お風呂の白い湯気が揺らめくのを眺めながら鏡の前へ立つ。
今日はなんだか眠い、と目の前の人物に目もくれずに歯ブラシに歯磨き粉をかける。
発光でもするのではないかと言う程の青白い薬品は、私の口内を刺激していく。
苦いような、それとなく酸っぱくもあるような、そんなものをダイヤモンド並の硬さを誇る歯に塗りたくり予防を試みる。
歯医者には極力行きたくはなかった。
あの嫌なドリル音や、歯医者特有の独特な匂いが嫌いだからだ。
他人のゴム手袋をはめた手が口の中を蹂躙している感触には身悶えし、鳥肌が身体中を駆け巡って危険であると知らせてくる。
だから私はこの歯磨きという行為を毎日朝昼晩欠かさずに行っているのはそう言う理由があるからだった。
そうして、昔嫌々ながらに行った歯医者では磨きすぎるのも良くないと忠告を受け歯磨きはいつも三分以内には終わらせている。
それがベストなのだと女性の歯科医はそう応えていた。
だから三分きっかりに口を濯ぐ私は徹底していると自負している。

「見事に三分だ。
君は案外自身の事を大切にしているようだ。」

漸く真正面を向いた先には堂々とした立ち振る舞いの男性が静かにそう言い放つ。
またもや初めての顔振に思わず会釈を施しては、昼間の女性を思い浮かべた。
あの時は女性の異質な雰囲気が恐ろしく思わず逃げ出してしまったが、今は眠さが相まって恐怖心が欠落している。
船を漕ぎ始めている為か、始めてと言えどもこの男性には興味がない。
どうせこの人も私の顔を見せてくれはしないだろう。
だから手を洗って雫を拭き取った。

「他人の健康を心配するとでも?
そんなのただのお人好しか、愚鈍者の葬列よ。
私は自分の為にしか動かない。
相手のことなんか知ったことじゃあないわ。」

「それは残念だ。
是非とも我々の祖国の為に働いてもらおうと願い出てきた訳なのだがな。」

思考力の弱まった頭では絶対的な物言いをする男の話が上手く受け取る事が出来ずに、ただただなにも考えなかった。
私にあるのは睡眠欲の膨大さだけである。
だからこの男の口から出て来た祖国の為、という言葉にはなんの疑問も持たずに薄くなった視界を必死にこじ開けた。
男は依然と勇姿漂っている。
それは私の嫌いな歯医者を連想させられ、不快な気持ちになりはするものの深くは考えまい。
私はこの男の事よりも、早くこの場を立ち去って寝床へ就きたい気持ちでいっぱいだ。
だから今回も自分の為に動く他ないのだった。

「アンタ達のことなんか知らないわよ。
私の顔を返してくれないのならばアンタも他の奴らと同罪であり、死刑よ。
こんな話するだけ無駄ね。
それではおやすみなさい。
そして二度と出て来ないでくれたら嬉しい。」

欠伸を一つ漏らして踵を返す。
背を向けた私を彼は見ているのか、それとも消えているのかは分からないが、私は只管今の自分の欲求だけを満たしたい。
だから離れた。
歯磨きもして、髪も梳かした。
もう今日残された使命感は眠るだけとなる。
意識を手放して夢の中の私と出会おうではないか。
階段をゆっくりと登り、突き当たりの姿見には目もくれず自分の部屋へと押し入った。
寝床へ潜り、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱き締めては瞼の幕を降ろす。

「今はゆっくり休むと良い。
これからが忙しくなる。」

ふわふわと微睡む意識の中で先程の男が私の耳元にそう呼び掛けた気がするが、今の私には心底どうでも良いことだった。


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