彼は、一言で言えばあまり人と干渉しない人だった。
学校ですれ違う時も、時々視界に入る彼の周りには誰一人として見たことはない。
いつも彼は窓の奥を、遠い景色を見ているだけだった。
私はそれを、当たり前の光景として見る。
そして、これから女子に呼び出されるのも日常的に当たり前だ。
私が廊下を歩いていると、数人の女子が私を待っていたが如く、あまり綺麗とは言えない笑顔でまとわりついてくるのだ。
それをはっきり、目に留める。

「山添さん、ちょっといいかしら?」

お決まりのセリフに只々、付き従う他私にはないのだ。
あぁ、今日はなにをされるのだろう。
殴られるのか、蹴られるのか。
はたまたバットで腰を殴打されるのか。
いくつもの確立が浮き出てくる。
まだ泥水を掛けられる方が一番マシだ。
破かれて、罵詈雑言を散りばめられた教科書になんの意味があるのか分からないまま、それを抱えて彼女達の後ろを着いて行った。


・・・・・・・・・


彼女達に連れて来られたのはひと気の少ない校舎裏。
あまり陽も当たらず、陰湿なその場所は生徒も滅多な事では立ち寄らない。
彼女達には絶好の場所だ。

「今日はなにされたい?山添さん。」

問われて下を向く。
虐める相手にその質問はどうかと、毎日のように心の中で疑問を浮かべる。
私が答えずともなにをするか決めているくせに。
言葉に出せたらどれほど幸運な事か、彼女達は知る由もないだろう。

「相変わらずなにも喋らないわね。
関心だわ。
そんな貴女の為に今日は特別な事をしてあげるわよ。」

そう言う彼女は合図を何処かへ送る。
今までにないパターンで、動揺した。
明らかに新しい出来事が起きる。
そう感じざるを得ない。
そして、私の嫌な予感は当たった。
数秒と経たずに大柄な男子が数人現れたのだ。
彼女達に壁に追いやられている状況でも、両手に抱えていた役に立たない教科書を投げ捨てて走った。
彼女達を押し退けて走った。
でも男子と女子とでは体の作り自体違うのだ。
あまり運動神経も良くない体ではすぐに追い付かれた。
肩を掴まれ、正面を向けさせられる。
抵抗として腕を振り上げれば、大柄な男子の皮膚に爪が引っかかったのか、赤い血がすっ、と流れ落ちた。
男子はそれに激昂して私を殴る。
顔が、頬がやけに痛かった。

「手間取らせやがって!」

「じゃあ、約束通りその子を好きにやっちゃってよ。
顔もまあまあ悪くないし、スタイルも平均よりは良いでしょう?」

高い笑いを含めて彼女達は踵を返す。
それが無性に悔しくて、やるせなくて、久しぶりに涙が出た。
男達は下卑た笑みを浮かべながら私の制服の下に腕を滑り込ませた。
私の初めてはこんな奴らに奪われてしまうのか。
溢れ出る涙は重力に従って地へ落ちる。
誰も助けてはくれない。
今までだってそうだったから。
私がどれ程言葉を我慢してきたか、それが今では後悔に変わる。
素直に、誰かに打ち明けていたならどれだけ楽だった事か。
でも、もう遅い。
私は今から襲われるのだ。
もう、どうしようもないのだ。
下唇を噛み締めた、そのとき。
突然男達は手を止めて倒れ込んできた。
巻き添えを食らわないように、素早く身を退ける。
一体なにが起こったのか。
乱れた制服を徐々に戻しながら辺りを見渡す。
すると誰もいなかった場所に、私達以外の影があったのだ。
私は意外な人物に驚いて恐る恐る口を開いた。

「刃霧、君・・・。」

涙で霞む視界でも確かに誰か分かった。
人に干渉しない、まるで人が嫌いだと思わせる刃霧君が、何故私を助けるような行動をしたのか。
全く理解出来なかった。

「山添、立てるか?」

近付いて腕を差し伸べてくれる。
その時、私は思ったのだ。
私は救われた、と。
まるで神様のように見えた刃霧君の手を取って立ち上がる。
傷付いた頬に手を置いて軽く撫でる刃霧君の印象が、変わった。
それと同時に私はもう何もいらないとさえ感じた。

「場所を変えよう。
今教室に戻ったら厄介だから、ひとまず此処を出るぞ。」

そう言って私の腕を引っ張って歩き進める。
何故刃霧君が私の為にここまでしてくれるのか。
何故あの男子達は倒れているのか。
何故刃霧君は私の名前を知っているのか。
そんな疑問が浮かんで消えた。
兎に角、私は後ろを着いて歩く。
嗚咽も、愚痴も出ない声で静かに大泣きした。
涙を拭い去りもせず、只刃霧君の背中を見て歩いて行った。






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