彼女はいつも大通りにある普通の喫茶店の、奥から三番目の窓際の席に座る。 そこで誰かを待つ訳でもなくひたすら本を読むだけ。 鏡の世界越しに彼女を見ているのが密かな楽しみと言うのは未だに誰にも話したことはない。 俺だけの秘密だ。 彼女の視界に映るのは文字の羅列のみだが、それでも俺は満足だ。 彼女の横顔を眺めるのは幸せだし、なにより綺麗だ。 たまに口角を上げ、優し気な顔をする彼女を見ると俺までそう言う気持ちになる。 彼女は俺が此処で貴女を見ている事には気付かないのだろうな、と少し寂しく思う。 しかしそんな贅沢は言っていられない。 決してストーカーだとか、そんなのではないが、彼女をいつも見ていると嫌でも気付く事がある。 彼女は容姿からしても、モテる。 街中では知らないが、この喫茶店での場合、一時間の間に数人は彼女の事を口説く。 その度に俺は怒りで満ちて何度相手の事を殺そうとしたか覚えてはいないが、彼女は口説いて来た相手達を一刀両断にして無視をする。 それでまた本に目を落とすのだ。 俺がいる場所は彼女の席の隣、窓際に掛かっていて彼女の正面を見る機会が少ない。 だから彼女がナンパ相手にどんな表情をするのか分からないが、嫌悪か、無表情で接しているのだろうと声色で判断する。 ただ、俺は隣にいるだけだからそれぐらいの情報しか知らない。 それでも俺は彼女の事が好きだ。 彼女は俺の存在も知らないと言うのにだ。 それでも幸福を感じるのは重症だろう。 俺はイかれちまったんだ。 「お嬢さん、お嬢さん。 可愛いねぇ。 ね、俺も其処に混ぜてよ。 その可愛いお顔を俺にじっくり見せて、愛でも語ろうぜぇ。」 来た。 またナンパだ。 しかも今回はタチが悪い。 隣じゃないものの、向かいの席に座りやがった。 胡散臭い顔をしながら彼女を見るな。 彼女が汚れてしまったら俺が本当にお前を許さない。 かつてない程の苦しみを味合わせて殺してやる! 「生憎ですが、私は貴方の様な人と慣れ合う気はありませんので。 どうかお引き取りを。」 「そう言わないでさぁ。 なあ、ちょっとくらい良いだろうがよぉ。」 「!!? いやっ、離して!!」 向かいから彼女の手首を強く握り、顔を近付ける男。 逃げられない様にとの行動だろうが、それが彼女にもっと不快感を与えている。 初めての彼女の声に、俺の怒りは頂点に達した。 思い切り鏡を殴る。 バラバラと飛び散る鏡が男へと容赦無く刺さる。 彼女に当たらなければいいと、頭の片隅に置いて勢い良く相手を殴りつけた。 歯が一本抜け落ちたのが見えた。 「えっ・・・?」 彼女がそう呟いて崩れた鏡に目線をやる。 彼女の呆然とした正面が見れたのと同時に目が合った。 しかし彼女に俺は見えていない。 一方的に目が合ったのだ。 店の中が騒々しくなる。 オーナーらしき男が出て来ては彼女と話をする。 「すいません、この割れた鏡の代金は払いますので・・・。」 「いえ、なにが起きたのか分かりませんがこの店のお得意様ですし、なにより貴女はレディーだ。 直に目を覚ますこの男に弁償させてもらいますので。 今はここから離れてください。」 オーナーがそう言うと、彼女は申し訳がなさそうに頭を下げ、早足で店を出て行った。 その際に手から赤い物が滴るのが見えた。 明らかに俺が付けた傷だな、と。 俺は彼女に謝る術もない。 もしもあのまま傷が残ってしまっていたら。 俺はこの日のことを後悔するだろう。 これから俺は憂鬱な日々を送る事が目に見えて分かった。 暫く彼女を見れそうもない。 オマケ 「(突然鏡が割れた。 なんだったんだろう。)」 ナンパされた瞬間にいきなり割れた。 立て付けが悪かったとか、そう言う割れ方ではなかった。 「(私を、守ろうとする感じがした。)」 自意識過剰で原因は分からないが、左手に付いた傷を見る。 浅く、手の甲にある赤い線に唇を落とす。 もしも、もしも、ある訳はないけれど。 誰かが私を守ってくれたのであれば、 「嬉しいな。」 傷口にそっと、また別の赤を灯して笑う。 「会えたらいいな。」 ←→ |