黄青三つ

あれはまだ夏の残る八月半ばの頃だった。終わりの蝉が悲しい程に鳴いていて、ぎらぎらと天日はアスファルトに真黒い影を落とす。割れんばかりに蝉は鳴くのに、人の影一つさえ見えぬ路上はまるで、男と俺だけが世界から置いていかれた様だった。

「どうしてアンタは、泣かないんスか」

そんなに辛そうな顔をしているのに。何故だか男は決して泣かなかった。花開いたその才に溺れて終えば良かったのかもしれない。驕って、見下して、嘲ってしまえば良かった。けれど男はいっそ傲慢なほどに己にも相手にも、誠実を求めた。その高潔さこそが男を孤独たらしめ、苦しめているというのに。それでも男は清廉であることを止めはしなかった。

「俺が泣くことは、許されていない。もし、泣いたなら、それは、幾多の敗者への冒涜だ。俺が泣くとしたら、それは、俺が」

敗者に堕した時だろう。最後の一言を男は声に出すことをしなかった。けれど、その深海の眸が唇よりも雄弁に男の哀しみを語っていた。ああ、男はここまで廉潔であったのか。己が殺したものに対して、ひたすらに誠実であるが故に落涙することさえも奪われ、けれど全ての憧憬て畏怖と絶望を背負う男は、決して、その高みから凋落しはしなかったし、己の業を恨みこそすれ他を増悪することは無かった。俺はそれを、何処までも美しいと思った。

「でも、それじゃあ、青峰っちが、いつか潰れて終う」

その背に負わされた眼差しは重かろう。周りは男をまるで神様のように扱うから。だから男は感情を殺した。コートの上で幾多の凡百を殺すかわりに、泪を失い笑みを失った。

「           」

男の薄い唇から溢れたあの時の言葉は、ひどく小さいものであったのに、心の奥底に沈んで、そこに落ち着いてしまった。そして今、割れんばかりのその歓声を、初めて向けられなかった男は、未だ独りでコートに立ち尽くしていた。その眸は大きく見開かれてはいたものの、決して泪を浮かべてはいなかった。ああ、男は泣き方さえも忘れて終ったのだ。落涙は許されぬと己を律し過ぎたが故に。けれどそれで良かったのかもしれない。ただ、一度の敗北。男にとっても周囲にとってもそれは酷く大きなものとなるだろう。けれど、敗北を経験しようと、男はもう二度とその玉座から降りるることは出来ないのだから。この凋落を機に男は嘗ての様に戻る事が出来るのかも知れないけれど、周りは何一つかわってなどいないのだ。落ちても一番高いその椅子に座れるのは男しかないない。男が立ち止まる事をやめ、ひたすらに前へと走れば、そこに訪れるのは再度の孤独か、今までよりも更に暗い、孤絶かも知れない。

「青峰っち」

ああいったい、まるで神様の様なあの男を救うにはどうしたら良いのだろう。俺には、何もかも、わかりはしなかった。




青+黄
「ヒトの学校の前で何してんだ、黄瀬」

降ってくる低音に、ゆるゆると顔を持ち上げれば、変わらない傲慢が此方を見下ろしていた。風が二人の間を駆け抜けて、互いの髪を揺らす。寒ぃ、と顔をしかめた彼は昔と何ら変わりなかった。中学時代もよくこうして、彼と二人で帰っていた。あの時と違うのは、制服くらいか。二人、お揃いでないそれは、今と昔の境界線の様だった。

「遅いっス」

一言文句を漏らし、校門によりかかっていた躯を起こす。桃っちから聞いた彼の帰宅時間に合わせてみたものの、数十分は待つはめになってしまった。



黄青
男は薄い唇の端を吊り上げると、俺に押し倒された侭、褐色のその左腕を持ち上げて指先で俺の頬をゆっくりと撫でた。自分より幾分か高い体温が肌の上を滑るのが不埒なように感じて、心臓が早鐘を打つ。粟立つ肌に背筋が震えて、絡まった青い視線に指一本動かせない。

「どうしたよ、黄瀬」

くつくつと笑う男は美しい。誇り高い獣の様だ。ごくり、と喉がなった。他人の心の機微に疎い様で、その実聡い男のペースに流されてしまいそうになる。男は他人を魅せるのが上手い。俺だってモデルの端くれだから、自分の魅せ方は十二分に承知しているけれど、彼のそれは天性としか言い様がなかった。


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