値千金、我が手中にて


ノックを数回打ち鳴らす。
数秒間の沈黙の末に扉の向こう側から投げ込まれた「入れ。」の言葉を耳で拾い一言据えてからドアノブを捻りその一線引かれた隣へと足を踏み入れた。
目の前に見えるのは豪華一色のワインレッドを模した部屋の中央にて我が国の頂点に立たれているお方が豪華な椅子に腰掛け頬杖をついている光景はいつもの優美さたるもので溢れ返っている。
そこに安心や尊敬を抱いた視線を大統領へと向けるが、明らかにいつもの風景には溶け込めない、馴染めない"ナニカ"の存在が目に飛び込んで来る様がおぞましくて仕方がない。
死体の腐敗臭漂うその"ナニカ"は大統領に向き合っており、その手には手錠が掛けられていた。
犯罪者かただの莫迦か、はたまた別の理由があると言うのか。
どちらにせよ大統領の前には不適合すぎるその女の形に見える"ナニカ"は口元を歪ませ、目を細め、余裕であるようにぎしぎしと笑みを光らせている。
厭な輩だ、と身動きの取れないであろう体を微量に動かしているのを目に宿しながら大統領に唇を向ける。

「スイませェん、なにかご用で?」

「今日からこの客人をチェスに加えようかと思っている。
だからこそ一つ提案があってだな、お前達で躾でもやってもらいたい。
少しばかり派手過ぎるからな。」

指を組んではその上に顎を乗せる大統領は優美に微笑んでいた。
明瞭深く、嫌な予感しかしないのは一重に常識人とは言い難い雰囲気を醸し出しているからだろう。
面倒だ。
そう言える筈もなく灰色の雲に突き刺さった絢爛豪華な屋敷が逆さまに落ちて来るが如く、あの喧しい電波博士に対抗するように大地をひっくり返したくなってしまう。
長く伸びた髪らしきものを揺らしながらその女の形を施したモノは口を上下に開けて更にその目を細やかに縮めながらに言い放った。

「冗談じゃあないですわ。
ワタクシの自由をその白い、潔白を誇る手袋の上で掌握なさるおつもりなのでしょう。
そんなことなさるおつもりなのならばワタクシはこのお話から脱退させて頂きますわ。
ワタクシは自由に人生に縛られるのがお好みなのですの。」

顔に似合わないマゾヒスト発言に眉を顰める。
何を言いたいのか分からない、且つ不快感を与え続けるこの腐臭に早速体内を打ち破りたくなってしまった。
大統領のお考えが察知出来ない。
それは私だけではないだろう。
同僚であるマイク・Oも私と似た立ち位置で悩めていることだろう。
なにせ、この方は偉大であるからだった。
拾われた身である私達が口出しをするなんて以ての外。
この"モノノケ"もきっとこの方には敵わないのだと思う。
今正に、大統領がその耳の形をした場所に言葉を持っていったのであるからして、制裁が下される。
目の内が開かれた先には瞳孔が開きに開き死人の顔つきが最も強くなった。

「命令ではない。
私からのお願いだ。
君の力が必要なのだよ。」

「おま、え、何故、何故私の・・・、何故私の名前を・・・っっ!
き、貴様ァッ、ぐッ、お、えぇぇッッッ!!!」

「君は最初から、私の手の内にある。」

跪いて、酸味漂う生塵の液体を溢れさせる"バケモノ"は息も絶え絶えに汚らしい罵詈雑言を文字通り吐き出していく。
汚れていく絨毯が生々しく轟々と染みを拡大していく様を眺めながらその地面へ伸びる髪も纏めて湿った敷物の上へ足裏で踏み潰す。
ぐちゃっ、と現実的な音を立てながら踏みしだいていくと更にごぷりと口の端から汚物を垂れ流していった。

「大統領に向かってなんですかその口ごたえは。」

「うるせェぞ!!
いいからその足を退けろよ死神!!!
殺させろ!私の名前や過去や人生を知っている人間兵器を生かしておいてやれると思うなよ!!
殺させろ!殺させろよッッッ!!!」

繋がれた手錠の鎖がばちりと崩れ去る。
伸びて来たその細腕を余った足と傘で突き刺して動きを、更に封じた。
大統領は依然と笑っているだけで手を下そうとはしない。
そう、今は。

「一週間に一度だろう、その顔を変えるのは。
生き辛くないか?追っ手から逃れるのも大変だろう。
それで一つどうだろうか、取引をしないか。
私の仕事の一端でその顔の代わりを与えてやる。
そしてその度に報酬もやろう。
仕事がある時以外は自由そのものだ。
悪い話ではないだろう?」

獣のように息を荒げていたものが段々と落ち着きを払って、やがては呼吸が止まる。
この"バケモノ"も国の一端になってしまった瞬間を、今、目撃してしまった。
しおらしくなって身動き一つ取らなくなったところで床へ静かに足を下ろす。
ぼとぼとと頬から落ちていく胃酸を気にもせず深呼吸一つを体内で往復させ、ぐるりと眼球を動かすその得体の知れないモノは首を傾けつつ、そうして黒々としたブラックホールにも似た目で、まるで仕方がないとでも言うように「良いだろう。」と口にした。
「交渉成立だな。」と言いながら立ち上がる大統領はそのまま扉へ向かってドアノブを捻っていた。

「後片付けを頼もうと思う。」

「懸命ですね。」

出て行った後ろ姿と立ちすくんだ背中を交互に見つめ、やがて目を瞑る。
面倒だ。
言えない言葉を繰り返す。
腐敗と酸味を含んだ嫌な臭いが肺の中を充満する。
報告書か、それとも躾の勉強か。
悩みどころであるのが更に、面倒であった。


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