病室と一緒だ。その上に人が横になっているらしい影が見えた。
俺の相棒だということは、即ちヒーローだということだ。俺は自然にアントニオのような体格の良い巨漢を思い浮かべた。どんなゴツいやつなのか、と俺はベッドに近寄った。
俺はベッドの上の人物の顔を覗き込んで、目を疑った。
そこには、嬉しい誤算か悲しい誤算か、美人としか言いようのない青年が寝ている。部屋を間違えたのかとさえも思った。
(――こいつと、コンビ組んでたって言うのか…?)
申し訳ないくらいに覚えがない。
そして未だに彼がアイドルでもモデルでもなくヒーローをやっているというのが信じられなかった。ヒーローは顔出しが出来ないのに勿体無い。それともブルーローズのように、副業で歌手やら何やらそういうのをやっていたりするのだろうか。
そこで、先ほどのアントニオの言葉を思い出す。
――バーナビーが知ったらどう思うだろうな
しまった、と思う。
もっとバーナビーのことをよく聞いておいて、まるで記憶がしっかりしているかのように装うべきだった。勿論それで誤魔化し通すことは出来ないが、そう装っておけばいきなり初対面かのように振舞われるよりもショックは少ないかもしれない。
その顔が俺を見てショックを受ける。想像しただけでこっちまで悲しくなる。
「……バーナビー」
俺は、眠っているバーナビーの上に掛かっている布団に軽く手を乗せる。
なんだか、子供を寝かしつけた後の暗がりにいる気分だ。相手は全くそれを知らないのに、いつまでも頭を身体を布団をなで続ける、あの感じだ。
俺はこの青年を知らない。
けれど周りは彼を知っている。俺と、バーナビーが相棒であることを知っている。
どんな相棒だったんだろう。
仲は良かったんだろうか?上手くいってたのか、この一回りくらい年下の彼と?俺はなんて呼ばれていた?俺は彼をどう思っていた?
「……ん」
しばらくそうしていると、性格も目の色さえも知らない青年が、小さく身じろぎをした。声は初めて聞く。
「……バーナビー」
つい声に出してそう呼んでみる。すると、彼が薄く目を開けた。
長い睫毛に隠れてよく見えないが、目の色はすごく鮮やかなグリーンらしい。人形のような瞳はますます見覚えが無い。ぼんやりとして定まらない視線が、俺の方に向く。俺の方を向いているだけであって、まだ俺のことが見えているわけでは無さそうだ。意識が戻ったばかりで覚醒出来る人なんてそうそういない。
それから5分も経っただろうか、バーナビーの視線が今度はしっかりと俺を捉えた。
どうしよう、なんて言おう、「初めまして」は言っちゃいけない。そう考えて焦る俺の不安を、バーナビーはたったの一言で一気に掻き消してくれた。
「どちら様、ですか?」