「そうですか…普通の本でしたか」
「…この本は如何致しますか?」
「……」


依頼人はテーブルの上の『細雪』を見て目を細める。
ソファーの少し後ろにはおなまえが立っていて、依頼人の後ろ姿を見ていた。


「実は、この店をそろそろ畳もうと思っていましてな」
「…そうでしたか」
「体力的にも厳しいですし、この通り売り戻ったことすら忘れる程耄碌してしまった。年はとりたくないものですなぁ、ホホホホ」


数多くの本を読み、記憶してきたのに。
この本のことを覚えていなかったなんて。
店を続けないのなら、本の処分のことを考えなくてはいけないと言う依頼人を、芹沢は「あの」と少し上擦った声で止めた。


「もう一度、この本を読んでみたら…どう、ですか…?」
「この本を…?」
「それから捨てるかどうか決めても、お…遅くはないと…思、います…」


尻すぼみになっていく声に、依頼人は手元の本に視線を落とした。
しばらくそうして本の表紙を見つめていると、後ろのおなまえを振り返る。


「みょうじさん、台所の棚に頂き物の焼き菓子があってね。皆さんで頂いて下さい。コーヒーのおかわりも」
「…はい」
「私は少し席を外させて頂きます。引き留めてしまってすみませんが」
「いえ、お構いなく」


依頼人は本を持って別室に入っていく。
扉が閉まると、トレーにコーヒーポットと菓子を乗せたおなまえがやって来た。


「お店閉めちゃうって。次の職場探さないとなぁ」
「……」
「なあ、元同僚っつったっけ?芹沢の」
「そうです」
「それってさ、あの…」


皿の上の菓子をモグモグと頬張りながら霊幻はおなまえから芹沢へと視線を動かす。
両膝の上に乗せた拳をグッと握って芹沢は答えにくそうに頷いた。


「このお店気に入ってたのに…」
「除霊とかどうだ?芹沢は学校あって夜までいれないし」
「霊幻さん…やめときましょうよ…」
「除霊ぃ?興味ないかなぁ、…本屋もやってます?」
「やってる訳ない」


興味無いと言いながらも尋ねてくるおなまえにどんな相談所だと芹沢がつっこむ。


「今時給いくら?」
「霊幻さん…!」
「趣味だからお金は別に。面白く時間が潰せるかどうかが重要」
「みょうじももう答えるなよ…!」
「はいはーい」


安くても良いと見て目を光らせる霊幻を後目におなまえを止める方向にシフトすると、軽くそれに答えてからおなまえは霊幻の事務所アピールをようやく流し始めた。
焼き菓子に手を伸ばさない芹沢に、「美味しいよ」と勧めていると扉が開いて依頼人が戻って来た。


「おかえりなさい」


ソファーから立っておなまえが場所を開けると、依頼人はそこに腰掛けて霊幻たちに封筒を差し出した。


「私はとんでもない忘れ物をしていたみたいです。貴方達のお陰で思い出せました…こちらは今回の謝礼になります」


ありがとうございましたと深々と頭を下げる依頼人。
ただ本を見つけただけだと恐縮する霊幻たちの耳に、鼻を啜る音が届く。


「ホホ…年を喰いますと、涙脆くなりましてな…。失敬」


ぽっかり抜けていたが、本を読んで思い出せたことは自分取って掛け替えのないものだったと。
どうか受け取って欲しいとの言葉に、霊幻は封筒を受け取った。
今日は君も上がりなさい、と依頼人に言われて3人は店を後にする。
暗くなった路地はやって来た時よりも入り組んで見えて、霊幻たちはおなまえの後ろに続く形で歩き出した。


「受け取って良かったんでしょうか…」
「…んー、そうなぁ…俺は本読んで意識飛んでただけだし…」
「本を見つけたのも呪いを解いたのもみょうじですよ」
「……やっぱりうちで働かない?」
「そうしたらその謝礼を心置き無く受け取れるもんねぇ?」


ケラケラとおなまえの肩が揺れる。


「でも良いんだよ、君たちが受け取って。感謝の気持ちをどうしても示したいんだから、それがお金だったってだけのことさ」
「なら遠慮なく」
「……」


霊幻が懐に入れた手をスッと引き、その引き際の良さに芹沢はこの人…と言いたい口を引き結んだ。


「在るべき所に収まるものなのかなぁ、不思議なものだね」
「ん?それは何の話だ?」
「"迎えが来た"って言葉があるだろう?あれもそうなのかなって。…でも考えすぎかも」
「??」


君たちが来たことさ。と言っておなまえは大通りに出ると霊幻たちを振り返った。


「あれは先立った夫人が書いた本なんだ。長年仕舞われ続けてたはずなのに、主人に病が見つかってからああやって人の時間を吸うようになってね」


おなまえの言葉で、芹沢は最後の文を思い出す。
"待っています"、というのは。


「もうそんなに長くないのを向こうから見てて死ぬのを待ってるのか…それとも吸った時間を主人に差し出したくてそうしてたのか、どちらでもないただの偶然か…どっちだったんだろうね?」
「…え。もしかして今ホラーな話してる?」


夏でもないのにやめろよと霊幻が腕をさすった。
信じてねぇけど面白くもねぇからなとおなまえを指差すと、彼女はニヤニヤ笑う。


「…みょうじはあれに触ったろ。その呪いの真意はわからなかったの?」
「えぇ?」


どうして私が?と言いたげに嘲笑めいた顔を浮かべる。


「思い入れの強過ぎる物を見るのは嫌いでね。どっちだっていいかな」


不思議なタイミングだと思っただけだよ。
芹沢と会ったからそう思ったのかも知れないね。


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