涙で濡れた袖口に顔を埋める。
階段を上った突き当たりにある姿見を左手側に付け、壁には背中を押し付けて身体を揺すった。
こうやって気持ちが沈んでしまっているのには学校での出来事が原因であった。
この前の図工の授業、似顔絵を描くと言う名目であったそれに私はブーゲンビリアを描きそれを提出した。
仕方のないことだったのだ。
私は生まれてこの方自分の素顔を知らず生きてきたのだから人物画、それも自画像など描ける訳もない。
だから抽象に抽象を重ね、私に似ているブーゲンビリアを描きそれを先生に押し通したにも関わらず、クラスメイトの男子数名がこぞって言いがかりを付けてきたのに思わず腹が立った。
自分の顔も曖昧な人間に私の絵をとやかく言われる筋合いはない、と言葉を押し込め貫き、そのまま放課後を帰ってきたのだが、後々に胸へどっしりとつっかえてしまった黒いどろっとしたものが足取りを重くさせたのだ。
だから帰宅早々に二階へ駆け上がり、ランドセルを放って鏡の前まで来ては泣き腫らした。
嗚咽が喉元を逆流し、上手く呼吸が出来ず、目に溜まった水は床へ落ちたり袖口に吸収されたりして忙しない。
目の前に立っているアクセルとか言う軍人と思しき男は黙ったままであり一言も声を出す事はしなかった。
久方振りに顔を合わせた者が唐突にも泣き喚けばリアクションの一つも取れはしないだろう。
仕方がない。
私だったらそうなるからだ。

「死ねば良いと心の底から思うわ・・・。」

「殺したら面倒な事になる。」

淡々と告げられるその言葉を飲み込んでは深呼吸を繰り返す。
正直に言えば私はこの男のことはあまり好きではない。
雰囲気が陰湿であり、中身もじっとりと黒っぽいなにかで出来ている人間はロクな者ではないと理解しているからであった。
それは映画であったり、近所にいた殺人犯であったりと様々な場所で見掛けることが多かったせいか、こう言った人間には馴れ合う気などさらさらない。
共通点が一つもないのだ。
生きていても何処か死んでいるような生活を送る奴らとは同じであるハズがないと抗いたいが為に私はアクセルと言う幻影が一等に苦手であった。
私を脅す為に様々な悪趣味である程の行動や話を聞かせてくる辺り、嫌な奴だと痛感する。
サイコパスでも患っているのではないだろうかと確信めいたものさえも脳内を埋めて仕方がない。
兎にも角にも、私はこの男のことが嫌いだ。

「人を何人も殺ったことのあるような顔をしておいて何言ってるの?
説得力がないのだけれど。」

「何人、ではないな。
恐らく千人以上は死んだだろう。」

「どうでもいいわそんなこと・・・。
結局のところ説得力がないのは事実よ。」

再度深呼吸を行ってからアクセルの言葉を待つ。
殺した、ではなく死んだ、との表現には純粋な疑問が浮かんではきたのだがやはりそれもどうでも良いことなのだと自分を慰める。
つっかえている黒いヘドロは未だに私を蝕み楽しんでいるのだ。
怒りが込み上がってくる中、それと同時に悲哀も湧き出てくる。
今この家にいるのは私をおいて誰もいない。
吐露するには鏡の前が最適なのだ。
相手はその場合問わず、誰でも良い。
たまたま今回が陰湿軍人であっただけに過ぎなかっただけである。
運の無さを嘆く訳でもなく、私は只管に袖口に顔を押し込めるしか手段はなかっただけであると自分に言い聞かせた。

「・・・人を殺せば亡霊が現れる。」

「・・・なに言ってんの?
そんな子供っぽい脅しを聞いてもなんとも思わないわ。」

「奴らの執念は凄まじく精神に絡んでくる。
厭にしつこくてどこまでも追いかけて来る程にな。」

だから人を殺すと面倒くさい。
私に言い聞かせたのか、それとも自分に言っているのか分からないがいつにも増してトーンの低い声に思わず顔を上げた。
視線がかち合う中でアクセルの表情はいつも通りではあったもののなんとなく違和感がある。
恐らく、私の泣き腫らした顔も酷いことになっているのだろう。
相も変わらず私の姿を見せてくれはしないようだが、それでも今日は何故かそれを許してしまえるぐらいには気分が晴れやかになった。
人間、中身も重要なようだ。
そう感じながら放り投げたランドセルを手元に手繰り寄せるといそいそと立ち上がる。

「やっぱり殺さなくていいわ。」

「懸命な判断だ。」

それだけを述べて私は自室へ立て篭もる。
濡れた袖口をそのままにしながらどこかへ行ってしまった黒いヘドロを思いやりながら紙とペンを取り出す。
取り敢えず、遊んでやろう。
そんな事を考えて絵を描きはじめるのだ。


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