「もしかして、都合の良い女扱いしてないかい?」


足湯の中でプラプラと足を揺らしながらおなまえは問うた。
見上げられている芹沢はその視線を右頬に感じながら「そんなことはないけど」と返事をする。
もっと他に言い方があったろうに、わざとだなと心の内で憎まれ口を吐けば胸のざわめきも幾分か収まる気がした。
そんな2人に「報告終わったぞー」と歩み寄る霊幻。


「こんな辺鄙な所まで芹沢が呼ぶから来たのに。ご褒美頂戴」
「何が良い?温泉まんじゅう?」
「違うよ。わかってる癖に。いつから芹沢はそんなイケズになったのかなぁ?」
「霊幻さんの前で本当にやめろよ」
「はいはい…霊幻サーン、帰りのバスまであと2時間もあるんですけどー」


霊幻に聞こえないようにやり取りをすれば、おなまえはつまらなさそうに足湯から立ち上がる。
膝までズボンを捲って浸かったは良いが、拭くものがなくそのまま自然に乾くのを待とうとしているらしい。


「時間潰すか?つってもな…」
「依頼人は温泉宿の人だろう?駅までの送迎バスとかさ、出してくれないんですか?」
「ああ、聞いてみよう。…お前、後のこと考えないで入ったのか?」
「霊幻サン実はタオル持ってたりしない?」
「ハンカチしかねぇよ」


そう言うと霊幻はポケットから取り出したハンカチでおなまえの足を拭いてやる。
おなまえは軽い調子でお礼を言い、されるがまま世話を焼かれていた。
呼ばなきゃ良かったとそれを見ながら芹沢は思った。
でもおなまえがいなければ今回はもっと時間がかかったろうし、霊幻が呼んでみろと言ったから。
心の中で言い訳を並べ立てる自分にわだかまりが大きくなる。
とにかく視界に入れないように背を向けていると、「じゃあもう一度宿に戻ってみるぞ」と声が掛けられた。


---


「良かった、バス出して貰えて」
「2時間も待つのは流石にな」
「この後他の仕事は?」
「ない。お前何かないの?こっちに流せそうなの」
「私はそんな仕事してないですよ。ただの本屋さんさ」


3人掛けのシートに肩を並べながら帰りの電車に揺られる。
中央に座っている霊幻は隣のおなまえに仕事になりそうな件がないかどうか話題を振るも、ないないとあしらわれていた。


「またこういうこともあるかもしれないし、俺にも連絡先教えてくれよ」
「嫌だね。除霊とかどうでもいいんだ。芹沢に呼ばれたから来ただけです」
「ケチケチするなよ」
「しますぅ。減るから。エネルギー的なのが」
「もう世界征服とかしないんだから、多少人助けしても罰は当たらないぞ」
「私芹沢の隣がいいなぁ。ズレようよ席」
「聞けよ人の話を」
「霊幻サン勧誘うるさいからさ」


そう言いながら席を立つおなまえのいたスペースに、霊幻が動いて中央を譲る。
霊幻サンの隣はもういいよと言われて仕方なく芹沢が中央にずれた。
ようやく空いた隅におなまえは腰掛けて、霊幻から見えないように芹沢の指に自分の指を絡めてくる。
特に抵抗もせずにいるのがなんとなく癪に触って芹沢は腕を自分に寄せて振りほどいた。


「あれ」
「……」
「ん?どうかしたか?」
「…いんや。なんでもないです。気の所為だった」


おなまえの声に反応した霊幻に、おなまえはいつもの調子で答える。
仕事ないならさと続く言葉が、揺れる車内に紛れて行った。


---


ようやく調味市に帰ると昼下がりから夕方へと移りかけている頃合だった。
「今の社長が良いって言ったんだから」と霊幻からの許可を盾におなまえは芹沢の腕を引き、迷いない足取りで駅から徒歩数分のアパートに向かう。


「引っ越したんだ。駅近で便利だろう?」
「そうなんだ」


引かれて入ってみればベッドと本棚くらいしかまともな家具がない、なのに本だけはやけに多いアンバランスな部屋。
備え付けの二口コンロは使われた形跡もなく、そもそも冷蔵庫や電子レンジすらない。
テレビもパソコンもない、アナログの世界だ。
これなら爪の時の部屋の方がマシだったんじゃないかとさえ芹沢は思った。


「住みにくそうだね」
「そうかな。…そうだね、ただの部屋だ」


芹沢に言われて初めて気が付いたようにおなまえは部屋を見回した。
ベッドは部屋の主が腰掛けているので、芹沢はベッド脇の床に腰を落とす。
するとおなまえは自分の隣を叩いて芹沢を招いた。


