私はただ、テーブルへ置いてあったグラスに入った水を飲んだった。
グラスの隣に2リットルサイズのペットボトルが置いてあり、そのラベルには存在を主張するように「水」と書いてあったのだ。
水だとしか思えない。
グラスには口を付けた跡も見当たらず、冷たい液体を入れた時にグラスに浮き出る水滴さえも目に映ってしまっている。
誰のものでもないその水の入ったグラスを右手で徐に掴んだ。
お風呂上がりの身体は熱く火照り、喉も、口内でさえもカラカラに干からびており、どうしようもなく、その砂漠の中のオアシス同じく人を誘惑する水分に目が眩み一気に流砂広がる我が体内へグラスを目一杯にも傾けた。
滑り落ちる冷たい液体は私の喉を通り、胸を突き抜け、腹部へと染み込んでいった。
しかしながら、その飲み干してしまった水がどうもおかしい。
味が付いているように思うのだ。
それと同時に喉が焼けるように熱く感じ、また、目の前がフラフラと微睡みにも似た景色により歪曲に包まれている。
気持ちが悪いと言うよりも眠く、今にも目を閉じてしまいそうな私の目の前には複数の母がよく分かりもしない顔で私を覗き混んでいた。
不思議な感覚に苛まれながらも複数の母の手が頬に触れるが、その感触はたったの一つである奇妙さである。
考える思考もなければ立っているのも億劫な状況は果たしてなんなのであろうか。

「あらら、お酒飲んじゃったのねぇ・・・。
我が子はお酒に弱い体質!
一つ学んだ私は偉い!!!」

お酒と言う単語が耳に入って来るが、それでもなにも感じない辺り今日の私は人間の自我としての部分が目覚めていないらしい。
母に手渡された新たなグラスには本物の水が揺らいでいるようで、再度私はそれを一気に煽る。
幾分か冷えた喉の熱を感じ取りながら踵をそっと返し、覚束ない足取りで二階を目指した。
背後で母から「クマちゃん忘れてるわよー。真っ赤な顔のお嬢さん。」と言う言葉と共にクマを手渡され、いよいよとその長いようで短い階段を上り詰める。
途中、眠さの悪戯で手すりに寄りかかったり、一段、階段を踏み外したりはしたものの頂上へ到達した私は瞼同士がいちゃいちゃとハートを飛ばしているのを眺め、自室へ続くドアノブを捻ろうとしたが、そのドアノブが見当たらない。
目の前にあるのは何人いるのか分からない無数の男達だけであった。

「また会えるとは思っていなかったぜお嬢さん。」

「なんだよ酔っているのか?」

「ガキが粋なことしやがる。」

静かに笑い声が響くその空間はいつもより楽し気な雰囲気を醸し出しているように思う。
しかし、はて。
私の部屋は一体何処にあると言うのだろうか。
未だケタケタと木製の人形が躍り狂うが如く笑いがひしめき合っている男達をぼんやりと眺めながら一つ瞬きをする。
引きずっているクマの左手を今にも離してしまいそうでありながら、腕を目元にぴたりと付け強く擦っても目の前の男達は消えはせず、先程よりも豪勢に笑い合っていた。

「アンタの部屋はあそこだぜ。」

「ほら転ばねえようにしっかりと前進みな。」

そう促され指を指された方へと向かう。
確かにそこにはドアノブが存在した。
それを捻り扉を開けると、その角が額目掛け当たりに来るではないか。
痛みという刺激はないが、更に愉快な声は大きくなる事実には耳を塞ぎたい。
賑やかな夜だ、と今度こそ自室へと入りベットへ潜り込む。
引きずったお陰で足が若干黒くなったクマを抱えながら目を閉じると途端に思考が落ち着いていき、私はそのまま朝を迎える準備をする。
きっとこの夜のことは思い出せないのかもしれないが、今も聞き慣れない笑い声が耳に蔓延っている辺り、明日の私は機嫌が悪いに違いないと予想を立てながら私は深い夜に眠りに就くのであった。


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