ハロウィンパラレル【後編】 文:カルカ様



 呼ばれた〈吸血鬼〉は、夕刻の空に近い群青の双眸を巡らせて、目の前の〈女王〉と、大鎌を持つ〈死神〉を交互に見遣った。僅かに身じろぎ、周囲の気配に耳を傍立てると、忌々しげに吐き捨てる。
「『お仲間』相手に二対一か。最初から、勝ち目はなかったな」
 空を仰ぎ、深く息を吐くと、〈吸血鬼〉の鼻梁から頬に細く筋を作る血液が、ぱたぱたと土に落ちた。〈女王〉が、僅かに眉を寄せる。
「言っておくけどな、多勢で怪我人いたぶる趣味は無いぞ。おれも、こいつも」
 ちらりと〈死神〉に笑いかけると、〈吸血鬼〉の歯に触れた指で、〈女王〉はそのまま青白い頬を摘み上げた。
「で、大丈夫なのか、おまえは。怪我もだけど、ちゃんと『食事』してるようには見えないぞ」
「……」
「抵抗する気力も湧かないか」
 〈女王〉に、ぐにぐにといいように頬を摘まれても、〈吸血鬼〉は振り払いもしない。しかめた目元には、触れられることに対する嫌悪よりも、疲労と失調の色が明らかだった。〈女王〉は頬から指を離し、代わりに頭を優しく撫でる。
「……何でまた、気位の高いので有名な一族の若いのが、こんな辺鄙なところまで流れて来たのかは知らないけどさ」
 静かに呟きながら、未だ警戒を隠さない〈死神〉の大鎌を横に退けると、〈女王〉は徐に〈吸血鬼〉の頭を自らの肩口に引き寄せた。白い首を飾るチョーカーを片手で器用に外しながら、〈吸血鬼〉の耳元に語りかける。
「ほら、いいぜ。好きなだけ食えよ」
「おい、待てって」
 慌てた〈死神〉が再び大鎌を構えようとするのを視線で制して、〈女王〉はくすりと笑った。
「大丈夫だよ。仮に血を吸い尽くされたって、おれは死な――死ねないから。ジタン、知ってるだろ?」
 たじろぐ気配を見せた〈吸血鬼〉の後頭部に問答無用で手を回し、右の首筋に歯を当てさせる。〈死神〉は、曖昧に頷きながらも、不安を隠さず継いだ。
「知ってるけど、こいつらの一族は『力』の高い奴が多いからさ。あまり不用意なこと、しないほうが」
「だから、そこは大丈夫、って言ったろ?」
 目配せの意味を図りかねたものの、〈女王〉にそう告げられれば、眷属は従うしかない。一歩下がり、大鎌を地面に下ろした〈死神〉が腕を組む。だが、視線は二人から逸らさない。血に飢えた〈吸血鬼〉が主に危害を加えようものなら、容赦はしないつもりだった。
 だから次の瞬間の、目の前の光景には、虚を衝かれたとしか言いようがない。
「ん……っ」
 鋭い牙が、〈女王〉の白い肌に沈む。瞬時漏れた声は痛みに耐えるものだろう。しかし。
(――恋人でも、抱いているみたいだな)
 〈女王〉の背から首筋に、腰に、〈吸血鬼〉の腕が回される。鋭利な印象に反して、ひどく優しく這う腕は〈女王〉の不意をもついたのか。裸の肩が驚きを隠さずに震えたのを、〈死神〉は見逃さなかった。
「あ……」
