ange/ギン乱

デザイナーとモデルパロ

「綺麗やろ、乱菊?」
彼自らがデザインしたハイヒールの真っ白な爪先に恍惚の表情で、薄い唇を落とす。その様すらも扇情的で、もう幾度目になるかわからない嫉妬を覚えていた。コレクションを眼前に控えたギンのアトリエは慌ただしく、周囲にはトルソーやメジャー、型紙、ミシンと言ったものが散乱していた。煩雑に広げられた物に対して不自然に人がいない空間は、活躍中のモデルである乱菊のことを気遣ってか、人払いがしてあった。ギンがアシスタント連中を夕食に行っておいで、と外に追い出したからだ。誰もいなくなったアトリエの一番奥で、ギンは作業台の傍の脚の長い椅子に座って、完成したばかりの自分の作品をうっとりとした顔付きで眺めている。ギンはデザイナーだ。服のデザインを描くのはもちろん、自分でパターンもひくし、縫製もする。あの長い手指がそれは器用に糸と布を縫い合わせて行くのを乱菊は知っていた。彼のデザインに対するこだわりはある種偏執的といってもいいほどで、気にいる靴が無ければ靴までデザインする程だった。対して、乱菊はファッションは好きだったがそれは「着るほう」であって新たに何かを作る気にはなれないのだった。豪奢なドレスも、ハイヒールも、宝飾類も大好きだが、それは乱菊という人間を飾り立て、どのような生き物であるのかを他者に明示するためのツールに過ぎなかった。モダンで細身のシルエットを得意とするギンのデザインは、前衛的だと人気が高い。十三隊という老舗ブランドにいた時はどこか悪辣染みていたそのセンスも、先進気鋭のブランド、虚夜宮に引き抜かれてからはその悪辣さも消え、不純物のない、より研ぎ澄まされたデザインになったと言われている。しかし、天才の称号を欲しいままにするギンの作り出すファッションは、凄いとは思うものの乱菊には今一つその良さが分からなかった。乱菊はどちらかといえば温かみのある、色やデザインのほうが好きだった。ギンのデザインは冷たすぎる。
「綺麗やない?」
とギンは問いを繰り返す。こてん、と傾げられた首はまるで幼い子供のようだ。ギンのこうした仕草が乱菊はたまらなく好きだった。
「ええ、とても」
と気の無い返事をする。しかし、恋人の職業として、デザイナーというのは最悪だ。渾身の一作をモデルの女に着せて、色のついた溜息とともに愛のこもった目で、じっくりと見つめている時なんか、嫉妬でこの身が焼け焦げそうだ。だから乱菊はショーがある時、ギンのバックステージには行かない。あの熱い眼差しがほかの女に注がれるのに耐えられる筈もなかった。
「そんな冷たい事言わんでもええんやない?」
「だって好みじゃないもの、ギンのファッション」
バッサリと切り捨てた。幾度と無く繰り返された無駄なやり取りだ。何度やってもギンのファッションセンスは乱菊のものと相容れない。ギンは、はぁ、とこれ見よがしに溜息をつくと手にしていたハイヒールを作業机の上に置いた。
「あーあ、乱菊が冷たい」
丁度キリが良いところだったのか、ギンは椅子から立ち上がると壁に掛けてあったコートを羽織る。真っ白のトレンチなんて、果たしてこの男以外に似合うだろうか。
「お待たせ乱菊、ご飯行こか」
「仕事はいいの?」
「ええよ。イヅルに指示出しといたから」
「サボりぐせのある上司でイヅルも大変ねー」
イヅルはギンの一番弟子だ。ギンのデザインに憧れてデザイナーを目指したのだと言っていた。生真面目を絵に描いたような男で、飄々としたギンに必死について回る様は見ていてなんだか可哀想になる。ギンにエスコートされながら階段降りて、石畳の地面をハイヒールで踏む。夕暮れはとうの昔に終わっていて、夜の冷たい空気が身を刺した。冬が始まろうとしている。二人が並ぶ石畳に余人の影はない。
「あーあ、いいなぁ。ギンの服のモデルになる人たちは。あんたのあんな熱い視線注がれてるんだもん」
「なんや、乱菊。焼いとるん?心配せんでも僕の女神は乱菊だけやのに」
伸びてきたギンの長くしなやかな指先が、乱菊の髪を耳にかける。そして、耳元で愛の台詞を零した。この国の言葉が、愛を囁くのに向いていると言ったのは一体誰だったろう。


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