くしゅん。
小さな音が一つした。
街中の大通り、寒くなって来たイタリアは前より人が少ない。
結構寒さに強い俺はチームのパシリで買い出しを要求され街に出ている。
コーヒーや紅茶、昼食の材料などを買っていれば荷物が増えていき、両手が塞がった。
もうアジトへ戻るか、と思った時に右下からくしゃみが聞こえたのだ。
そこに目をやれば真っ黒な長い髪を垂れ流し、足を抱え込むように座っている知人がそこにいた。
日本人であるそいつとは偶然に知り合って、最近ではこそこそ会う仲だったりする。
今会うのはたまたまで、「あ。」と声が漏れてしまった。
向こうも俺の存在に気付く。

「あ、ペッシさんボンジョルノ。」

鼻を赤くしてにへらと笑うこいつの名前は奏だ。
ジャズミュージシャンで、愛用するサックスに名前を付けている一風変わった奴である。
日本人なせいか顔立ちは可愛いく、年齢は定かではない。
恐らく俺と同じか、下ぐらいだろう。

「ボンジョルノ。」

「ふふっ、今日お暇なんですか?」

目を細めて笑う奏に一歩近付く。
マフラーを巻いている首に顔を軽く埋めている姿は寒そうだ。
サックスが入っているだろうケースを腹と太ももに挟み込んでは器用に座るものだ、と息を一つ吐いた。

「暇、なのかなァ・・・。」

「曖昧だったらそれは暇なんですよ。」

「まあ・・・。
そっちは?
路上ライブ?」

膝上のスカートから見える白い足をこれまた白い手で撫でる。
寒いのならもっと厚着をしてくればいいのに、と頭の隅でそう思う。
言ってもそれを正そうとする女はいないとは分かっているから言いはしないが。

「お小遣いが欲しくって。
ほら、こんなに貯まっちゃった。」

「小遣い多いなァ。
人も少ないのに。」

「うん、私もびっくりして。
あっ、そうだ。
ペッシさん一緒にパニーノ食べません?
美味しいお店見つけたんですよ。」

にこにこ笑って立ち上がる奏は小さい。
どうも見下ろす形になる。
見上げて俺を見てくる奏を直視しないように返事を返す。

「でも昼前だぜ?
昼前に軽食?」

「いいじゃあないですか。
お昼は腹持ちがいいかもしれませんよ。」

サックスの入っているケースを肩に担いで、俺の手を取る。
両手が使えなかった為に、片方だけ、やんわりと握ってのその行動に一瞬どきり、と脈が鳴った。
頭を横に振ってなんでもない風を装った。
マンモーニな自分が忌々しい。

「あっ、えっ・・・?」

「大丈夫ですよ!
私が奢りますから!」

「いや、そう言う、意味じゃ、なくて・・・。」

焦る心とは逆に、奏は嬉々としている。
うわァ、可愛いな。
脳内がそれを占める。
しかし、それはまずい。
なんとかしなければと、あまり良いとは言えない頭を回転させるのに時間が掛かった。

「え、あぁ。
日本人は奢りたくなる性分だと思っててください。
それに、私を助けてくれたお礼も兼ねて・・・。」

「あっ!
うん、えと!
そうだ!奏寒いんだろう?
寒いんだよな?」

話を途中で切り替えたのを疑問に思ったのか小首を傾げながら「寒いですね。」と返す。
それに内心ほっとした。
奏が寒がりで助かった。
我慢強い奏もやはり寒さには堪えるようだ。
そうかそうか、と奏の手をゆっくり解いて袋から温かい缶コーヒーを取り出す。
買ってて良かった。
俺の命が救われたと思った瞬間だった。

「奏にやるよ。」

「・・・いいの?」

「いいよいいよ。
パニーノ奢ってくれるお礼。」

俺から缶コーヒーを受け取り、暫くそれをじっ、と眺める奏。
やがて手で大事そうに包み込みながら満面の笑みを俺に向ける。
それにまた心臓が鳴る。
今多分顔が赤い。

「グラッツィエ!」

結局安物である缶コーヒーをそうやって扱ってくれる人は初めてだし、そんな笑顔を向けられるのも初めてな訳で・・・。
奏を今見れないのもそんな理由からで。

「グラッツィエ ア テ・・・!」

だからこれぐらいしか言葉を渡せなかった午前11:30。





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