松竹梅の成れの果て 風に運ばれるのは蝿が死んだように腐って朽ち果てたかのような死臭溢れる臭いだった。 鼻から香るその死骸は肺へと無遠慮で通り、身体中を駆け巡っては口から咽せ返る咳と共に吐き出した。 コイツは、酷い。 口にしないが思わず口元に手を当て、視線を背けてしまう。 紅くまるで瑪瑙のように蔓延ったその林檎は見るも無残な姿で、動いてはいなかったが呼吸はしていた。 口元へ耳を持っていくと小言のように「顔が・・・私の、顔、が・・・。」と嘯いて頭が項垂れるその女の顔には皮膚が一ミリたりともありはしなかった。 首の根元から頭の天辺まで髪の毛や、当時耳に火傷をしたというその痕さえもがらんどうに剥ぎ取られてしまっていたのだ。 東洋にいた女が手にしていたこけしと言う人形のようだ、と密かに思う。 つるりとした丸みのある、柔らかな曲線を描いた木の人形だ。 表情と衣服を木の肌に描き込んだ、至ってシンプルな人形を大事そうに両手で抱えていた女は薄い顔の上でにんまりと笑っていたのを、ふいに思い出したのだ。 その顔が描かれたこけしに良く似ていた、と横たわる女の姿と重ね合わせながらもすっ、とその臭いを空気中から退けさせる。 最も、皮膚を剥ぎ取られた女よりもこけしの方が張り付けられた笑み同然不気味ではある。 憐れにも取りまとめられていないこの難事件は2ヶ月と19日にて既に9回目の犯行だ。 犯人はどうしてこのような珍奇な事件を臨んで起こしたのか議論は収まりを知らず、シェリフの中で大層持ちきりだった。 こんな気味の悪い事件とはおさらばしたい気持ちを抱え、病院へと漸く運ばれていく女を横目で見送る。 皮を剥いでなにをしたいのかは未だにその真相は闇の中であり、そんな犯人は今もこの近くでのさばり生きているのだと、考えれば考える程に背筋に悪寒のようなものが走って来てどうしようもない。 辺りが黒々と怪しく塗れたその場所に立ち、物思いに耽る。 柄ではないと言われるかもしれないが、言わせたいものには言わせておけば良い。 いつもこう言う現場に立つと夢見が悪いのだ。 その腹いせにでも事件を解決させてやりたいという思いが上位に食い込む理由である。 寝る時は気持ち良く寝たい。 それは誰しもが願う細やかなものだろう。 頭に被ったテンガンロハットを深く被りなおしながら重くのしかかる感情をはきだした。 「まるでカワハギの調理法みたいだ。 力尽くで、勢いに任せている点がしっくりくる。」 「そうですか。 それはさぞかし良い獲物だったのでしょうね。 綺麗に剥がすほどに魅せられるものでもあったのでしょう。 勿論、私には分かりかねますが。」 淡々と感情などありはしないかのように、事件のあらすじだけに目を通しては本を閉じる読者が如くゆっくりと、ほっそりとその黒一色の人物は何事もなく立ち去ってしまったのだった。 名探偵を気取るわけでもないその男、ブラックモアは本当に見物しに来たというようであり、なにをするというわけでもないらしい。 どこ吹く風のように立ち去ってしまったのだ。 使命感も、恐怖も、正義感も。 なにもかも持ち合わせていない背中をブラックモアは堂々と見せびらかしながら歩を進めていく黒装束は正に無機質そのものだ。 薄情だとは言えないが、気持ちの良いヤツではないな、とこれまた深い鉛の息を口をすぼめて外へ吹き出す。 この事件はもう暫く止まってしまうだろう。 女の皮だけを持ち去る奇怪極まりない難事件に頭を悩ませつつゆっくりと、その現場をブラックモア同様に離れ込む。 遠目から観察してみるのは基本である。 「近くのものばかり拾い集めていても、それは愚か者ののやることだ本来ならば地道なことをやって結果を掴んだ方が良い」、と前に誰かから譲り受けたセリフが脳内を飛び回る。 確かに、俺達シェリフは情報を集め過ぎたのだ。 例えば皮を剥ぎ取るのは女のみという点。 9回目の事件を発生させる前からそれは分かっていた。 それと、凶器は使わず仕舞い。 全てを手作業でこなしていると分かったのは3件目、酒場にいた女が椅子に腰かけながらうわ言をのたうち回っていたのを良く聞くために近付いたお陰で辿り着いた。 しかしそれだけの情報を集めていたとしても一向に犯人は現れないし、どんな人物像であるのか、という問題は未だに残っている。 だからこそその闇のベールに包まれた謎を、俺は今も只管に探しているのだ。 だから街並みに身を委ね、被害者の家のすぐ側まで駆け付けた。 地面になにか手がかりがあるのでは? はたまた犯人の残しものが木の枝に引っかかっているのかもしれない。 そんな淡い期待を抱いて、いざ向かって行こうとする、そんな中でふと嗅いだことのあるような臭いが辺りを立ち込めていた。 その臭いには身に覚えがあった。 先ほどの女の臭いと全くと言って良い程に酷似していた。 腐った生ゴミ、或いは死骸に似た臭いの元を探る為に、辺りを不自然には見えない程度に見渡す。 なんの変化も見受けられないその住宅街は人で賑わっており、誰から香ってくる臭いかは分かるハズもない。 しかし、その死臭は段々と強くなっていき、鼻がもげてしまうのではないかと思えるぐらいには強烈だ。 思わず咽せ返るその臭いには嘔吐さえもしたくなる。 それ程に死臭は色濃く漂ってきていた。 原因不明のその症状に冷や汗がたらり、と顎から、背中から、滑り落ちた。 「人の人生とは、素晴らしいものですよマウンテン・ティム。 あの子は2度目の人生を歩んでいくのだわ。」 そうして緊張轟くその琴線に、漸く触れる謎の解明が何処からともなく、たったの一言で片付けられてしまった。 明らかなる女の声は西の方角から捉えることが出来た。 だからそちらを見やると、たった今、病院へと運ばれた女の姿に良く似た、どこにでも売ってあるドレスを見に纏う人間と思しき"モノ"がにたり、と笑いかけていたのだ。 それはあまりにおぞましく、厭な光景であり、あの皮を剥がされた女よりもよっぽどショックであったのだ。 俺達は犯人を追っていたのではない。 犯人が俺たちを嘲笑っている、と言うのが正しいに違いない。 現に、あのなんてことのない女の声をした魔物は笑っていたのだから間違いではないだろう。 してやられた。 最早姿の見えなくなったその悪魔は今なにをしているのか、俺には理解が出来ない難問だ。 近くには恐らくもういないだろう。 薄れていった人の血肉の臭いは今も尚、この吸い慣れた鼻の奥底で蘇りつつある。 咳をして吐き出すも、その臭いを覚えてしまえば離すことは困難に近い。 あの女の笑みが脳裏を掠める。 口角の上がった、真っ赤な唇と三日月のように細められた顔に、不釣り合いな程の耳の火傷痕が嫌に鮮明極まりない。 名も知れぬ、落ちぶれた貴族の娘と瓜二つの顔を持つ女に似たナニカは、今も何処かで生きているのだと思う。 それだけで不安と不快とで塗れ終わるのだった。 [*前] | [次#] ページ: |