朝目を覚ました。
ボサボサの髪を指で弄りながら母親の大きな声で起こされないように、速やかに二階から一階へと降りる。
胸に抱いたクマのぬいぐるみを離さないように洗面台の鏡を覗き込むのが私の生活の始まりだ。
・・・唐突ですまないけれど、ここで私の見解が入る。
鏡に映る自分をちゃんと見たことがあるだろうか。
目と鼻はどこの位置にあり、耳は大きいのか小さいのか。
おでこにニキビが出来ていたり、歯が綺麗に磨かれていなかったり。
眉は上がり気味なのか下がり気味なのか、化粧はムラなく塗られているのかどうか。
人間は顔を見る。
しかしそれは確認する為に鏡を覗き込むことだろう。
誰しもが深く自分の顔をちゃんと見たことはないのではないかと、私は思う。
よく聞く、鏡の向こうの自分に対しお前は誰だ、と聞けば自分の本当の顔が分からなくなって最後には精神に異常を来すらしいではないか。
それは正しくゲシュタルト崩壊を意味するものであり、私達人間にとっては当たり前なことではないか。
だから常に自分を着飾り、変身しようともそれはそれで自分以外の何者ではないということである。
皆が皆自分の顔面を忘れ去ってしまっているのだ。
しかし、私の場合そうであってほしいと願ったことは多々ある。
鏡の向こう側に色白で蒼い瞳を持った美少女がいても良い。
ソバカスだらけの突っ張った、今にも破けて飴玉が転がって来そうな肥えた女が出て来てもなんら不思議ではない。
だが、今この瞬間。
私を前にした青白く光る下がり眉の死にそうな男が映っているのだけはどうにも解せなかった。
生まれてこの方私は私を知らない。
この男と、その他にたむろしている男達が日々私の目の前に立ちはだかってくるのだ。
なんの嫌がらせで、なんの呪いなのか。
見当も付かずに目ヤニでもついているであろう目を擦りながら水道の蛇口を思い切り捻った。
大洪水のように漏れ出してくる水に臆することなく、手を差し出しては透明な温度の低い液体を顔に押し当てる。
肌に直面した冷たさに思わず身震いをして新しいタオルを取り出しながら水滴を拭き取った。
この一連の流れをこの得体の知れない男は黙ったまま私を見つめ続けるのだ。
どこぞのロリコン教師よりタチが悪い、と噛み締めたハズの舌打ちが零れ落ちた。

「レディーが舌打ちなんてはしたないですよ。」

静かに諭すように言われてもなにも感じない。
そんな事をほのめかすのであれば今すぐにでも私の顔を返せと怒鳴り散らしたい気持ちでいっぱいになる。
傍に置いたクマのぬいぐるみの手を取りながら櫛で絡まった髪を解くに解く。
少々乱暴になってしまったが故にぶちぶちと千切れていく憐れな髪を、気にもとめずに腕を動かした。

「髪が傷みますよ。
それでは。」

「五月蝿いから喋らないでくれる?」

イライラが募る。
決して向こうでは見れない髪との格闘の間に一々小言の多い男である、と彼を忌々しく見つめながら漸く整いを見せた髪の触感にため息を吐いた。
こんな生活は二度と御免被りたい。
ささやかなる日常を望む私は容易にでもこの男達を差し出す勇気がある。
私にはこの男共が必要ないからだ。
ただ、それだけだった。


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