利用



いつもと同じように目を開ける。
見慣れた天井、見慣れた街並みはそこにはなかった。
つい先程の胸を刺された箇所を触ってもみたけれど、外傷も傷も痛さも無かった。
奇妙だ、と思う。
それと同時に見たこともない部屋で、知らない男性が私の傍にいた。
目が覚めた私に気付いたその人は笑っている。
少しふくよかな体格で笑えば目尻に皺が出来る、そんな貫禄のあるおじさんだ。

「やあ、起きたかい?」

「はい。
あの、ここは何処ですか?」

寝惚け眼で上半身を起こし辺りを見回す。
部屋の中は色んな物で溢れ返っていて、昼間なのか中は明るい。
遠くで何かが鳴く声も聞こえた気がした。

「ここはヨークシンにあるとある外れ地帯だよ。」

「ヨーク、シン?」

聞き慣れない言葉に疑問を浮かべるとおじさんは笑顔を絶やさずに説明を施す。

「ヨルビアン大陸にある西海岸の都市でね、毎年9月には世界最大のオークションが開かれるんだよ。
聞いた事がないかな?」

「すいません、地形には疎くはないと思っていたんですが・・・。」

「ははっ、いいんだよ。
ところで、君は何故あんな場所から突然に来たのか、教えてくれないかな?」

「あんな場所?
突然来た?」

知らないことだらけで戸惑う。
本当にここは何処で、私に何が起こったのだろう。
検討が付かず、頭が混乱に満ち溢れた。
意識を失う前の最後に出会った男性も、私には誰なのか分からない。
あの人は何故私を刺したのか。
そして何故私は無傷なのか。
何も、分からない。

「覚えてない?
ヨークシンの外れ、ここからそう遠くない場所に君は何もない場所、空間から突然として現れたんだよ。」

「え・・・?」

「それに現れたのと同時に怪我もしていたんだが、君は特殊な力でもあるのかい?
一瞬にして傷が消えたんだよ。
現実味がない話ではあるが。」

その話に心当たりがない訳ではなかった。
昔、小さい頃に道端で転んで擦りむいた時に次の日には治っていた事があった。
それからは兄が私を心配してあまり怪我をする事もなくなったのだけれど、このおじさんが言う事に私は少なからず恐怖を抱いてしまった。
おじさんが言っている傷がもしも、あの男性に刺された傷であったならこんなにも早く治るはずがない。
私がいつも普通の人だと思っていたものが実は普通ではない人であったなら、私は、私は一体なんなのだろう。
私は本当に人なのだろうか。
兄は知っていたのだろうと思う。
だから私を皆の前で怪我をしないようにいつも守っていたのだろう。
兄の顔が頭に焼き付いて離れない。
兄に会いたい。
ただそれだけしか考えられなかった。

「どうしたんだい?
顔が真っ青だ。」

おじさんにそう言われても笑顔を作れる程私は器用ではなかった。
申し訳なさが心を占める。
無意識にネックレスを握っていた。

「ご、めんなさ、い。
私に、は分かりま、せん・・・。」

「そうかい。
ごめんよ、気が回らなくて。」

私の背中に手を置いてゆっくりとさすってくれるおじさんは優しい。
私は泣きそうになった。

「話題を変えようか。
実は僕達はサーカス団をやっていてね。
どうやら君はここがどういう場所かも分からないようだから、お家に帰れるまでうちにいると良い。」

「え、良いんですか、私なんかがいても。」

「あぁ、いいとも。
困った時はお互い様だ。
でも働かざる者食うべからず!
君は何か出来る芸当はあるかい?
得意な事とか、好きな事でもいい。」

芸当も得意な事も何もない。
サーカスで披露しても大丈夫なもの、或いは裏方の仕事を思い浮かべる。
好きな事も思って当て嵌まる物を出して行く。

「料理は、好きです。
掃除も洗濯も。
あとは、歌、ぐらいです。」

歌、と言ったのはユキちゃんの話が頭を過ったのと、とある歌を脳裏で掠めたからだった。
異形な歌姫がサーカスから抜け出したい、暗い悲しい歌が失礼ながらに流れたからだった。

「残念だが、家事はもう人手が足りてるんだ。
でも、歌か。
いいね!どんな歌でもいいから一度唄ってみてくれないかな?」

音楽は残念ながら無いが、と微笑むおじさん。
私はいきなりの事で驚いた。
人前で歌うのは今までに兄と友達、それから小中学生の頃の音楽での発表会ぐらいしかなかったので中々に歌い辛くあった。
おじさんはそんな私を分かっているようでははっ、と声に出して笑っていた。

「僕の前で歌えないようじゃ大勢の前では歌えないよ!
さあ、思い切って唄ってみなさい!」

「は、はい・・・。」

一度深く深呼吸をする。
そして何も見えないように目を閉じて、暗闇の中で音楽を奏でた。
落ち着く、綺麗な歌を選んで紡いだ。


「・・・良いね。
凄く良い。
君は人を癒す不思議な力を持っている。
是非とも明後日、うちのサーカスで唄ってくれないか?
歌は君がその日歌いたい物で良いから宜しく頼む。」

頭を下げるおじさんに慌てて私も頭を下げつつ宜しくお願いした。
ここが何処なのか分からない。
家もあるのか分からない場所でおじさんは私を家が分かるまで雇ってくれるという。
だから私はおじさんの、サーカスの為に働いていけるようになろう。
そう決めた。


・・・・・・・・・・・・


「あの小娘、中々に使える。」

夜中、眠る小娘の傍に立つ。
何も知らずに安らかに眠る娘は最早袋の鼠だった。
ナイフを片手に娘の首を掠める。
あっという間に癒える傷に笑いが止まらない。

「思う存分稼がせてもらおうじゃないか。
金の塊として、しっかり働いてもらうぞ。」

何も知らない娘は未だに夢の中。


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