しろいへび

見てはいけないものを見てしまったようで、罪悪感に襲われた。
目の覚めるような赤地に、金糸が丁寧に織り込まれた着物を素肌に掛けるだけにしていた麗人の肩口に、白蛇がいた。それはぎろり、とこちらを睨みつけている。刃物で削いだようなその鋭い眼に射すくめられ、阿散井は一瞬だけ怖気付いた。罪悪感はその一瞬にするりと、病毒の様に入り込んだのだ。気まずさに顔を背けたその時、蛇を背中に飼う男が振り向いた。
「阿散井クン、見ないん?ボクの蛇。立派なもんやろ」
愉しそうに言って彼が立ち上がる。するり、と上質な衣擦れの音がしたかと思うと、目の前に蒼白の足が現れた。驚いて視線を上げると、やはり赤い着物を肩から掛け、生白い顔をした男が突っ立っている。男の顔はいつも通り、得体の知れない微笑みを湛えている。その細い指先が着物の端を掴み、するり、と引きおろす。骨ばったやけに白い肌が露わになった。真赤と白の対比が目に毒だ。
「ち、ちょっと待て!じゃない、お待ち下さい!」
慌てて立ち上がり、男がずり下ろした着物を掴むと肩口まで引き戻す。男はそれをにやにやとした顔のまま眺めていた。
「なあんだ、見ぃひんの」
男は残念そうに眉を顰めると、中華風の意匠を凝らした長椅子に腰掛けた。阿散井は胸中で嘆息する。この男のことをよく知らないが、これだけはいえる。厄介な男だ。常に笑みを貼り付けた顔で組織の内部をうろうろと歩きまわり、あたりを茶化しては物事を蒸し返して遊ぶ。しかしそれでも、誰もこの男を邪険に扱う事は出来ない。男は組織のボスの愛人なのだ。
阿散井が幼い時に拾われた組織はアジアを股にかける国際シンジゲートで、その拠点を香港に置いていた。表向きは善良な企業だが、裏では麻薬から武器密造密輸、人身売買までなんでもありの巨大組織、その末端構成員としてスタートした阿散井のキャリアは出世に出世を重ね今やボスの側近の一人にまで上り詰めた。野良犬として裏路地に生まれ落ちた事を鑑みれば破格の待遇だと言える。
男は名を市丸ギンと名乗っている。髪の色からとったのだろうか、偽名としか思えなかった。しかしボスは何故この男を囲ってなどいるのだろうか。阿散井の記憶にある限り、ボスは男以外の特定の愛人を持とうとした事はなかったはずだ。たしかに、常人ならざる色香を持ってはいたが阿散井は男のその笑顔が心底気味悪く思えて仕方がなかった。精巧な細工物に入れた切れ込みの様な薄い唇、細められた瞳が織りなすその笑みは見る人が見れば柔和に見えるのかもしれないが、阿散井にとっては恐ろしくて仕方がないものだった。あれは空虚の笑みだ。


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