午後1時53分。
待ち合わせより7分も前に来たと言うのに私の目の前には既に彼女がいた。
仕事も休みであると言う事でたまには息抜きにでも、と仕事詰めであった彼女を誘い出したのだが、誘った私より早く到着している様子を見ると彼女は意外にも楽しみにしていたのではないか、と錯覚を起こしてしまうぐらいには嬉しく感じた。
私の私利私欲に彼女は応え、そうして付き合ってくれているのだ。
嬉しくない訳がない、と嬉々として彼女へと近付いた訳であるが、彼女のいつもとは違う服装に目を一度閉じたのは他でもなく私自身である。
彼女は仕事場ではいつも黒を基調とした服を身に纏っていた。
出張先へ出向く時も、パソコンへ向き合って溝のあるキーボードを叩いて凹凸を生み出している時も、冬でも夏でも、露出の少ない黒色の服を着て過ごしていたのを、昨日までの私は見ていたのだ。
彼女の私服を見たことなど一度もない。
それは今日という日でさえも、彼女の服を拝める事などなかったのだった。

「喪服ですか。」

「えぇ、それがなにか?」

冠婚葬祭の一種であるところの黒い衣服を肩に引っ掛けては肌を隠す彼女の徹底さには呆れを通り越し目を見張るものを感じる。
寒空の晴れた日に、木の枝や道端に尚もまだ残っている雪に太陽の光が反射して彼女を照らしている光景には女神のような、はたまた無垢な天使であるかのような印象を、確かにこの身に受けた。
冷えた空気を肺に押し込めながら彼女の正面へわざわざ立ち、その黒色を爪先から頭のてっぺんまで目を通す。
不思議にも思っていない様子である彼女はただ、じっと黙って立ち伏せるだけであり、私が手を差し出す事も厭わない雰囲気を醸し出している。
だからこそ、私は彼女との距離一寸弱保っていた。

「誰か亡くなられたのですか。」

「いいえ、今日と言う日に今日の貴女が死ぬのでそのお詫びにとでも。」

「車かなにか轢かれるのですか私は。」

「そうなるのかもしれないし、用事が終わればそのまま帰宅した貴女が死んだように眠るのかもしれませんよ。
どちらにせよ今日の貴女は明日にはいないということです。」

煌びやかな人形のように一つたりとも顔を変えない彼女の丑三つ時の刻の瞳をした目と私の平凡な目を合わせながら、柔らかそうな唇から落ちていくたおやかなその声を拾っていく。
彼女は私のことがあまり好きではないらしい。
否、それとも葬式に来てくれる程に好きであるのか。
どちらとも取れるその服装は誰の目にも止まっており、彼女は正に今注目の的であった。
それが、どうも気に食わず気付けば私は彼女の手を引っ張ってその場を去っているのだ。
自分でもこの行動には驚きを隠せなかったのだが、彼女はそれでも驚かないらしい。
そんな彼女を粉々に砕いてしまいたい欲求は膨れ上がるばかりてある。

「お昼食べました?」

「まだですが。」

「それでは遅めの昼食にはなりますがそこら辺りの喫茶店へ行きましょう。
お昼の時間は過ぎたので席は空いているハズです。」

気味の悪い彼女の細い指先に私のを絡める。
そうすれば今にも割れてしまいそうなガラス玉の冷たさをよく思い出してしまった。
綺麗なものは他人に見られたくはない。
子供の頃からそうだった私は彼女を隠そうとしている。
こんなにも喪服が似合う女性など彼女以外に果たしてこの世に存在するのであろうか。
疑問も甚だしく近くの高級レストランへと駆け込み予約もなしに空いた席へ通されては二人して座った。
どうせ今日の私は明日にはいないのだ。
だから贅沢して彼女の分まで払おうなどと、そんな欲望に塗れた思考が魚のように泳ぐのであった。
憂気で狂気を孕む彼女は、世界一美しい。
だからこそ私は彼女が欲しくてたまらなくなった。





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