学校で、いつもなら何気なく使っている人通りがあまりない階段を、この日に限り急いで降りていたのがいけなかった。
遅くまで図書室に篭って、勉強をしていたのが悪かったと今になって反省している。
ノートに数字の羅列とメモを書き写していただけでとうの昔に下校時刻は過ぎており、危うく先生達も帰ってしまうそんなギリギリで漸く外の暗さにも、学校の静けさにも気付いたというのに。
階段を、しかも2、3段しか降りていないところで足がもつれてしまった。
勢い良く落ちて体を打つ。
暗いし、痛いしで泣きそうだと言うのに追い打ちをかけるように足を挫いてしまい動けない。
しん、と静まり返っている夜の学校は酷く恐ろしく、勿論性格上大声も出せず助けを呼べない。
とうとう目尻から涙が溢れ出てくる。

「死にたくないな・・・。」

一人、本当に一人でそんな呟きを吐いてしまって益々不安になった。
そうすれば学校での怖い話が次々に思い出したくもないのに浮かんできては呪い殺されそうで声を上げて泣いてしまうのは仕方がないと思いたい。

「し、しにっ、た、くない・・・よォ・・・・・・。」

「それぐらいで死ぬかよ。」

突然聞こえてきた男子の声にビクリ、と肩が震えた。
違う意味の恐ろしさが襲う。
声さえも出ない。

「お前、なにやってるんだ。」

「あ、ああああああああ、ああああ・・・。」

言葉に出来ないとは正にこのことである。
目の前には同じクラスの虹村形兆さんがいる。
授業に出てたり、いなかったりな多分不良で、背が凄い高い私が苦手なタイプにストレートにハマりまくっている人が、本当に目の前で話しかけてきている事実に目を背けたかった。
私男性が苦手なんです。
だから話せないんです、と面と向かって言えたならどれほど良いだろうか。
血の気が引きつつもしっかり目前だけは濡れていた。

「立てねェのか。」

散らかった学生鞄や辞書を見てそう言ったのか、それとも死にたくないとめそめそしてさっさと帰らないのを不信がり言ったのかは定かではないけれど近寄っては面倒くさそうに広い集めてくれている。
申し訳ない、実に申し訳ない。

「あ、ああああああああ、あ、しししししししし、あし、あしあしあし・・・。」

「足挫いたのか。」

不機嫌そうな顔で問われる。
よく言いたい事が分かるな、と言いたいけれどやはり言葉が出ない。
友達と話しているみたいに喋れば良いと、前に一度言われた事があるのを思い出す。
それが出来れば苦労しないわ、と叫びたかった。
未だに足が痛くて動けない。
絶対絶命を身体ではっきりと感じたのはこれが初めてだ。

「閉まるぞ。」

「だ、だだだだだ、だだだ・・・。」

「大丈夫だったら早く帰れ。」

学生鞄を放り投げられてそのまま虹村さんは階段を下って行く。
マズイ、非常にマズイと頭の中でサイレンが鳴るがどうしようもない。
取り敢えず鞄を胸に抱えてこれからどうしようかを考える。
最悪今日は学校で一晩過ごす事になるだろうか。
朝になれば不良が授業をフケにここまで来るかもしれない。
その時こそ死ぬと思った。

「バカだ私・・・。」

ぐすぐす鼻が鳴る。
嫌でも虹村さんを引き止めれば良かったのだ。
家に帰れるなら本望ならば恥を偲んで頼めば良かったのだ。

「ごめんなさい、助けて虹村さん・・・。」

情けない声が暗い階段に響くのが良く聞こえる。
誰にも届かないのに、なにを言っているのだろうと首が項垂れた瞬間に暗い中でも影が落ちたのが分かった。
ゆっくり、恐る恐る顔を上げると先ほど帰ったと思った虹村さんがいた。
驚いて全身が固まる。

「最初から言えバカが。」

呆れられたように投げられた言葉がぐさりと胸に突き刺さる。
立ち直れないでいれば急に足を掴まれて靴下を脱がされた。
更に身体は硬直する。
晒された右足に何処から持ち出したのか、布のような包帯のような物をぐるぐると巻かれ始めた。
固定される足はあまり痛みがなくなっており、少し動かせた。
それが終わると虹村さんはまた唐突に私の腕から鞄を巻き上げると、背中をこちらへ向ける。
本当にわけが分からずなにもしないでいると大分イラついたのか舌打ちが聞こえてきた。
寿命が縮まる。

「早く乗らねェと殺す。」

「ごっ、ごめごめ、ごめんなっひゃっい!!?」

噛んでしまいながら慌てて背中へ乗ると、そのままおんぶの状況で立ち上がり歩き出す。
ガタガタ震える手足と五月蝿く鳴る心臓。
冷や汗もダラダラと流れ落ちる。
また寿命が縮まった。

「おっ、おおおぉぉお・・・。」

「別に重くもなんともねェ。」

「あっ、ああああああああ・・・。」

「歩けねェクセにそんな事言ってんじゃあねぇ。」

一文字しか口にしていないのに会話が成り立つ不思議体験を今している。
しかし、ちゃんと話さなくては相手に悪いと、必死に文字を絞り出す。
頑張れ、これを言われて嫌になる人はいないだろう、と自分にエールを送った。

「あっ、りがっ・・・とっ、ござっい・・・ま・・・す。」

沈黙が響く。
その空気が耐えられなくて震える手足が更に震えそうになるのを我慢した。
沈黙が破られたのはこれから数秒後であった。

「うるせェよ山添。」

そしてまた沈黙が続く。
でも嫌な沈黙ではなく、少々気持ちが良い。
幾分和らいだ心はもう震えは来なかった。
私の名前を何故か知っている虹村さんに驚きと感動を覚え始める。
歩く振動で揺れる背中のなんと広い事か!
緊張だけはまだまだ解けることはないけれど、若干の安心感は確保出来た。
今日だけは虹村さんに甘んじようと、勇気を出して背中にしがみ付いた。
なにも言われなかったのが何故か嬉しくてそのまま私の家まで送ってくれた虹村さんに今度お礼をしようと密かに計画を立てた。








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