「遠慮しないでいいんだよ、私と芹沢の仲じゃないか」
「……」


その言葉を無視して本棚に視線を向けると、「珍しくご機嫌斜めだねぇ」とおなまえが苦笑する。


「そんなことないよ」
「嘘だね」


否定すればすぐ耳の後ろで声がした。
物音ひとつ立てずにいつの間にと肩を張る芹沢の首元に後ろからおなまえの腕が回る。


「今日、呼んで貰えて嬉しかったよ」
「…辺鄙な所に呼び付けてって文句言ってたじゃないか」
「それでも行ったのは芹沢が頼ってくれたからさ」


ありがとう、と互いの顔を見ないまま腕に力が込められる。
芹沢の視線は本棚のまま、ずるい人だとおなまえを思った。

もうこんな風に俺の機嫌を取らなくたっていいのに。
何で未だに、俺をこうして構うんだ。
みょうじはどういうつもりでいるんだろう。


「……わからないな…」
「何がだい?」
「みょうじは何で俺にまた構うの?まだ寂しい?」
「………」


生活感のない部屋では余計寂しくなるだけではないかと芹沢は思った。
せめてまともに食べて寝られる環境でないと体を壊すよ。病は気からっていうけど逆も然りだって教えたのはみょうじだろ。と言えば、首元の腕がスルリと抜けて自由になる。


「…本当に芹沢は優しいね」
「茶化してる?」
「いや。褒めてるよ。…寂しいなあ」
「……」


芹沢の背後から隣に移って、同じ様に床に座るとおなまえは膝を抱えてその膝に右頬を乗せた。


「芹沢はすっかりちゃんとしちゃったんだね」
「ふざけないでさ」
「もう私はいらないんだなあ」
「…だ、から…さ」


なんでまたそうやって、わざとそんな言葉を選ぶんだ、と居づらさに芹沢は頭を掻く。
おなまえは口元にいつもの笑みを浮かべてこそいるが、吐き出された声の弱々しさにまた胸の内を掻き乱される。


「わかってるよ、しっかり。芹沢が私に付き合ってくれるのは君が優しいからだ。私はそこにつけ込んでる」
「俺は…そんなんじゃ、ないよ」
「自覚してないだけだよ」
「違う」


自覚は、してるよ。

突然語気を強めた芹沢に、おなまえは顔を上げる。


「…芹沢?」
「俺はみょうじが思ってる程ちゃんとしてない。…みょうじは呼ばれて嬉しいって言ったけど、俺は呼ぶんじゃなかったと思ったよ」


仕事は勿論手を貸して貰えて助かったけど、と続けてから芹沢はおなまえの様子を見た。
膝を抱えた姿勢のまま、真面目な顔で芹沢を見つめる瞳と視線が交わる。


「…迷惑だった?」
「違うよ。迷惑かけたのは寧ろ呼び付けた俺の方で…違くて…」
「………」
「…霊幻さん、がさ」
「…うん?」


想定していない人物の名前が上がっておなまえは疑問の声を上げたが、そのまま耳を傾ける。


「触ったでしょ、みょうじに。足」
「…あ。あぁ、足湯の」


芹沢の指が隣に座るおなまえの足の甲に触れる。
そのままズボン越しにふくらはぎへ。そのまま脛に指を添わせて止まった。


「連絡先聞いたりとか、話してるの見てると…何だか、嫌な気分で…落ち着かないし」
「……それは…」
「みょうじに会うとよくなるから、出来れば仕事の時は気にしないように…したかったんだけど無理で。ちゃんとしてる人はきっと、こんなこと思わないよ」
「…あー…良かった」
「…何も良くないでしょ」


最後まで聞いてから胸を撫で下ろしているおなまえを芹沢は訝しむ。
しかしおなまえは先程見せた真面目な顔は何処に消えたのか、芹沢の手に自分の手を重ね、揺り籠のように体を前後に揺らして笑っている。


「一応聞くけど、芹沢は霊幻サンのこと恋愛対象に見てたりするかい?」
「何それ。アンタ頭でも打ったか?」
「だよねぇ!安心したらお腹空いたよ。芹沢、学校行く前にご飯食べに行こう」
「聞けってば。本当に人の話聞かないなぁ…」
「聞いてる聞いてる」


おなまえは芹沢の手を掴んだまま立ち上がった。


「…結局、何しに連れてきたの?」
「芹沢が機嫌悪いなあって思ったから。静かな方が話しやすいんじゃないかと、ね」


確かにこの部屋は静かだけども。
仕方なくつられて立ち上がると、おなまえは満足そうに頷いた。


「それにさ。芹沢がちゃんとしてたら、私のことなんて構ってもらえなくなっちゃうじゃないか」
「どうして?」
「どうしてって…フフ、何か久し振りだねこういうの」


「まともな人は私みたいな変人と付き合わないものなんだよ」と言いながら靴を履くおなまえに、「変人の自覚あったんだ」と芹沢。
おなまえはまた肩を揺らした。


「あぁでも、芹沢優しいから。ちゃんとなった暁には私を真人間にして貰うってのいいね」
「どういう理屈だよ…」
「私と芹沢の仲じゃないか」
「だからさ」


二人共履き終わったのに玄関を開けようとしないおなまえの背中に声を掛けると、彼女は「この部屋」と振り返った。


「私の好きなものしか入れないんだ」


だからたまに遊びに来てよ、と繋がれてない方の手に鍵が握り込められる。
芹沢がその手に視線を落とせばようやく扉が開けられて夕陽が差し込んだ。


「失くしちゃダメだよ。退去時に余計お金掛かるんだから」


そう言われて芹沢が慌ててポケットに仕舞うと、「次来るまでにもうちょっと家具増やしておくよ」とおなまえは目を細めた。


Back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -