あと一社回れば終わりなはずだ。
俺は朝書き留めておいたメモをもう一度確認するように流し見する。やっぱりあと一社だ。

営業で他社を回るのはこの仕事に就いてからよくあることで、元々肉体労働が得意だった俺に一日中ずっと街を歩き回ることくらいは楽なことだった。

俺はもうすぐアラサーと呼ばれる世代に入ってしまう、ごく普通の会社員だ。
いや、一般人と一つだけ違うことがあった。それは俺がNEXTだということ。
俺の能力は、5分間だけ力が100倍になるという便利なもので、会社に遅刻しそうなときや困っている人を見掛けた時とかに重宝している。それくらいだ。
世が世ならヒーローにでもなっていたところだが、突然のヒーローブームに能力に制限時間のある俺なんかよりももっと便利な能力を持っている奴らが沢山現れ、俺なんかをヒーローに雇ってくれる人なんていなくなってしまったのだ。
別にヒーローになんかならなくったって困っている人を助けることは出来る。だからあまり気にしてはいない。それよりも会社の仕事に専念しなければ、妻やもうすぐ10歳になる娘に迷惑が掛かるだろう。

あと一社はどこだったか、とあやふやになりかけた記憶を甦らせるべくメモをもう一度開く。
簡単な地図を見ると、広い道に出るにはまだ少し歩かなければいけなかったが、自分のいる場所からすぐの狭く暗い道から行けば近いことに気が付く。
あぁ、ここからならこの道を通れば早い。
この狭く暗い道は麻薬の売買や売春などが行われているらしいと噂の道だったが、あくまで噂だ。それに本当だとして、真昼間から、しかも"おじさん"になりつつある俺を狙う奴なんていないだろう。いたとしてもなんとでも出来る。

俺は横に伸びた路地裏に足を踏み入れる。
予定の時間まではまだ余裕がある。路地裏を出たらカフェにでも入ろうか、なんて考えた、その時だった。

路地裏からさらに枝分かれした、より一層暗い道に、人が倒れていた。
その人が赤いシャツを着ているのではなくてシャツを赤く染めているのだと気が付いた瞬間、背筋が凍る。

「…おい、大丈夫か!?」
「…………っ、う…」
「ひでぇ怪我だな…救急車呼ぶか!?」

彼を仰向けにさせて、背中に腕を差し入れて少しだけ上半身を起こさせる。
俺の肩の位置で頭をのけ反らせるくらい身体に力を入れられていない彼は、高校生くらいの若者だった。

救急車を呼ぶかという問い掛けに「いりません」と答えた彼が、ゆっくりと身体を起こす。
この酷い怪我でのこの反応と行動から推測するに、彼は暴力を振るわれることに慣れているようだった。

すると、俺の背後から、彼にかなりの量の水が掛けられた。
振り向くとそこにはバケツを持った男が立っていた。顔は逆光でよく見えない。

「誰が休んで良いって言った?帰るぞ、立て」
「……はい」

そんな無慈悲なことを良い、男は怪我をしている少年の腕を力任せに引っ張りあげた。少年は怪我が痛むのか悲痛の声を漏らした。

「おい、痛がってんだろ!」

思わずそう言って少年を男から引きはがすと、男は鼻で笑ってから俺に言った。

「コイツがそれで良いって言ってるんだよ。おもしれぇよな、俺のこの顔が良いんだってよ…っはは、この顔と一緒にいれるならなんでも良いんだと。…だよなぁ?」

最後の問い掛けは少年に向けてのものらしい。振り向くと少年は男の言葉にこくりと頷いた。

「行くぞ」

そう言って男が身体の向きを変えた、その瞬間。男の顔が一瞬だけはっきりと見えた。

俺だ。俺の顔だ。
前世で、「鏑木・T・虎徹」と呼ばれていた時代の俺の顔だ。

今まで前世のことなんて思い出したことはなかったのに、そもそも前世なんて信じていなかったのに、はっきりと思い出した。
自分でもわかるくらい、男の顔は前世の俺の顔に似ている。

ということは、まさか。

「…バニー?」

自分にしか聞こえないくらいの声量で呟くと、傷だらけの少年が一瞬こちらを驚いた顔で見てから、すぐに男の後を追って走り出した。






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