 膝をついた姿勢で掻き抱かれ、血を吸われる合間、無意識ではあろうが漏れ聞こえる〈女王〉の声は妙に艶かしく、何やら落ち着かない気分にさせられる。
(初めて聴いた。バッツの、こんな声)
 〈死神〉の心のざわめきを見て取ったわけでもあるまいが、〈女王〉は取り繕うかのように〈吸血鬼〉の後ろ髪を撫でながら、問い掛けた。
「……額の傷は、〈吸血鬼狩り〉にでも、やられたのか」
 静かに、だが強く深く血を啜る〈吸血鬼〉は、微かに首を動かして肯定した。
「そうか。可哀想に」
 言葉の意味よりも軽い声に、〈吸血鬼〉は漸く、食らいついた首筋を離した。見れば、痛ましく割れていた額の傷口は、跡を残したもののきちんと塞がり、端正な顔立ちを汚していた血も、雨に打たれ流れたかの如く消えている。
「あんたは、ここの王なのか」
 〈吸血鬼〉当人も当然、自身の体を巡る変化に気付いたのだろう。直截な問いに、〈女王〉はごく軽く頷いた。
「そんな大袈裟なもんじゃないけどな。近くに住む人間達とか、城の――おれん家の奴らはみんな、〈女王〉って呼んでる」
 説明しながら着け直したチョーカーの下の噛み傷は、もう跡形も無いに違いない。
 〈吸血鬼〉に血を吸われてこうもあっけらかんとしていられるとは、やはり並みの異形ではあるまい、と悟ったのであろう。〈吸血鬼〉は衣服を整え跪いて、彼ら一族の作法で最も高い敬意を表す礼の型をとった。
「無礼を許して欲しい。お陰で助かった。それから」
 一瞬、渋るような気配を見せたが、〈吸血鬼〉は低く呟いた。
「美味かった」
「え」
「……あんたの、血」
 他意など無いに違いない。だが、端から見ていた〈死神〉がぽかんと口を明けるのと同じ間合いで、只でさえ大きな〈女王〉の目は、丸く見開かれた。
「あ……そりゃあ、どうも」
 間の抜けた返答は、〈死神〉や〈悪魔〉――眷属達には既にお馴染みのものだが。
(おいおい)
 〈死神〉が、呆れた表情を隠さず両名を眺める。
(……二人とも、隙だらけだぞ)
「――なあおまえ、行くところはあるのか」
 唐突に上げた〈女王〉の声に、〈死神〉は予感した。いや、悟った。ああ、また主の悪癖が始まった、と。
「もしもアテが無いのなら、折角だ。おれ達の家に招待するよ」
 跪いたままの〈吸血鬼〉に、気楽な調子で笑いかけ、〈女王〉は手を差し伸べながら続ける。
「もう歩けるか、『スコール』」
「――ちょっ、おいバッツ!」
 〈死神〉の狼狽と共に、平静を装っているのか生まれついての面差しか、冷たい眼差しを隠さなかった〈吸血鬼〉が、あからさまな――言ってみれば、見た目相応に若い――動揺を見せた。
「あんた、何故それを」
 自身が口にした事実が示す鎖への理解が一瞬遅れた〈女王〉は、二人の反応に一瞬だけ首を傾げたものの、にわかに青ざめ咄嗟に口を押さえる。
「うわっ、いけねえ呼んじゃった。どうしよう、ジタン!」
「あーあ、オレ知らないぞ」
「……悪い、スコール……『契約』、成立しちまった、かも」

