朝、簡単な別れをしてきた。
きっと夜にはもうおじさんはいないのだろう。
もう少しいたらどうかと、僕はらしくもなく引き止めてしまったが、おじさんは「これ以上はいい」と言って拒否してきた。
別に住むところがなかったわけでは無いらしい。
午前中にデスクワークを済ませ、僕はポケットから小さな紙を取り出す。
その紙には、ブロンズステージにある料亭の住所が書かれていた。
――今日の昼は絶対これを食え、美味いから!
ゴールドステージからたかが昼食の為にわざわざブロンズステージに行くのも馬鹿馬鹿しい気がしたが、どうせデスクワークは済んだしトレーニングはやる気が出ない。たまにはこんなのもいいだろう。
会社のバイクでは目立つので、通勤に使っている車を走らせてその料亭に向かう。
ついた先にあったのは小さく質素な料亭だった。
「いらっしゃい!」
「…こんにちは」
店にいたのは料理人らしい男で、そのほかに人はいなかった。
「チャーハン、お願いします」
「はいよ!」
とりあえず、おじさんがオススメしてきたチャーハンを頼む。
すると、しばらくするととても美味しそうなチャーハンが出て来た。
口に含むと、味が口内に広がる。
高級料亭で食べているかのように錯覚するそのチャーハンは、今までにこんなに美味しい料理があっただろうか、それくらいの味だった。
あまりの美味しさに、久々の昼食にも関わらずしっかり完食してしまった。
「ご馳走様でした」
そう言って金を置いて、僕はすぐに店を出る。
違う。
これじゃない。
確かに今のチャーハンは美味しかったが、僕が食べたいのはこれじゃない。違うんだ。
車を飛ばして真っ先に家に帰ると、部屋中に美味しそうな匂いが広がっていた。
「おじさん!」
「…あ、見付かっちゃった。最後に俺も昼飯食わしてもらおうと思って…」
「それは、…それはなんですか?」
おじさんの手には、皿がある。皿の上には、こんがりとした色のチャーハンがあった。
「ん?チャーハン」
「僕もそれ、頂いていいですか」
「…え、良いけど…」
はい、と僕はその皿を手渡される。おじさんがスプーンを2つ用意したので、これを分けて食べようと言っているのがわかった。
椅子に座ってスプーンが手渡された瞬間、行儀が悪いとはわかっているが僕はそのチャーハンを食べる。
一刻も早く口に入れたかったのだ。
「これ、だ…」
「ん?」
それは、僕がずっと食べたかったものだった。
先程食べたものは確かに美味しかった。でも僕はこれが食べたかったのだ。
「これです…、これが、食べたかったんです…虎徹さん」
「…―!お前…」
「どうして、言ってくれなかったんですか…っ!」
怒りに似た悲しみのような喜びの感情が込み上げてくる。
「それは…、お前が思い出したいのかどうなのかわからなかったから」
「…っ、怖かったんです、あなたのことを忘れておいて、思い出した時にどんな顔をしたらいいのかとか…!」
視界が歪んで、そこで初めて自分が泣いているのだと理解する。
「お前、そんなこと」
「だってそうでしょう…!?忘れてしまうなんて、その程度の記憶だったってことで…そんなの、…」
激しく込み上げてくる感情に任せて叫ぶと、言葉に詰まってしまう。
僕はなんて続ければいいのかわからず、そのまま黙ってしまった。
「忘れたんじゃない、忘れさせられたんだ。お前のせいじゃない」
虎徹さんが、僕の背に腕を回してくれる。
この懐かしい温もりがまた心地好くて、涙腺がさらに緩んでしまった。
「少なくとも、俺はお前が思い出してくれて、嬉しいよ」
「…、虎徹さん…」
「お前、やっぱ睫毛長いな」
虎徹さんは、僕の頭を撫でながら独白し始める。
今まで相棒としてさ、ずっとお前のことを近くで見てきた気になってたけど、あんなに近くでちゃんとお前を見たことってなかったよなぁ。
いつでも近くで見れるような距離にいたのにさ、俺はお前のことをなーんにも見てなかったんだなってさ、思って。
見てた気になって満足してさ、実はお前のこと何も知らなかったんだよ。
「笑っちゃうよなぁ」
僕はそれを、何も言えずに黙って聞いていた。
「ずっと一人にさせてごめんな。今だけじゃない、一緒にいた時だってお前は一人だった。俺が表明上のお前としか付き合ってなかったから」
「…でも、これからはずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
おこがましいかな、と思いながら放った言葉に、虎徹さんは「あぁ」と返事をしてくれた。
「今からやり直すの、難しいかな」
「…なに言ってるんですか、思い出だってこれから沢山作って行けるじゃないですか。十分やり直せますよ」
「そうだよなぁ」
虎徹さんは、笑いながら言った。いつもの、屈託の無い笑みで。
「俺達、バディだもんなぁ!」