夢の残り香




平子さん達が虚化した日の直前の時刻。

ギンと藍染




乱菊、と心臓の内側で呟く。
乱菊、と肺が軋んでいる。
乱菊、と声を伴わずに喉が震える。
乱菊、と舌先が言葉を絡めとる。

「乱菊、」

遂に音が文字をなぞった。小さな空気の震えを風が攫う。ざわり、と新緑を揺らした風は行き場を求めて薄紫の空へと昇っていった。

「何か言ったかい、ギン」

鳶色の男が、くるりと此方を振り向いた。太陽が沈みかけ、紫へと変わる光を一身に浴びて藍染は立っている。その顔に暗い影が落ちていて、一層気味が悪かった。

「いいえ、何も」

にい、と唇の端を吊り上げる。嘘事の笑顔などもう慣れてしまった。流魂街にいた頃から、と云えばそれ迄だったけれど。あの時は未だ本当の顔で居られた。乱菊の前だけでは、本当の自分でいられたのに。此処へ来てからは四六時中笑みが顔に張り付いている。片時も仮面を外す事が出来ない。何時か、この侭笑顔が剥がれなく為って仕舞うのではないかと密かに怯えていた。未だ僕は彼女の前で笑えるだろうか。

「そうか。行くぞギン」

低いテノールが囁く。何処へ、とは言わない。わかっているのだろう、と言わんばかりに無言で藍染は僕の前を歩く。

「はい、藍染さん」

精々今は従順な副官でいよう。何れ来たるその日の為に。全てが終わって、乱菊を抱きしめに行ける時が来る迄。踏みしめた足先で床板がぎい、と軋んだ。




(行き場を無くした砕けた心)








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