 〈死神〉、〈悪魔〉、〈魔女〉――『夜と闇の世界』の住人達には、高位種族からの命あらば否応無く隷属しなければならないという掟がある。
 一般に『契約』と呼ばれるその命令は、種族や住まう土地により様々な方式や手順があるのだが――

 〈死神〉が溜め息混じりに告げる。
「成立だな。『従たる者が跪き』、『主たる者より真の名を呼ばれる』。間違いなく成立」
「おれ、またやっちまった……ごめんな。ほんとごめんな、スコール」
 呻きながらしゃがみ込み、頭を抱える〈女王〉の肩を、〈死神〉が同情するように叩く。最早慣れた様子の遣り取りに、〈吸血鬼〉は再び空を仰いで目を閉じた。
「分かった」
 低く通る声には、苦渋の色は無い。〈女王〉達が顔を上げると、〈吸血鬼〉は続けた。
「どんな手順だろうが、契約は契約だ。今この時より俺は――」
 〈吸血鬼〉は〈女王〉の紫がかった瞳を見据えて、強く言い放った。
「あんたの、ものだ」
 立ち上がった〈吸血鬼〉の長身に、見下ろされる形となった〈女王〉が、目を瞬き、ゆっくりと頷く。自身も〈死神〉の手を取って立ち上がり、同じように〈吸血鬼〉を見据えた。
 人間のそれよりも細長い瞳孔。精神の強さを秘めた視線は、決して揺らがなかった。
「バッツ・クラウザーだ。宜しくな、スコール・レオンハート」


 ひとまず一度城に戻ろう、という流れを率先したのは、他でもない〈女王〉だった。地の利の無い〈吸血鬼〉は当然後に続いて歩かねばならないが、もう一人の眷属である〈死神〉に先導させようともせずに先を往くような主に慣れるには、今暫く時間を要するのかもしれない。
 森の空気を確かめながら足を進めていると間もなく、外套を軽く引く手があった。振り返れば、大鎌を小柄な体に担いだ〈死神〉は歓迎半分、憐れみ半分といった表情を浮かべて、〈吸血鬼〉の隣に並んだ。先行する〈女王〉に聞かれたくないのか、潜めた声で笑う。
「捕まっちまったもんはしょうがないな、〈吸血鬼〉。ああ、オレも名前で呼んでいいか?」
「仕方がないな。お前は確か、ジタン、と呼ばれていたか」
「そうそう、オレは〈死神〉のジタン。宜しくな、スコール」
 〈死神〉の生業には似合わず、明るく気さくな性質。その空気に誘われたというわけでもないが、〈吸血鬼〉はふと、己に言い聞かせるように呟いた。
「真名を呼ばれるのは、久し振りだ」
 〈死神〉が、大きく頷く。
「あんなんでも、ここら一帯の主だからな。オレも最初は隠そうとしたんだけど、無駄だった。やっぱりそんじょそこらの『お仲間』とは格が違う、ってことだな」
 まがりなりにも主人である相手に対し、随分と遠慮のない物言い。どう返したものかと困惑する〈吸血鬼〉に、〈死神〉は真っ直ぐ前方を見据えた。湿った夜の森の中、〈女王〉の無防備な背中が木々の合間に消えた頃合い。ぽつりと、格別に問うでもない問いを、投げかけた。
「惚れるなよ」
「……どういう意味だ」
「ん、まあ、念の為?」
 へらっと相好を崩した〈死神〉が、〈吸血鬼〉の背を叩いた。
「ほら行けよ。ついてこないと煩いぞ。オレ達の〈女王〉様は、さ」

 引き留めたのはお前だろう、とでも言いたげな〈吸血鬼〉の背中を見送り、〈死神〉はやれやれと肩を落とす。
「……寧ろありゃあ、『惚れられた』が正解だろうけどな」
 〈女王〉の瞳とて、万能ではない。真名を読み取れるのは、〈女王〉自らが強い興味を持ったり、心を惹かれた相手だけだ。当人から以前、そう聞いたことがある。
(オレとか他の奴らは粗方『何だか面白そう』で済まされてきたけど、あの新入りはどうだかな)
 フードを目深に被り、足を早める。こちらも、早く追い付いておかなければ。
「……はあ。面倒臭いのは御免だぜ」
 〈死神〉は一人腐れながらも、これが〈女王〉の退屈しのぎになるのならば、自分が散歩に連れ出される面倒もなくなると思い直し、深く長く、安堵の息を吐いた。

 一年と経たないうちに、〈女王〉から〈吸血鬼〉についての惚気話を夜毎聞かされる運命にあるとは、知りもせず。
 〈死神〉は、音も無く軽やかに森を走り出した。






jewel






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